オムロン株式会社 作田 久男 氏
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作田:
彼らはまだオムロンの「オの字」も知らないわけだから、まずは良い仲間に恵まれて、良い仕事を楽しくやることが先決でしょう。当然のことですが、そういう人は自然と評価も高くなり、昇進するようになるわけです。だから「こういう良い環境、楽しい環境でもっと働きたい。そのためにはオムロンという会社が存続してくれなければ困る。だからオムロンのために自分は働くんだ」、というのが、僕は最も素直な「会社に対するロイヤルティ」だと思うんです。

財部:
なるほど。それはひょっとして、社長ご自身の経験に基づくところでもあるんですか?

作田:
そうそう。じつは私はこれまで3回、会社を辞めようと思ったことがあるんです。その一番最初が、32歳か33歳の頃だったと思うんですが、私が担当していた会社からの支払いがストップしたときなんです。こんな私でも40年間、順風満帆にきているわけではなくて、正直言って嫌なことはずいぶんありました。その時々に、「まあ、ここにおっても仕方ないな」と思うこともあったんですが、やはりそこで辞めなかったのは、仲間の存在なんですよね。

財部:
ほお。仲間というのは、先輩も含めてということですか?

作田:
私は工学部出身なんですが、会社に入って間もなく同志社大学法学部の夜学に行きました。この先、エンジニアだけではどうも面白くないなあと思ったんです。そして、そのあと営業に移り、名古屋支店に配属になってからは、中小企業診断士の資格を取るために、また夜学に2年間通いました。それで今度は、中小企業診断士の資格を取ったあと、「商売上、法律の知識があった方がいい」と思い、司法書士試験の受験のために2年間専門学校に行ったんです。

財部:
そうなんですか。

作田:
当時の私は「会社を辞めても、中小企業診断士で飯が食える」と思っていました。でも、私が最終的に会社を辞めることを思いとどまったのは、「一緒にやっている多くの仲間は、辞めたくても辞められない。自分はたまたま運が良くて、会社を辞めても食える環境にあるだけだ」と考えましてね。やはり縁あって、会社で一緒になって仲間とやってきたわけだから、自分だけが「条件が整った」といって辞めるのは、ちょっと潔くないなあと思ったんですよ。

財部:
さらに2度目、3度目もあるわけですよね。それでもやはり、会社に踏みとどまった理由は何ですか。

作田:
まあ、後になるほどもっと打算的な考えですよ。もっとも打算的とはいっても、社内での昇進とかそういうことでもないんですが――。じつは僕が42歳でアメリカから帰ってきた時に、ある会社から転職の誘いがきたんです。「現在の、あなたの年俸の倍は支払う予定があります。ぜひウチにきていただけませんか」と。まあ、お金は多いに越したことはないわけですが、仕事の面白さからいうと、そこよりオムロンでやった方が、どう考えても可能性が高かった。すでに会社で20年の経験があり、社内の上にも下にもパイプができていたわけですからね。結局、最初のうちは仲間への忠誠心とかピュアな部分で思いとどまったわけですが、あとはソロバン勘定で、仕事の面白さと先の可能性、それから得られる収入で選択したことになりますね。

「自分たちが創業者を乗り越えなければ、この会社はどうなる!」

財部:
やはり作田社長の中で、創業者の立石一真さんは大きな存在だったのでしょうね。

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作田:
もちろんその通りです。でも正直なところ、私は会社の多くの先輩が、彼を神様のように言ったり考えたりしていることに対して、むしろ腹を立てていたんです。「アホか、自分たちが立石一真を乗り越えなければ、この会社はどうなるんだ!」、とそういう気持でやってきました。

財部:
ほお――。でも実際に、ご自身が実際に社長になられたあともそういう思いは変わりませんでしたか。

作田:
社長になってからも、マスコミに「尊敬はしてるけど、大尊敬はしてないぞ」と言っていましたね(笑)。でもね、私はね、立石一真が築き上げた価値観の中でうろちょろしているだけなんだと思いますね。もちろん私自身、社長になってから、IRも含めて「自らの意思」でさまざまなことを話していますが、それも結局、立石一真が言っていたことのごく一部を語っているのに過ぎないなあ、という部分がありますね。

財部:
それはもう、自分で実感されたのですか?

