「小泉vs高市」の間に林が割って入る勢いだと朝日は伝えている。その真偽はともかく、自民党総裁選には違和感しかない。「解党的出直し」というお家芸的な反省ポーズは見せるものの、実際に行われているのは“ポスト石破”をめぐる権力闘争にすぎない。愕然とするほかない。
小泉は永田町役者としては一流だが、総理総裁が務まる人間ではない。半日ほど同行して視察した経験があるが、理解力は極度に乏しかった。愛想はよいが基礎能力に問題があり、「小泉以外なら誰でもいい」と言いたくなるほどだ。ただし、長老たちが担ぐには「軽い神輿」が最適なのだろう。
そもそも、石破辞任を説得した石破内閣の農相が、「はい、次は僕がやります」と手を挙げたこと自体が問題だ。その上、政策は「石破政権の踏襲」、体制は「全員野球」、政権安定化のためには「一日でも早い連立拡大」という。参院選惨敗への反省もなければ、カタチだけの「解党的出直し」すら見えない。透けて見えるのは、小泉の背後に控える長老支配の現実と、勝ち馬に乗りたい議員たちの意地汚い集合図だ。神輿は44歳と大幅に若返っても、担ぎ手は古い自民党のままである。財務省から見ても、超軽量総理は“very welcome”だからじゃまはしない。旧来の秩序を変えない最良の人材なのだ。
小泉推しの菅元総理がすでに維新と水面下で手を結んでいる、という報道もある。もはや自民は茹でガエルだ。「これが最後の自民総裁選になる可能性もある」と危機感を口にしたのはコバホーク。腐った組織を再生させるには世代交代しかないが“自己愛お化け”の集合体、自民党にそんなことができるはずもない。残る関心は、保守回帰を掲げる高市がどこまでやれるかだ。勝ち馬探しに躍起になる議員たちははなから当てにできぬ。頼りになるのは自民党員の良識だけである。党員票しだいで国会議員票の行方も変わるかもしれない。