TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

中西宏明と立花隆 尽きぬ「人間への興味」

リーマンショック後、巨額赤字に喘いた日立をV字回復させた社長として、また存在感が薄れる一方の経団連再建をになった経団連会長として、まさに財界期待の星であった中西宏明さんが逝った。6月27日に療養していた東京都内の病院で亡くなりました。75歳でした。中西さんの傑出していたところは、大企業のサラリーマン社長、限られた任期にもかかわらず、巨艦日立の企業文化を揺るがすほどの大改革をやってのけたことでした。迷走が止まらない東芝やパナソニックとは対照的です。

日経ビジネスは中西さんの追悼記事のなかで、その人物像にこう触れています。

「中西氏は2010年に日立の社長に就任して以降『グローバル化』を基軸に、自ら立て直して黒字化させたハードディスク事業を電撃売却したり、最新テクノロジーでより良い社会づくりに貢献する『社会イノベーション事業』への転換を図ったりするなど、大胆かつ合理的なかじ取りで日立を成長軌道に乗せた。(中略)そもそもどのような人物だったのか。それを知るためには、川村隆氏(取材当時、日立会長)による中西評が最適だろう。『中西は人間に興味があり、その面白さというものをよく分かっていて、物事を円滑に進めるスキルが高い。相手が日本人でも外国人でも、各メンバーの気質を捉え、情や知を使い分けるのも実に上手だ』」

中西さん本人もこう語っています。

「どこに所属して働いていようとも、一番大事なことは『人間に興味を持つ』ということです。『人はこういうことをすると喜ぶんだ』といったことに敏感でないと、社会に貢献できるような新しい価値を生み出せないと思いますよ」

変われない日本企業の象徴でもあった名門を、本物のグローバル志向の企業へと変身させた中西さんの経営哲学の中心にあったのは「人間中心」の考え方だったのです。あまり語られることのない要素ですが「人間」に対する深い理解、尽きぬ興味がなければリーダーはつとまらないということでしょう。

中西さんと共著を出版している経営共創基盤(IGPI)会長の冨山和彦氏はこんなコメントをしています。

「中西さんが本当にすごかったのは、V字回復の後に、10年単位のコーポレート・トランスフォーメーションをやりきったこと。事業の売却のみならず、ガバナンス改革やリーダー層の育成を通じて、グローバルなデジタル企業に立ち向かっていくために、企業を本気で改革した。人事体系もグローバル人材に関しては、国籍、人種、性別、年齢関係なく、一律で評価する方式に変えました。グローバル競争とは、スポーツで言えばメジャーリーグのようなものですから、長年コツコツと、オペレーショナルに頑張っていれば勝ち抜けるものではありません。若い頃にシリコンバレーに留学して、世界で起きていることを肌感覚で理解されていたことも大きかったと思います」

その奇跡を起こした背景にある川村―中西両氏の関係性のなかにも「人間に対する深い理解」が透けて見えます。経営者はいわゆる「いい人」である必要などまったくありませんが、人間に対する深い理解がなければ組織を動かすことなどできやしません。

2012年から2021年まで9年もの長きにわたりパナソニックの社長をつとめながら、何も成果をあげられなかった津賀一宏氏は対照的です。津賀氏も中西氏と同じ理系出身の経営者ですが「人間」に対する興味も関心も、まったくない人物だったとしか私には見えませんでした。創業者の松下幸之助翁の存在を社内から消し去り、企業理念も一切語りませんでした。こんな愚かな経営者は正直、後にも先にも見たことがありません。決算説明会にもほとんど顔を出さず、経理担当役員にまかせきり。パナソニックは業績最低ですが、企業としての腐りぶりが半端ではありません。

新社長に就任した楠見雄規氏は津賀氏の側近ですが、さすがに津賀氏の轍だけは踏んではならぬと考えたのでしょう。社長就任会見は「創業者の経営理念」を全面に押し出す、いわば原点回帰の決意表明の場となりました。この10年でAIやクラウド、量子コンピューティングなど、テクノロジーはものすごい速さで変化を加速させてきました。しかしこれからはそれらのテクノロジーどうしが融合(コンバージェンス)することで「変化の加速」が加速する時代に突入しました。それこそ10年の変化が1年で起こるのです。とにもかくにもスピードが求められる時代になったのです。だからこそ人間に対する深い理解が欠かせないのです。テクノロジーはどこまでいってもテクノロジーであり、それを使いこなすのは人間です。テクノロジーがもたらす新しいサービスもモノを消費するのは人間いがいにはありえません。人間に対する深い理解をもった財界トップ、中西さんが途中退場せざるをえなかったことは痛ましい限りです。

中西さんと相前後してジャーナリストの立花隆さんも逝去されました。立花さんについては書きたいことが山ほどありますが、今日は一点にしぼります。『田中角栄研究』で一躍ジャーナリストとして世にでたために、立花隆さん政治ジャーナリストの色合いが濃くなってしまいましたが、その主要な著書を眺めていくと彼の関心は「人間とは何か」の一点に集約されていることがわかります。彼の最初のベストセラー『宇宙からの帰還』(1983年刊行)における立花さんの興味は、人類170万年間も慣れ親しんできた地球環境の外に初めて出るという体験は、体験者の意識構造に深い内的衝撃を与えずにはおかなかったはずだと考えたのです。

「『これは特筆すべきことだと思うんだが、宇宙体験の結果、無神論者になったという人間は一人もいなかったんだよ』と言いました。漆黒の闇に青々と浮かぶ地球を見たとき、『神』の存在を信じた、多くの飛行士が話してくれたんですよ」(立花隆『知の旅は終わらない』)

宇宙体験後、宗教の伝道者や詩人、画家になった飛行士も数多くいたという事実は、当時の読者に衝撃を与えました。立花さんの興味は宇宙そのものではく、宇宙開発技術でもなく宇宙飛行士という人間の内的世界に向けられていたのです。その後も「サル学」「脳死」「ガン」「臨死体験」等々へと関心はむけられていきますが、その核心にあったものは「人間」にたいするくめども尽きぬ好奇心でした。

高校時代、旺文社の全国模試で1位をとったほどの抜群の理系脳をもちながら、東大文学部フランス語学科に進み、文藝春秋社に入社するも2年で退職してフリーライータとなり、その後東大の哲学科に学士入学して近代哲学の影響を強くうけるなど、まさに行動する「知の巨人」でした。

だが本当に興味深いのは歴史に対する向き合い方です。昭和史の大家と言えばジャーナリストの半藤利一さん(1月に逝去)と保坂正康さんがいますが、このお二人と立花さんは同世代。終戦を小中学生で迎えた戦中派です。半藤さんと保坂さんが太平洋戦争の詳細な史実を明らかにすることで「反戦」を自らのライフワークとしたのに対して、立花さんは明らかに違います。「反戦」ではなく「なぜ負けるとわかりきっていた戦争に突っ込んでいったのか」というアプローチになる。戦争を題材としても「人間への興味」がまさります。私の目には立花隆さんの目線に近いのは日立の中西さんだったと映ります。ビジネスマンたるもの、テクノロジー全盛の時代だからこそ「人間への興味」をあらためて見直してほしいものです。

•ハーベイロード・ウィークリー1221号より転載