株式会社 Mon cher 代表取締役 金 美花 氏
趣味・今、はまっていること: 毎朝鰹節を削り、カツオだしを作ってすすること。
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“How Much”よりも“How Long”を大切に「長生きする会社」を目指す

株式会社 Mon cher
代表取締役 金 美花 氏(写真左)
専務取締役 金 春花 氏(写真右)

財部:
ご紹介者の小林製薬の小林章浩社長は、お話を始める前から「次の方は、金さんしかいません」とおっしゃっていました。

金 美花:
ありがとうございます。光栄です

金 春花:
以前から親交のあったマツモトキヨシホールディングスの松本清雄社長とたまたま大阪であるパーティーでお会いした際に、同席されていた小林社長をご紹介頂きました。その際とても印象が良く、年齢も近く本社が同じ大阪という事で、後日スタッフ達と「ケーキをお届けします」とお伺いしたところ、大変お忙しい中でお時間を作ってくださいました。本当に気さくで朗らかで、大企業のトップとは思えないくらいです。マツキヨの松本さんとは全然カラーが違うのに、2人は仲良しですね。

財部:
まったく違うタイプですね。 小林さんが(モンシェールさんの)大阪本社の社長室にぜひ行ってくださいとおっしゃっていましたが、ずいぶん豪華なのですって?

美花:
あの部屋は応接間なのです。エンジェルルームと名付けているのですが、内装は私たちの趣味で、ロココ調に仕上げています。家具はメイドインベニスで、5分で気に入って買いました。本当は社長室にと思っていたのですが、置いてみたらずいぶん立派になりすぎてしまって、これは社員からクレームがくるなと思いまして(笑)。それで応接間にしますと言って、私は社員たちと並んで仕事しています。今度ぜひお越しください。

財部:
ありがとうございます。

春花:
小林社長には本当にありがたい気持ちでおります。日本を代表する社長さんたちが名を連ねていらっしゃるので、小林社長に「私たちモンシェールは弱輩だから、その場にふさわしくないのではないか、その確認をまずお願いします」と申し上げたのです。

財部:
それはまったく問題ないことです。私もお目にかかりたいと思いましたので、その場で是非にと申し上げました。ところで、双子で経営をしているというのは珍しいですね。

美花:
そうですね。(双子は)揉めることが多いとよく言われますが、それは欲しいものや価値観の問題だと思います。似た者同士だから揉めるのではなく、欲しいものが一緒の時に揉めるのでしょう。お互いが「このような名声を得たい」とか「この人から好かれたい」、「こういうものが欲しい」というように、1つしかないものを取り合うときに揉めるのだと思いますが、私たちは欲しいものがかなり違います。仕事でいうと、私はものづくり、ケーキとかパッケージとか、厨房の中に関心があり、そこが大切だと思っていますが、妹の春花は人に会ったり、ブランドの価値を高めたりするのが好きで、フットワークが軽く、お客様に呼ばれてもすぐに行ってくれます。

春花:
私が営業系かもしれません。よほどの時は2人で行きますが、なかなか忙しいので、私が1人で2人分動こうと。それでかなり補完関係が成り立っていると思います。それでも最初は、揉めることが多かったのです。

財部:
そうなのですか。

美花:
はい。「私たちは男性の好み以外は一緒」と思っていました。でも妹と一緒に仕事をするようになってから「なぜこんなことがわからないのか」とか「なぜそんなことをやるの」ということがたくさんあって驚きました。(2人は)そっくりそのままだと思っていたのに、そうではなかったからです。

春花:
価値観も一緒だと思っていた。

美花:
初めて男性の好み以外にも違うものがあることがわかりました。「本当はこんなに違っていたのだ」と。

春花:
一緒に仕事をするまでは、私がアクセル役で姉がブレーキ役だと思っていました。でも仕事を始めると、逆に、姉がアクセル役で私がブレーキ役だということを、自分でも初めて理解しました。それからは、自分の言っていることだけが正しいとは思わなくなりましたね。

財部:
私にも双子の弟がいるのでわかりますが、双子は圧倒的な力になると思っています。

美花:
モンシェールの成功は、双子で経営していることも大きいですね。私は双子で生まれてよかったと思っていますが、暗い夜道を1人で歩くのは怖くても、友達が1人いるだけで10倍寂しくないのです。1人の人生ではないから「何でもチャレンジ型」になったのかもしれません。私たちはたぶん得をしていると思います。

財部:
友達も、理解し合える人もいますが、双子の関係は本当に以心伝心です。同じ問題や苦労を抱えていても、「あいつもそうなのだ」と思うことで支えられることが本当にあるのです。そうは言っても、双子はお互いに競り合う部分がありますが、それはなかったのですか?