作田:
はい。たとえば先日、「個人も、組織も、会社も、夢と誇りと自信がなければ、モチベーションを長期間にわたってキープすることはできない」と、社員に話したばかりです。なかでも、オムロンという会社としての夢は何かといえば、「ソーシャルニーズの創造」でなんですよ。そんなことはもう40年も前に立石一真が言っていたことなんです。私はそれができればもう十分だと思っています。

財部:
そうですか。

作田:
オムロンは立石一真の時代から「企業は社会の公器」だと言い切っているわけです。潜在的なソーシャルニーズを顕在化させることが、まさしく当社が果たすべき役割です。実際、われわれは社会からさまざまな経営資源を預かっているので、当然、社会に対してアウトプットを出していかなければならない。その結果、つまり社会からの通信簿として、われわれは利益をいただける。そして、その利益も、われわれが飲み食いに使うわけではなく、社会へ再投資すべきもの。こういうことを、先日も社員に話したばかりですが、じつはこれは40年前に、立石一真がわれわれに話していたことなんですね。私はオムロンに入って40年間いろいろとやってきて、いま社長もやらせていただいているけれど、やはり立石一真という男の頭の中の一角を、ぐるぐる回っているだけではないか。むしろ、それでもしゃあないなあ、と思っているんです。

財部:
でも作田社長ご自身としては、立石一真さんとはまた違うバリューなり価値観を、この会社に残していきたいという気持ちはおありですか。

作田:
いいえ、ありません。私は立石一真のそういう思いを、全世界3万3800人の社員に私と同レベルで理解してほしいと思っています。会社に入ったばかりの人は別にしても、入社3年、5年、10年という比較的社歴が浅い人にも、こうした理念をよく理解してもらいたい。だから私にとっては、立石一真と違う世界を打ち立てることよりも、立石一真の世界を、もっときちんと伝えていくことの方が大事だと思いますね。

財部:
いや――、そうですか。私はある意味で、松下電器の中村会長も、作田社長と近い考え方だったのではないかと思います。実際、誰もが幸之助さんの理念を語り、毎朝復唱はしていても、それじつは形式だけになっていた。そこで、「幸之助爺が泣いているぞ」などの批判をいろいろと浴びながらも、中村さんは誰よりも幸之助さんのことを強く思い、その理念を深く浸透させていきたいと願っていた。これが私自身の非常に強い認識で、作田社長のお話も、これと大きく重なりある部分があると思います。

作田:
まあ、中村さんと私ごときをくらべても仕方ないですが、そんなことをよく言われます。むしろ経営者の方々よりも、京都のお茶屋さんの女将とかがですね、「作田さんって、中村さんとよく似てるよね」と言ってね――(笑)。

財部:
そうでしょう(笑)。では、最後にもう1つ伺いたいのですが、いまご自身が最も強く感じていらっしゃる、社長としての課題はどこにありますか? それは作田社長がこれからやっていきたいこと、というレベルでも結構なんですが。

作田:
まあ、やりたいことというよりも、正直言って一番の課題は後継者育成です。この私も、社長に就任して丸4年が経っていますから、自分自身の「恐怖感」として、長く社長をやってはいけない、という気持ちがあるんです。誰しも長く社長をやっていくうちに、やはり何か間違いを犯すものですからね。

財部:
ご自身の恐怖感としてあるわけですか?

