日本生命保険相互会社 代表取締役会長 岡本 圀衞 氏

財部:
私はベンチャー育成のために、多様な官民ファンドを通じて、役人の手を経ない使途自由なお金を出すべきだと考えています。大企業は若者の雇用拡大に慎重で、しかも今年4月から施行される「改正高年齢者等雇用安定法」によって、事実上の65歳定年制が義務づけられると、若者の雇用や所得が減るリスクもあります。

岡本:
私もそこは重要なポイントだと思います。また、東日本大震災の時もそうでしたが、お金をつぎ込んでもそれが有効に使われていないという問題があるのです。建物を造るには、様々な役割を担う職人さんが必要ですが、そうした職人さんが足りない状況です。いくらお金をつぎ込んでも建物を造る職人がいなければできるわけがありません。私は、今度の公共投資にもそういう問題が起こるのではないかと危惧しています。政府は公共投資で雇用を増やせると言っていますが、それぞれの分野にふさわしい人がいるのかどうか、いなければそうした人材をどう育てるのかということも考えていく必要があるでしょう。

財部:
そうですね。

岡本:
ただお金をつぎ込めば日本経済は発展すると考えるのは短絡的です。その事業を担うのは誰か。雇用を増やすべき分野に、ふさわしい人材を確保し得る仕組みやシステムができているか。こういうところをキッチリと押えていかなければなりません。

財部:
ことに女性に対する視点が必要ですね。

岡本:
少子高齢化の中で、生産性を維持・拡大するためには、女性の雇用確保や女性人材の育成が社会的テーマとなっており、この点についても考えていくべきだと思います。当社は約7万名の従業員のうち、女性が6万名以上いて、約9割を占めます。

財部:
そんなにいるのですか。

岡本:
女性は仕事が丁寧で、また粘り強く、生命保険の営業や事務に大きな力を発揮してくれています。また、当社の女性管理職は年々増加傾向にありますが、彼女たちの女性目線での細やかなアイデアなしでは経営の発展は望めません。

財部:
しかし、女性の活躍が必要だと言われ久しいですが、道のりは遠いですね。

岡本:
日本の女性就業率を見ると、先進国の中では低位にとどまっています。女性の就業率を高めていくことが、わが国の持続的な経済成長を実現する方策の1つであり、日本経済に明るい兆しが見え始めている今、国全体で女性の雇用確保や女性人材の育成について、これまで以上に取り組んでいくべきだと思います。

支払問題は「本気で変わる時だ」と真剣に取り組んだ

財部:
ちょうど岡本会長が社長をされていた頃に生命保険各社は支払問題がありました。

岡本:
私が社長だった6年間のほとんどをこの支払問題の解決に費やしました。これまで社内や業界で当たり前だったことから、発想の大転換が必要でした。非常に苦しかったのですが、振り返ると、この支払問題は経営としてのきちんとした方針を立てる契機になりました。本気で変える時だと、社内で真剣に取り組みましたね。

財部:
社内で意識改革を促す中、何に一番苦労されましたか。

岡本:
まず平成20年7月に当社を含む生保10社が業務改善命令を受けたのですが、ここで問題になったケースは支払漏れに加え、請求案内漏れでした。この中で大半は請求案内漏れでしたが、これは、保険金・給付金を受け取る事由が発生したお客様に適切なご案内が出来ていなかったために起こったことです。それまで、われわれはお客様から請求があった場合に保険金・給付金をお支払いするものと考えてきました。

財部:
はい。

岡本:
これは契約に基づくもので法的には問題がないのですが、お客様から見れば、自分が保険会社に請求をしなくても保険会社が支払うことを望まれる方もおられるでしょう。最初は「そこまで対応するのか」という気持ちもなくはなかったというのが正直なところです。でもそこは真摯に受け止めました。「すべてはお客様のために」という方針を打ち立てて、保険のご加入から保険金・給付金のお支払いに至るまで、全てのプロセスを見直しました。

財部:
具体的にはどのようなことに取り組んだのですか。

岡本:
まず、「ご契約内容確認活動」という取組をスタートさせました。全てのご契約者様を訪問して、ご契約内容をご説明することにしました。加えて、毎年訪問し「この1年間、おかわりありませんか」ということで、入院、通院、手術歴、あるいはご家族の様々な変化等をお伺いして、お支払事由に該当していないか確認をしました。

財部:
すべてのお客様にですから、それは大変な作業でしたね。

岡本:
そうなんですよ。でもやらなければなりませんから・・・。それにもう1つ。システムインフラも抜本的に見直しました。「ご契約内容確認活動」などの人の面での取組に加え、システムでもきちんとした対応ができるように、新システムの構築を始めました。これには1,500億円を投じましたし、完成するのに5年を要しました。