美花:
私は独身ですが、妹は結婚していて子供がいます。2人とも結婚していて子供がいたら、もしかしたら、「私も負けないように頑張ろう」と思っていたかもしれません。でも、そこは環境が違うし、今はお互いに自分の人生これで幸せ、と思っています。

財部:
小さい頃からそうだったのですか。

美花:
うちは父が非常に厳しく、私が10分だけ先に生まれてきただけなのに、子供の頃から完全に上下の関係で育ちました。お姉ちゃんができないといけないとずっと言われてきました。お菓子や食べ物を半分にするのも私の役目でした。綺麗に半分にできます(笑)。

春花:
いつも姉がさっとやるから、ずっと簡単なことだと思っていました。でも自分がやってみたら、これが難しい(笑)姉に甘えて育ってきたのだなと感じましたね。

財部:
必ず「ま半分」にするのは難しいですよね。わかります(笑)。

美花:
良かったのは、29年教師をやっていた母が、子供の頃から2人の長所を認めてくれたこと。「挨拶はお姉ちゃんができるね、でも足が速いのは春花だね」とか、「算数はお姉ちゃんができるけど国語は春花ができるよね」、「掃き掃除が上手なのはお姉ちゃんで、拭き掃除が上手なのは春花だね」、と言ってくれたので、隣で誰かが妹を褒めていても悔しいと思わないのです。それぞれの持ち分があったのでライバルにならなくてすんだのが良かったですね。

財部:
叱ると褒める、お父様とお母様で役割が明確だったのですね。

美花:
厳しい父とおおらかな母との中で育ちました。父は一人息子で、母は8人兄弟の長女。全く逆なのですが、今思えば父は毎日がマナー教室のような感じでした。

春花:
靴の揃え方とかお茶碗の持ち方。夕飯はまるで蛇に睨まれた蛙のように食べなければならなかったので、おいしそうに食べろ、という表情の指摘があるくらいでした。だからふたりとも痩せていましたよね(笑)。毎日登校する前には、家中に掃除機をかけてから行っていました。

美花:
学校から帰ってきたら洗濯物を取り込んで、その後はすぐに宿題。夏休みの宿題は7月中に終わらせなければならなかったので、カツオくんとかのびたくんが、8月最後の週に宿題が終っていないというシーンは信じられませんでした。妹がいつも言うのですが、父の眉毛がちょっと動いただけで、「あっ怒っている、何かしなきゃ」と緊張したり。ですから父のことは好きではなかったですね。

財部:
それは親子関係が成立しなくなるのではないかという厳しさですね(笑)。

美花:
はい。でも、モンシェールをやりだしてすぐに「お父さんありがとう」に変わったのです。スタッフにきちんとホスピタリティや礼儀作法を教えることができました。お客さんを見ていても「何か不満そうな顔をしている」「怒っていらっしゃるに違いない」とすぐに気が付いてスタッフに指示を出すことができます。仕事をして初めて父に厳しい躾をしてもらったことに感謝しましたね。

春花:
礼儀作法に関しては、私たちは在日韓国人ですので、その分、より心がけるべきだと思っています。お世話になった方には筆ペンでお礼状を書き、暑中お見舞いやお歳暮など、季節のご挨拶も大切にしています。かなり時間がとられますので、そこまでしなくても良いじゃない、と言われますが、日本の常識がわかっていない、と言われないようにと思っています。そこは気を付けてきましたので、知人に、あなたは日本人以上に日本人ですね、と言われたときは、とても嬉しかったです。日本の文化に敬意を払いながら、韓国の文化も大切にする。それは、二つの文化の中で生きていかなければならないというよりも、両方の素晴らしさとともに生きていけるのだという利点があるのだ、と。そんな風に思っています。

財部:
自然体のおふたりの生き方は素晴らしいと思います。

春花:
在日の人は通名をつかうことが多いのですが、一切使わず、中学生からずっと金を名乗っています。

財部:
お父様の躾というのは、厳しいだけではなくて本質的なところを問うていたのですね。

美花:
在日の中では比較的帰化する方が多いですが、私たちの家はどちらかというと生粋の、日本に住んでいる韓国人。店をやるとき、母は「ケーキ屋さんで金だと評判が悪くなるからやめなさい」と心配されました。でも成功した時に後悔すると思ったので、やはり本名でモンシェールを始めました。韓国で生まれ育っていたらモンシェールは絶対に作り上げられなかったと思いますし、日本人としてケーキ屋をやっていたら、日本のスイーツの価値を客観的に評価できず、海外展開もなかったかもしれません。両方の視点を持つことで今があるのだと思います。

財部:
お父さんは、モンシェールの成功を見て、なんとおっしゃったのですか。

美花:
じつは最初は両親には内緒で始めました。心配させないように「ケーキ屋さんで店長のアルバイトをやっている」ということにしていました。3年後もう潰れないなと思って、まずは母を呼びました。大阪駅から堂島まで、オレンジの紙袋を持って歩いているお客さんを見てすごく喜んでくれました。父には5年間言えませんでした。話すと喜んではいたものの、やはり大丈夫なのかと心配していましたね。母は父に「堂島ロールの身内だなんて内緒よ」と話していたようですが、ある日、父に高齢者の施設に呼ばれて、行ってみたら、「堂島ロールの社長さんですね」とみなさんに歓迎されて、ぜんぶ父がしゃべっていたのですね(笑)。

財部:
それは微笑ましい話ですね。娘さんたちの活躍が本当に嬉しかったのですね。



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