TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

突然の辞任表明 安倍総理のレガシーと無念

8年間に及んだ安倍政権最大のレガシーは外交だ。世界各国のリーダーたちに、これほど辞意を惜しまれた総理大臣はいない。

在任中に訪問した国・地域は80.のべにして176を数える。国際社会における日本の影響力をこれほど高めたことに私は最大限の敬意を表したい。

なぜかくも大きな仕事をやってのけることができたのか。単純な物言いはすべきではないが、安倍政権誕生の経緯を見過ごすわけにはいかない。

20129月に行われた自民党総裁選に勝ち、12月の衆院解散総選挙で政権復帰を果たしたが、じつは安倍氏は総裁選の出馬に初めから乗り気だったわけではない。安倍氏の背中を強く押した人物がいた。のちに官房長官になる菅氏だ。

「まだ機は熟していないのではないか」と逡巡する安倍氏に「いま出馬しなければ二度とチャンスはない」と菅氏さんが食い下がること二度。三度目は安倍氏の自宅におしかけ昭恵夫人同席のもと、出馬を促したのだ。

「総裁選にでたとして、勝てるだろうか」

安倍氏の問いに菅氏は答えた。

「必ず勝たせる」

ここからすべてが始まったのだ。事情を知らぬ政治記者たちは、内閣改造のたびに菅官房長官の交代を記事にしたが、安倍政権は「安倍・菅政権」だから官房長官の交代などありえないことだった。

菅官房長官に聞いたことがある。

「なぜ、安倍さんを担ぎ出すことにそこまで執着したのか」

すると菅官房長官らしい言葉が返ってきた。

「私を初めて大臣(総務大臣)に任じてくれたのは安倍総理(第一次)だった。恩義がある」

菅官房長官は絶対に自分の寝首を掻く政治家ではないと、安倍総理は確信していた。「次はオレだ」と野心満々になるのが普通の政治家だ。だが菅氏は官房長官に徹した。この安心感があってこそ安倍総理は自由に外交を行えたのだ。

コロナ禍でこそ、若干行き違いがあったものの、菅官房長官は安倍総理を完璧に支えてきた。ポスト安倍に菅官房長官を推す人々はこの安定感を求めているのだろう。

安倍総理が残した任期1年の暫定総理・総裁だ。有事の危機対応が最大のミッションであろう。政治的野心丸出しの候補はハイリスクだと考えているのだ。