TAKARABE
JOURNAL本質を捉える視点

先の見通せない今だからこそ「おもしろおかしく」

「僕は京都中華思想の極致みたいなもの」と破顔一笑の堀場雅夫さん。
日本のベンチャー草創期を切り拓いた一人、堀場製作所の創業者は90歳になってもユーモアと色気を感じさせる方でした。堀場さんが亡くなられてから6年。9/24の『タカラベnews&talk』は、堀場雅夫さんのアーカイブ映像で、起業の原点に迫ります。昭和20年、京都大学2回生の堀場さんは原子核物理学者になることを目指していたGHQにより研究禁止。それでも諦めず、必要な研究機材を接収されぬよう、自前の借り家に持ち出して研究継続。卒論は書き上げたもののGHQは核物理の研究を認めようとしなかった。
「大企業もみな戦争でやらていたし、核物理の学生を採用する会社もない。これは自分で事業をやるしかない」
これが世界一の分析機器メーカー誕生のきっかけでした。人間万事塞翁が馬。何が幸いするかわかりません。
「真似しいは京都じゃ嫌われる。どんなに規模が小さくてもいいから、世界一のものを持たなければいけない」
堀場さんの言葉は時を超えて胸に響きます。
圧巻は社是に「おもろしろおかしく」を役員決定するまでのエピソード。上場時に、取引所の理事長に社是を作れとうながされたが、ありていのものがピンとこなかった堀場さん。これしかないと勢いこんで「おもろしろおかしく」を役員会に提案した。いつもどおり議案はすんなり通るものと思いこんでいたら、役員たち猛反対。
「社長のお気持ちはようわかりますかすが、社是いうもんは高尚なもんでっせ」
「取引先に何言われるか、わかったもんじゃありませんよ」
次から次へと役員たちが反対表明。
「こいつらなんもわかってないな。全員クビにしたろか」と堀場さんは立腹したそうですが、思い直しました。
「これでクビになったら、これほど『おもしろおかしく』ないことはない。だからクビはやめた」
その6年後、社長から会長に退く折、社員たちが「何か記念にプレゼントをしたい」を堀場さんに嬉しい申し出をしてくれた。
「プレゼントは何もいらん。そのかわ社是を『おもしろおかしく』にしてくれ!」
「このおっさん、死ぬまで言いよるで」
役員たちも観念。世界に類例を見ない社是はこうして生まれたのです。私との対談もユーモアたっぷり「おもしろおかしく」進行しましたが、それでいて人間の機微に触れる含蓄ある言葉で溢れていました。
9月の『タカラベnews&talk』(BS11)は放送は終了しましたが、
オンデマンドで視聴可能です。
https://vod.bs11.jp/video/insideout-takarabe-news-talk/rLeV3I/