阪急電鉄株式会社  代表取締役社長 角 和夫 氏
尊敬する人:小林一三
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大阪の成長が日本再生の切り札になる

阪急電鉄株式会社
代表取締役社長 角 和夫 氏

財部:
このリレー対談「経営者の輪」を始めた頃、ITブームで「ニューエコノミー」という言葉が広く使われるようになりました。IT企業の経営者がまるでスターのように扱われていました。それに対して「オールドエコノミー」という言葉でこれまでの日本的経営が否定されました。そうした世情に対するアンチテーゼとして始めたのがこの「経営者の輪」で、古い新しい関係なく、実際に日本経済を支えている経営者を紹介して、何を考え行動しているのかということを、ホームページで伝えていきたいと思いました。

角:
そうですか。

財部:
当時は、いかに株価を上げるかが経営者の能力だ、というムードになっていて、その頃、「会社は誰のものか」という議論がマスコミでもこぞって取り上げられました。投資ファンドがにわかに「株主重視経営」なんて大義名分に掲げて経営者に無理難題を言うという動きが見られましたが、実際は資本主義の理念とはかけ離れた、胡散臭さを感じていました。ですので、今日はどうしても、あの村上ファンドの話からお聞きしなければならないと考えています。私は、村上ファンドをずっと否定してきた数少ない1人だと思っていますが、ああいう世情の中で、阪急ホールディングスは、村上ファンドが筆頭株主となっていた阪神電気鉄道のホワイトナイトとして手を挙げられました。その後2006年6月に阪急ホールディングスによる阪神電気鉄道のTOBが成立し、両社が経営統合したのですが、あのとき角社長は、村上ファンドあるいは当時の世情をどのようにご覧になっていたのですか。

角:
村上氏は「もの言う株主」とはいっても、基本的にはファンドマネージャーですから、投資家の皆さんからお金を集めてハイリターンしますという、そのような約束のもとに運用していたのだと思います。株主としてじっくり企業の価値を上げていくなんてことではなく、短期的なリターンを求めていたと思いますね。最終的には阪神電気鉄道の発行済み株式の46.82パーセントを保有するまでいきましたが、それだけの資金を突っ込んだからには、出口としては鉄道、不動産、阪神タイガースといった同社の持っている企業価値を、分割して売却しなければ当然リターンが取れません。そうした村上氏の目的が見えたことと、それから、阪急と阪神は100年来のライバル企業という見方もできますが、お互いに沿線価値を高めることで競い合ってきたのです。阪神電気鉄道は2005年にちょうど100周年を迎え、ハービスOSAKAやハービスENTという阪神西梅田開発が完成してこれからという時に、同社が一方的に批判され、村上ファンドがちやほやされるという光景を、非常に腹立たしく見ていました。

財部:
そうですか。

角:
また、同じ鉄道事業者として言うと、鉄道は公共性が高いですよね。阪神には阪神なりの変遷があり、その中で社会的な責任を果たしてきました。それを分割して売却してしまうのは、同じ鉄道事業者として許せないものがありました。あの一件では道理はこちらにありましたし、村上ファンド側もあれだけ株式を買い進めていくと、お金も底をついてきていると思いましたので、それほど長期戦はできない、私たちが短期決戦でTOBを行えば大丈夫だと考えていました。ただ社内的には、村上ファンドを儲けさせることに対する逡巡がありましたし、TOB価格が適正かどうかについてもシビアに議論を重ねました。

財部:
そうでしょうね。社内の論議としても、角社長がTOBの大義を唱えられたような「社会全体のことを捉えて阪急がどう行動するか」という考え方と、「今、阪急がそんなことに関わる必要はないのではないか」という考え方があったのでしょう。立場で仕事をすることが、組織で働く人たちの特徴ですから、逆に「(阪神が)切り売りされて阪急の傘下に入るほうがいい」という考え方も、人によっては持っていたと思うのです。実際、社内の世論はどうだったのですか。

角:
当時は孤立無援でしたね。社外役員の方はそうでもなかったのですが、おっしゃる通り、社内の役員は全員反対といってもいいぐらいでした。私は普段から可能な限り権限委譲してきましたが、この案件は僕にしか決断できないと思いました。経営統合の話は以前から京阪さんや近鉄さん、南海さんなどの名前が出ていましたが、阪急だけは完全に競合する鉄道会社と思われていたので、マスコミもノーチェックだったのです。(阪神が)京阪さんなどと協議されているところに割って入っても、われわれがどうこうできるわけではないのですが、内心では、阪神と経営統合効果が最も出せるのは阪急だという自信が私にはありました。

財部:
どういう部分で経営統合効果が出せると考えられたのですか。

角:
これから人口減少時代に入っていくので、路線の長さがアドバンテージではなくなるのです。だから、いわゆる効率性の高いコンパクトな路線、たとえば東京で言うと東急さんのような路線ですかね、その沿線をきちんと成長させていく方が強いに決まっています。しかも阪急と阪神は、大阪梅田と神戸三宮の両方のターミナルが一緒ですから、街づくりも一緒にやれる。ですから阪急百貨店と阪神百貨店が一緒になることで、大丸の増床や三越伊勢丹の進出といった攻勢に対して、阪急阪神が1つの百貨店として迎え撃つことができたのです。関西・大阪を代表する一等地である梅田の街づくりを、バラバラにではなく一緒にやれる。これが最大の統合効果ですね。

