TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

国家の荒波を生きた政治家 安倍晋三

冷淡だったオバマとの首脳会談

「今のロシアのウクライナ侵攻を見ると、7年前に このことを予見したように、確かな外交安全保障、 日米同盟を機能するものにしたのは安倍さんだった のです。こうした安倍さんに心から感謝し、そして 敬意を表するものです」

参議院選の投票日を翌日にひかえた7月9日、三原じゅん子候補の応援演説に立った菅前総理が発した言葉です。理不尽きわまる安倍元総 理の死から2日後、参議院選挙前日のことでした。

菅前総理は事件の第一報を羽田空港に向かう車中 で聞いたそうです。同時に選挙応援中止の方針が伝 えられると、菅前総理は東京駅から新幹線に乗り、 奈良県立病院に向かいました。自分自身で安否を確 認せずにはいられなかったのでしょう。道中、何を 思ったのか。それはわかりませんが、その2日後 に、初めて公に安倍元総理について語ったのが冒頭 の言葉です。この言葉こそ安倍元総理の最大の実績 は外交安全保障であったことを能弁に物語っていま す。第2次安倍政権が発足した2012年12月当時、民 主党政権によって日米関係が危機的に冷え切ってい たことを多くの国民は知りません。

旧民主党の鳩山由紀夫が沖縄の普天間基地を名護 に移転する日米間の決定を一方的に反故にして、 「最低でも沖縄県外にする」と発言したことがきっ かけです。日米間で10年もかけて沖縄の基地負担軽 減のために話し合い、ようやく合意をとりつけたも のをこうも軽々しく扱った総理のせいで、米国の対 日不信感は極限まで高まってしまった。沖縄県民に とっては朗報だろうが国家間の約束はひとたび破れ ば簡単には元にはもどれない。約束破りの韓国に対して日本が嫌悪感と不信感を抱き、政権が交代しても容易には関係改善に動けないことを思えば、当時のオバマ政権が日本政府に対してどれほどの悪感情を抱いていたか想像できるでしょう。それはとりもなおさず日本有事いがいのなにものでもありません。自立した防衛力を持たず、アメリカの核の傘だけに頼ってきた日本にとって日米関係悪化は非常事態です。

それを誰よりもわかっていた安倍元総理は2013年 2月22日にオバマ大統領との首脳会談のため訪米し ました。当時官房長官だった菅氏は定例記者会見で 訪米の狙いについてこう語りました。 「(日米)2国間だけでなく、北朝鮮問題をはじめ とするアジア太平洋地域情勢を含め、幅広く課題に ついて忌憚のない協議をして、日米同盟の強化を明 確に内外に示したい」

ところがオバマ大統領の態度は冷淡で、なんと首 脳会談にさける時間は30分しかないと官邸に言って きたのです。日本側の必死の説得で会談時間は30分 から1時間に伸びたものの、わざわざ日本からワシ ントンを訪ねた安倍元総理の出迎えもなく、食事会 もなく、それは酷いものでした。歴史上、永続した 同盟関係はなく、日米同盟だって放っておけば機能 不全に陥ってしまう程度のものなのです。その深い 危機意識から第2次安倍政権はスタートしました。 冒頭の菅前総理の選挙演説を再度見てください。

7年前(2015年)になにがあったのでしょうか。9 月に自民党総裁選を無投票で再選されるや安倍元総 理は集団的自衛権の一部行使を可能とする安全保障 関連法を成立させたのです。菅前総理は安倍氏亡き 後、まっさきに口にしたのはこの安全保障関連法成 立のことでした。保守派の頂点に君臨していたからという理由ではなく、日本の安全保障に誰よりも責任をもたねばならぬ国権の最高権力者としての責任を痛切に感じていたからこその決断と実行だったと考えるべきです。

