TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

No charity, but a Chance!

「No charity, but a Chance!」

これは1966年に大分県別府市で誕生した社会福祉法人「太陽の家」の理念です。日本のパラリンピックの父、故中村裕博士が設立した障がい者雇用のための福祉法人です。まだ障がい者雇用に対する意識が低かった日本社会で中村博士は苦戦を強いられます。1970年代に博士は戦後に伸び盛りだったベンチャー企業や大企業に「チャリティよりも雇用機会を」を訴えて協力を求めました。

「当時まだ発展途上だったオムロン(当時・立石電機)の創業者・立石一真氏を中村先生が訪ね『障がい者のために、ぜひ仕事をください』と頭を下げたのです。立石も最初は『果たして事業として成り立つのか』『品質は大丈夫なのか』と慎重でしたが、最終的にはこう言ったそうです。『やるからには、本気でやりましょう。ただの外注ではなく、資本も出し合って、一緒に会社をつくりましょう』。この言葉どおり、両者は合弁で会社を設立することになります。さらに立石は働く障がい者一人ひとりにも数百円ずつの出資を呼びかけました。自分たちも株主として関わることで、『自分たちの会社なんだ』という当事者意識が芽生えるようにと考えたのです。こうして誕生したのが、オムロンと太陽の家が共同で運営する『オムロン太陽』でした」

そう語るのはオムロン太陽(株)の長江豊社長です。じつは7月4日に同社を取材する機会がありました。さまざまな取り組みに感銘をうけましたが、とりわけ印象深く残っているのは精神・発達障がい者との向き合い方でした。身体的な障がい者への向き合い方はすでに50年の経験と蓄積があるものの、精神・発達障がい者に対する組織的知見はこの5年ほど試行錯誤でやってきたと言います。

彼らと向き合ううえで最も大切にしている視点は、「本人の中に障害物があるのではなく、社会や職場が“障害物”になっていないか?」という問いかけだという。また長江社長は「私たちは企業である以上、全社員に成果を求める。その前提を崩さずに、どうすれば精神・発達障害を持つ方々が生き生きと働き、成果を上げられるのか。試行錯誤と実践を繰り返してきた」と言います。

2023年の厚労省「障がい者雇用実態調査」によると、身体障がい者の勤続年数の平均が約12年なのに対して、精神・発達障がい者は約6年と半分です。なぜでしょうか。長江社長はその背景には「なぜでしょうか。長江社長はその背景には「精神・発達障害の方とのコミュニケーションの困難さと、彼らの強いこだわり傾向といった特性に対する職場側の理解不足」があるという。一般的に企業が社員に求めがちな「協調性」とか「リーダーシップ」というものは、そもそも高度なコミュニケーション能力を持っていることが前提です。

「コミュニケーションを不得意とする精神・発達障がい者にすれば、企業の現場は『苦手なことを当然のように求めてくる場所』になり、その結果、本人だけではなく周囲も疲弊し、やがては障がい者が『辞める』という選択になってしまいます。そして転職を繰り返し、自信を失い、社会からの孤立に至るという事例は少なくない」(長江社長)

●見出し

オムロン太陽の秀逸なところは障がい者に対するアプローチの仕方を従来の常識から一変させたことです。常識では足や手などに障害をもった社員たちに対して、どんな仕事なら作業が可能かと考えてきた。つまり「仕事に人を当てる」発想だ。しかしオムロン太陽はその関係を逆転させ「人に仕事を合わせる」ことを徹底したのです。業務を細分化・可視化し、従業員一人ひとりの特性・強み・課題を丁寧に“見える化”しました。そのうえで、「この人がこの仕事をするためには、どのような配慮や設計変更が必要か?」を検討し、作業環境・手順・設備をカスタマイズしてきました。この発想の転換が精神・発達障害を持つ人々が活躍する可能性を大いに広げました。何をどう工夫したのか。長江社長が例示した発達障害の大卒エンジニアAさんのケースをご紹介しましょう。入社早々からAさんの言動は現場に大きな戸惑いをもたらしたそうです。例示します。

・挨拶をしない

・周囲の資料を無断で取り上げる

・居眠りをする

・注意されると奇声をあげる

・トラブル発生時に報告せず、そのまま退勤する

職場は混乱します。当然、現場は混乱をきたします。オムロン太陽はそれらの奇行を「障害による特性」として捉えました。何が問題なのか。それを細かくリストアップして可視化し、重要度や対応する必要の有無を評価したのです。

「『改善の必要がある行動』か『理解すれば受け入れ可能な行動』かなどを整理し、本人と日々のやりとりをして、月1回の支援者会議(本人・上司・人事・社長を含む)を重ねていきました。その際、大いに役立ったのがWEBベースのコミュニケーション支援ツールでした。電子版の交換日記のようなものです。日々の体調、スケジュール、困りごとなどを本人に記録してもらい、支援者会議メンバーも共有します」

この電子版交換日記の効用について長江社長はこう説明しました。

「精神・発達障害のある方はFace to Faceのコミュニケーションに困難を抱えていると私たちは考えています。しかしそうした方でも、タイムラグのあるコミュニケーションであれば落ち着いて自己表現ができるケースがあります。電子版交換日記を通じて、自分の困りごとを率直に表現し、またそれをきちんと受け止めてもらえた経験が、やがて会社に対する信頼へとつながり“自己開示”が可能になる。この自己開示ができるようになると、会社側も現場の何が彼らの“障害”になっているのかを認識できるし“合理的配慮”を具体的に設計できるようになるのです」

「仕事に人を当てる」のではなく「人に仕事を合わせる」環境づくりができるのです。

身体障がい者でも精神・発達障がい者に対する場合でも一貫した思想であることがわかります。電子版交換日記で「職場に安心・安全な居場所」をつくり、上司や・人事、社長等が本人と月に1回会議を繰り返しながら、信頼関係を築いていったのです。

「入社5年後、Aさんはまったく別人のように成長しました。今では支援なしでも問題なく業務をこなし、後輩の指導も担当するほどになりました。最近、本人がふと漏らした『この会社、間違いないですわ』という一言が私たちにとっても大きな喜びでした。もちろん、全員がこうなるわけではありません。今も現場は試行錯誤を続けていますが、それでも、『やれば変わる』『共に歩めば活躍の道はある』という実感が、組織の自信になっています」

驚くべきはその副次効果です。このような障がい者支援活動が組織全体を変化させていったのです。あるとき健常者の社員からこんな声があがったそうです。

「なぜ障害のある人だけが自己開示ができるのか。私たちも弱みを見せ合って支え合うべきじゃないか?」

その一言をきっかけに、職場全体の風土も変わり始めました。障害の有無にかかわらず、「困ったときに困ったと言える」「自分の特性を受け止めてもらえる」――そんな関係性が組織全体に少しずつ育ってきているそうです。

オムロン太陽の長江社長は「私たちが蓄積した取り組み・ノウハウとそこで活躍する社員の存在を広く世に伝えること」を自社の大きなミッションと考えています。

ご興味のある方はホームページにアクセスしてください。

https://www.kyoto-taiyo.omron.co.jp/