財部:
なるほど。

角:
ですから、阪神の「結婚先」は阪急が最もいいと私はずっと思っていたのですが、阪神が他社と、というなら、それをどうするわけにもいきません。ただ、3月末を過ぎれば株主が確定するので、早く方向性を出さないと、阪神にとっては耐えられない状況になると思っていました。(2006年の)4月1日に阪神電気鉄道の西川恭爾社長(当時)と初めてお会いして、2日か3日には公正取引委員会に行きました。それで4月中に方向性を出して、5月にはTOBですから、本当に時間がない中で、双方のスタッフは大変でした。よく2カ月でやってくれたと思いますね。

財部:
それから6年が経ち、本当にその言葉通りになっているところが素晴らしいですね。私も経営統合や企業合併を見てきましたが、統合効果はそれほど簡単に出るものではなく、人的な交流も含めて時間をかけていかなければ難しいという現実が多々あります。阪急さんと阪神さんの場合は、持ち株会社である阪神阪急ホールディングスの下で、阪急電鉄と阪神電気鉄道が独立して事業を行うことで、おそらく一番良い形になったのではないかと思いますね。

角:
私は事前アンケートの「尊敬する人」という質問に対して、阪急電鉄、阪急百貨店、東宝の創業者である小林一三と書きました。箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)は、後発の鉄道会社だったのでまさにベンチャーです。当時には恐らく多くの危機があった中、小林一三という人は非常に強い運を持っていて、信じられないような巡り会わせで阪急という会社があるのだと思っています。そういう意味でいうと今回も運がありまして、私が社長になった当時、バブルの処理に取組みましたが、経営統合はそれらの処理に目処が立ち、明るい兆しが見え始めた時期でした。また、以前は阪急電鉄が事業持ち株会社で、その下にグループ各社がいたのですが、まったくばらばらな状態で、これをなんとかしなければならないと思いまして、ホールディングスをつくり、主要なグループ会社を100%子会社にして、ホールディングスの下に電鉄、ホテル、交通社を兄弟会社として並べました。ですから阪神との統合時にも、複雑な手続きがいらず、ここに兄弟会社が増えるだけという体制になっていました。これもタイミングの妙で、バブルの処理を思い切ってやっていなければ、ホワイトナイトというわけには行かなかったと思いますね。

財部:
確かにどの鉄道会社でも、事業会社も銀行も含めてバブル崩壊の敗戦処理のようなことを似たような状況でやってきました。阪急電鉄さんの舵取りは、他社とはどこに違いがあったと思われますか。

角:
私は他社のことをコメントする立場にはありませんが、いまだにオリンパスのような事件が起こるなんてことはとても信じられません。当時は時価が大きく目減りした不動産を子会社に移転させて知らないふりをするとか、その子会社の持ち株比率を落として連結決算の対象から外すなんてことは普通にありましたが、現在の会計制度ではできなくなりました。いやおうなしに不良資産の処理をせざるを得ない状況になったのですが、私は73年に会社に入ってから、2000年に役員になるまで、不動産にはノータッチだったのです。

財部:
なるほど。それも運ですね。

角:
数千億円にのぼる損失を処理するうえで、そこは信頼してもらえたということでしょうか。バブルの処理を進める過程で私たちは、今までの経営陣が行ったことの経営責任を取らなければなりません。その際、まず役員が最初に身を切り、従業員にもお願いをして、さらに株主さんにもお願いをするという段階がありますね。過去の経営者の退職金は全額返金していただき、それを機に、われわれが積み立てた役員退職慰労金制度を廃止し、年俸も減額する。次いで従業員の定期昇給を止めて、初めて株主さんにも納得していただけたのです。

財部:
多くのステークホルダーを説得していく過程は大変なご苦労だったのでしょうね。

角:
中でも組合との関係が非常にうまくいっていたことは大きいですね。私は運輸部門に20年いましたが、当社は鉄道会社なので、組合のリーダーも鉄道部門出身なのです。20年来、「裸の付き合い」をしてきているので、組合側も私のことを信用し、私が頼んだことは、それほど抵抗なく受けてくれました。そのため労使交渉も非常にスムーズに進んだのです。また、過去の膿はすべて出そうと思っていました。少しでも隠し事をすると、そこで信用をなくしてしまいますからね。

財部:
阪神さんとの一件も、そういう整然としたプロセスを経ていたからこそ、あのように思い切ったことができたのでしょう。あれだけ世間に注目された中で意思決定を行われたのは、運が良かった部分もある反面、大変なことも多かったと思います。連日連夜、朝から晩まで世間の注目を浴び、その中で意思決定をしていくということは、ご自身の経営に対する確度や自信が相当なければできなかったのではないでしょうか。

角:
そうですね。相手が村上ファンドでしたので、理はこちらにあるという部分では絶対の自信がありました。