TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

参議院選挙は安倍政権に対する信任投票でしかなかった。

今回の参議院選挙に私の知人が立候補した。選挙戦の様子は逐一、SNSにアップされていたが、その姿はまさに死闘。雨の中ずぶ濡れになっての辻立ち。県内2500カ所を訪ねて有権者の手を握りながらのお願い行脚。それは「昭和」の選挙。「令和」になっても日本の選挙風景は変わらない。

「昭和」の姿は選挙スタイルだけではなく、野党の存在も「昭和」だ。

NHKの開票行動の分析によると「老後2000万円問題」も「消費増税」もまったく争点にはなっていなかった。野党が何を叫ぼうが響いてこない。

理由は明白で、彼らに政権担当能力がないからだ。

旧民主党に政権を担当させ、取り返しのつかない失敗をしでかしたことへの忸怩たる思いを多くの国民は忘れていない。

また一方で旧民主党の政治家たちは、大失敗したことへの反省もなければお詫びもない。

分裂し、政党名が変わっても、政権担当能力のなさは何も変わっていない。「昭和」では「何でも反対社会党」などと言われた時代があったが、今の野党はそれと同じだ。倒閣運動だけを目的にするメディアにただ乗りして、スキャンダルを追及することにしかエネルギーを注がない。若者から見れば、その古い政治手法が阿呆に見えてしかたないだろう。安倍批判をいくら繰り返しても、政権担当能力があることを示せなければ、何度選挙をやっても国民は野党を信用しないだろう。

じつに印象的だったことは「増税」を掲げて選挙に臨んだ与党が勝ったことだ。普通は大負けだ。結局、今回の参議院選挙は安倍政権に対する信任投票でしかなかったということだろう。