TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

「造船王国」崩壊 存在感ます今治造船

🔴大手財閥もひれ伏す

造船業界はかなり特殊な世界で関わりのない人には、何とはなしに凋落しているのだろうという漠然としたイメージしか持ちえないのではなかろうか。1990年代まで日本の造船会社は世界シェアが5割を超え、文字通り「造船王国」でした。しかしその後は、韓国、中国に追い越され、リーマン・ショックを境に撃沈という凋落パターンは日本の家電メーカーや携帯電話メーカーとそっくりです。しかし造船業界には家電や携帯とはまったく異なる現象が起きていました。

それは独立系の今治造船が「造船王国」崩壊の過程でのし上がっていったことです。三井、三菱グループなど大手造船会社が続々とリストラや再編に追い込まれていくなか、愛媛県今治市をベースにしている今治造船だけが、政府バックの韓国、中国企業に抗して世界第4位の造船会社に成りあがっていったことは驚きです。

1月23日に伊予銀行主催の講演会に行った時のことです。講演会場は敬重7年(1608年)に藤堂高虎が築城した今治城を眼下におさめる国際観光ホテルでした。このホテルは今治の都市機能の中心であり、ランドマークタワーとしての役割も果たしている高層のシティホテルですが、オーナーは今治造船。新造船舶の進水式にやってくる船主たちの宿泊先として今治造船が建てたものです。

講演前に伊予国銀行の頭取からかくしゃくとしたひとりのご老人を紹介されました。その名刺にはこう書かれていました。

「今治造船株式会社 グループ社主 檜垣俊幸」

1901年創業の同社の「中興の祖」です。戦後、木造船から鋼鉄船に切り替わる時代から同社をけん引し、度重なる造船不況を乗り越えて、世界の今治造船を創り上げた伝説の経営者です。御年91歳。いまは「社主」となり、社長である長男幸人氏以下、檜垣一族に経営を任せていますが、かくしゃくとした檜垣社主の存在感は圧倒的です。

未上場のため謎の多い企業ですが、瀬戸内の島々に船を建造するドックを持ち、雇用、資材調達、大規模ホテル経営等々、今治市はさながら今治造船の城下町の様相を呈しています。

その檜垣社主が、講演前、開口一番私に向かってこう言い放ったのです。

「サラリーマンの会社はいいですよ。(造船業が)ダメになったらやめちゃえばいいんですから。うちは大変です」

“サラリーマンの会社”とは三菱重工をはじめとする大手重工業系企業の造船専業部門やグループ会社を指しています。そこに対抗するのが今治造船を筆頭とするオーナー造船会社です。そもそも日本の造船所は瀬戸内海に集中しており、関連産業も、資金支援する地方企業を中心とする銀行団も含めて、造船業の一大集積地を形成しています。そこではひとつのピースが欠けても全体が立ち行かなくなる。企業はみな地域社会に貢献するときれいごとを簡単に言いますが、20年、30年と時代の激変に耐えて地元を支えていくには、相応の“覚悟の継承”なしに出来るものではありません。その様子を端的に示した資料を経済産業省が発表しています。造船各社の建造量ランキングを2000年と2016年で比較したものです。

<2000年>

1 三菱重工業

2 三井造船

3 IHI

4 日立造船

5 今治造船

6 日本鋼管

7 常石造船

8 川崎重工

9 名村造船所

10 佐世保重工業

11 大島造船所

12 住友重機械工業

13 新来島ドック

14 幸洋船渠

15 カナサシ重工

<2016>

1 今治造船

2 JMU(IHI、日立造船、日本鋼管合併)

3 大島造船所

4 名村造船所(佐世保重工を傘下)

5 新来島ドック

6 三井造船

7 三菱重工業

8 サノヤス造船

9 常石造船

10 住友重機械工業

11 川崎重工

12 尾道造船

13 北日本造船

14 福岡造船

15 神田造船

🔴傑出したビジネスモデル

一見してわかることは、日本の造船業はいまやオーナー系の造船専業企業が圧倒的な存在感をしていることです。かつてのランキングトップ5は1位から4位までが大手重工系が独占していましたが、2016年にはトップ5のうちの4社はオーナー系にとってかわりました。

今治造船は2017年には三井造船系の南日本造船を買収。売上高は3734億円(16年度)ながら、商船建造量は年400万総トン前後。三菱重工業の6倍、三井造船の7倍を超える。世界シェアでも現代重工業や大宇造船海洋など韓国財閥系に次ぐ4位。17年9月には約400億円を投じて香川県丸亀市に世界最大級のコンテナ船を建造する新ドックを完成させました。大手重工系とは対照的な積極路線をとってきました。その結果、世界の日本造船業を見る目も完全に変わったと日経新聞も報じています。

「『シェアでも世界的な知名度でも、今治が三井三菱を”食って”いる。名実ともに盟主の座が移った』。業界関係者は感慨深げに話す。実は今治造船は1971年以来、三菱重工業から設計技術供与を受ける見返りに、丸亀事業本部(香川県丸亀市)の売り上げの一部を『指導料』として支払う片務的な業務提携を結んでいた。今治造船の技術力が向上したとして提携が解消されたのは2000年代に入ってからのことだ。『ようやく対等な関係と見てもらえるようになった』と檜垣幸人社長は話すが、その差は逆に広がりつつある」

完全に逆転です。日本一の造船会社に伸し上がりました。じつは2018年以降の造船不況で足元の業績は非常に苦しいものになってはいますが、それでも今治造船の持続可能性はビクともしません。その理由のひとつは今治周辺に集中的に存在する「船主」の存在です。日本郵船のような海運会社に大型船舶を貸しだす用船ビジネスを行っているのが「船主」です。世界的にみても「船主」がギリシャと今治に集中しています。今回の講演会でも東慶海運という「船主」の経営者と会いました。今治造船で造ってもらった船を東慶海運は世界最大の穀物会社であるカーギルや、世界最大級の鉱業・資源の多国籍企業であるリオ・ティントやBHPグループなどに貸し出すグローバル企業です。

そして今治最大の「船主」は正栄汽船です。社長はなんと檜垣幸人、今治造船社長です。保有船舶数は多い時には100隻。造船不況時にはグループの正栄汽船が発注して今治造船の稼働率を維持しているのです。“サラリーマンの会社”にはとれないリスクをとり、それを地元銀行が支える構図です。傍目には見えない傑出したビジネスモデルがあったのです。今治造船は村上水軍の末裔だそうです。その闘志あふれるDNAがあったればこそできたビジネスモデルでしょう。

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