作田:
そうです。その意味で、大会社のトップが6年ぐらいで交替するというのは、非常に良いメカニズムだと思います。1つはやはり、個人的な努力は別として、外部環境がいやおうなく変化してきますから、基本的にはその時々にベストの人が社長をやるべきだ、という考えがありますね。そうは言いながらも、毎年社長が変わるのは、やはり企業にとっては困ることですから、まあ6年ぐらいを目安とするのが妥当でしょう。とくにオムロンの場合、10年単位の長期構想で戦略を進めていますから、できれば次に社長をやる人物には、次の長期構想を作るところから経営に参画してもらいたい

財部:
そのためには、これから代々続くCEOの皆さんがどれだけ明確なビジョンや実行力を持ち続けられるか、という面が大きいですよね。

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作田:
私自身も、ただ言うばかりで、それがきちんとできているかどうか。ちょっと恐縮しています。やはりCEOは、自分自身がどんなことにプライオリティを置き、何に対して関心を高く持っているかということを、きちんと社内外に示さなければいけません。それをやりすぎると八方美人になる。それに、われわれはメーカーですから「技術が高い」ことが大前提。むしろ「それはどんな技術なのですか?」ということと、さらにもう一歩踏み込んで、「それにどれだけの投資をするのですか?」という質問に、しっかり答えることができなければいけません。それと同様に、「人を大切にする」というのも、そんなことは誰もがわかり切っているから、「それは何をどうすることなのか」というメッセージまでが出てこないと、個人の特色というかカラーが活かせないですよね。

財部:
その中で、作田社長はどこに一番プライオリティをおかれているんですか?

作田:
まあ私は、ずっと技術、技術、技術。だから、具体的に、これはどういう技術なのかということを言ってきています。やはり、どの会社でもそうでしょうが、品質を向上させる目的としては、お金のためはもちろん、企業のレピュテーションのためという面もあるわけです。そして、その品質の「相方」になるものが2つありまして、1つが、ケアレスミスをなくすために頑張りましょう、というプロセス管理の手法。そして2つ目が、技術の裏付けをもって品質を向上させる方法です。

財部:
たとえば、どんなことですか。

作田:
ウチは割と、小さな部品をたくさん作っている会社ですから、ケアレスミスをなくすことに対しては、マニュアルも含めて1つのルーチンの中で実践しています。それから、もう1つ重要なのが「SPC(統計学的プロセス制御:Statistical Process Control)」。つまり、製品を大量に作るわけですから、できあがったものがどんな特性を持っているのかということを、統計学的にきちんとおさえようという考え方です。一方、当社の製品には部品ではない装置やシステムもありますから、その品質管理については「FMEA(故障モード影響解析:Failure Mode Effective Analysis)」を行っています。要はこれは、どんな影響の下で、どういうタイプの故障がどのように発生するかを調べ、「このツボをおさえたらこういう故障はこの程度減少します」ということを解析するわけで、これは完全に学問の世界です。

財部:
そうなんですか。

作田:
もう1つ、私は「技能から技術」という考え方にプライオリティを置いています。実際、それは「技能」と「技術」のどちらが大事かということではなく、私は「属人的なもの」を技能として認識しています。ところがそれを、皆で使い回すためには、「属人的なもの」から切り離し、一般化しなければなりません。「技能」を個人から切り離した瞬間に「技術」になると私は思うんです。

財部:
ほぉ。

作田:
だから財部さんが、ご自身でお持ちのセンスを切り出して、周りの方に「どうぞ使ってください」といった瞬間に、財部さんの「技能」は「技術」になるわけです。これは企業についてもまったく同様で、私がトヨタさんが本当に凄いなあと思うのは、あの「カンバン方式」が技能から技術になり、すでに企業文化にまで高まっていることですよ。あれは本当に凄い。ところがフォードやGMは、「カンバン方式」をいまだに、たんなる一技術として一所懸命に理解しようとしているから、なかなかうまくいかないのだと思いますね。

財部:
なるほど。今日はどうもありがとうございます。

(2007年5月11日 京都市下京区 オムロン株式会社本社にて/撮影 内田裕子)