国民を守る力を強化

安倍晋三の伝記を書いた政治評論家のトバイア ス・ハリスが米紙「ニューヨーク・タイムズ」に寄 稿し、安倍の「国家ビジョン」について書いていま す。 「安倍は、物事を小さく考えて満足するような政治 家ではなかった。彼の家族は、西日本に位置する山 口県の出身だ。山口といえば、1867年の王政復古と 改革派による近代日本の建設を指す『明治維新』の 立役者たちの故郷である。安倍はこの時代のリーダ ーたちを尊敬していた。明治のリーダーたちは、た んに近代的な国家を築こうとしたわけではない。ア ジアを奪い合うことに忙しい欧米列強をかわし、い ずれは対抗できる国家をつくろうとした。『荒波に 耐えうる』国づくりに関する安倍の発言が示唆する ように、彼はこの基本的な感覚を共有していたの だ」

ハリスは安倍元総理を保守というイデオロギーの 体現者でも、たんなるリアリストでもなかったと評 しています。 「安倍はナショナリストだった。彼は日本が国家間 の激しい競争にさらされていると捉え、政治家の使 命は何よりもまず、国民の安全と繁栄を確保するこ とだと信じていた。だが同時に、この責務を果たす のは最終的には国家とその指導者の責任だと考えて いたことから彼は『国家統制主義者(statist)』で もあった。だから安倍は『イデオローグ』か『リア リスト』かという議論は的外れなのだ。安倍は、危 険な世界のなかで『日本が国民を守る力』を強化す ると自らが信じる行動をそのキャリアのなかで繰り 返した」

 事件後、多くの識者は安倍元総理の最大の実績は外交だと言ってみたり、それを可能にしたのはユーモアあふれる「人たらし」の気質をあげつらったりしましたが、それは断片的な評価にすぎません。明治維新の立役者たちの故郷に生まれ、日米安全保障体制の成立に尽力した祖父、岸信介元総理の背中を見て育った男は血筋の良さ以上に、荒波に耐えうる国づくりのDNAに尽き動かされてきたとしか言いようがありません。

こうした文脈でとらえていくと、世界の指導者が 羨むトランプ大統領と親密な関係を構築できた背景 もまったく違って見えてくるでしょう。第2次安倍 政権発足の訪米で味わったオバマ大統領の冷遇は日 米安全保障が究極の危機に陥っていることの証左で あり、これこそが安倍外交の出発点でした。米軍が 近海で攻撃されていても法的に援護できない国は同 盟国ではありません。そんなお花畑的平和主義から 脱して、日米同盟を機能させる仕掛けが7年前の安 全保障関連法案の成立であり、次の大きな山場がト ランプ大統領との信頼関係構築でした。大統領の正 式就任前にニューヨークのトランプタワーを電撃訪 問し、本間ゴルフのゴールドのドライバーをトラン プ氏への手土産にしたことも、オバマの冷遇あった れこその外交戦略でした。安全保障法令も本間のド ライバーも同じ文脈なのです。その後「地球儀を俯 瞰する外交」と呼ばれ、世界各国の要人たちと親密 な関係を構築していったのもすべては日本の安全保 障のためでした。

いまでは世界であたりまえに使われるようになっ た「開かれたインド太平洋(戦略)=Free and Open Indo-Pacific Strategy」という言葉も2016年 に安倍元総理が提唱したもので、中国へ強烈な牽制 球となりました。しかしその一方で中日関係改善に 努め、2020年の習近平来日に執念を燃やしました。 この矛盾はとりもなおさず日本の安全保障環境の複 雑さからよってきたるもので、安倍外交の圧倒的な 秀逸さを物語っています。

いまや日本はロシア、中国、北朝鮮という核を持 った専制国家に囲まれた世界一危険な国になってし まいました。ロシアとの二国間関係もいずれ修復し なくてはならない時がやってくるのに、プーチンと ダイレクトに話ができる安倍元総理が亡くなってし まったことは国家的損失です。政府は9月下旬に国 葬をとりおこなうと言っています。安倍元総理が信 頼関係を築いてきた世界のリーダーたちが弔問のた めに来日するでしょう。その遺産のほんのわずかで も岸田総理には、できるものなら継承してほしいも のです。

安倍元総理に心からの哀悼を捧げます。

*『HARVEYROAD WEEKLY』1258号を特別公開