財部:
一般論ですが、一度崩れた契約者との信頼関係を再構築できるか、どうかが、保険会社にとって最大の課題でした。

岡本:
そうなんです。でもこうした取組に全力を傾注したおかげで、東日本大震災の時には万全の対応ができました。本社職員が一斉にお客様の安否確認を行い、2か月半後の5月末には岩手・宮城・福島の約38万1千人のお客様のうち9割以上、そしてその後すべてのお客様の安否を確認することができました。

財部:
そうだったのですね。

岡本:
加えて、新システムの構築により、平成24年度には「みらいのカタチ」という先進性と自在性を兼ね備えた新商品の発売や業界最先端のITインフラとも言える営業用の携帯端末を導入するなど、すべてのお客様に対して、一生涯にわたる新たな総合保険サービスをご提供し、お支払いを万全にできる体制が整いました。

情報整理の極意は、自分の手で書くこと

財部:
今回、事前にお答えいただいたアンケートの回答を拝見して思うのですが、普通は本なら本、映画なら映画と、それぞれのジャンルに関する皆さんの嗜好がわかるだけで、その間に共通する価値観を見出すことは、あまりありません。岡本会長が「人生に影響を与えた本」に挙げられたのはドストエフスキーと夏目漱石。人間を見つめる洞察の深さという点が共通していると思います。

岡本:
私は特に意識していませんでしたが、ご指摘いただくとなるほどと思います。漱石は10年余りしか活動していませんが、非常に円熟していて、今読んでも内容が全然古くありません。また江戸っ子的な語り口調が実にすっきりしていて、私も真似をしたいと思っています。物事について常に明快に語ろうというか、普遍的なものに憧れると言うのでしょうか。そういう部分で、非常に共感するのです。

財部:
ドストエフスキーは何度もお読みになったと。

岡本:
『カラマーゾフの兄弟』を高校後半から大学の頃に読みましたが、それを会社に入ってからまた読むと、全然印象が違うんですね。本は奥深いですから、悩みを持ったり、感激したり、自分の経験が変わっていったりすることで、作品に対する理解が変わっていくのです。また、年齢によって読む本が違うということは当然ありますね。ただ私は、経済書は苦手でして、むしろ社会学とか文学の本の方が、人間の根源に根差しているような気がするのです。したがって、為替が今どうだという本よりも、そちらの方が好きなのです。

財部:
また『二十四の瞳』と鶴田浩二の映画もあげています。これも人間を見つめる洞察の深さという意味で共通していますよね。

岡本:
好きなものを挙げていったらそうなりました。『二十四の瞳』は苦しい戦争の時代の話で、理由もなく泣けてしまうのですが、ヒューマニズムも色濃く流れています。鶴田浩二の映画は、アンケートに「様式美の極致」と書きましたが、本当に我慢に我慢を重ねて、最後に正義が爆発するストーリーが好きなのです。地域の人が皆苦労している中で、勇気を持った、ある1人の人間が悪に立ち向かうという様式はおそらく日本独特で、海外はもう少しドライです。三島由紀夫もその辺をよく褒めていましたね。

財部:
私なりに申し上げますと、固有名詞を挙げられている夏目漱石、『カラマーゾフの兄弟』、『二十四の瞳』、鶴田浩二の映画に皆共通しているのは、その時代背景をリアルに描き、その中で生き抜く人間の姿をさらにリアルに描いていこうという作品ばかりですよね。

岡本:
そう言えばそうですね。ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』に出てくる3人の兄弟を、それぞれ「知・情・意」を体現している人物として登場させ、彼らの父が殺害された事件を描いています。翻訳者も重要で、ロシア文学者の米川正夫氏の翻訳が好きで、トルストイなら中村白葉氏、ツルゲーネフなら神西清氏に馴染んでいます。実際に翻訳を読むと難解ですが、難しいレベルの翻訳を必死に理解しようとするのも楽しいものです。最近、非常に読みやすく翻訳した本もあるようですが、私はそういうのはどうも・・・。

財部:
座右の銘は「平常心と好奇心」。

岡本:
平常心というのは、私は「あがり症」なので、常に平常な気持ちで接しなければならないと思い、支社長になった頃から意識し始めました。好奇心の方は昔から旺盛で、何にでも飛びついています。ちょっとノートを持ってきたのですけれど…。

財部:
それが、そのノートというわけですか。私は岡本会長の「ガラクタ」とも言われている「趣味を書き込んだ自作のノート類」がどういうものなのか、気になっていました。

岡本:
たとえば「趣味のノート」というものがあるわけです。どういうものかと言うと、芥川賞や直木賞の受賞作品、日本や海外の名作・ミステリー作品、日本と世界の名作映画、日本の寺百選、仏像、名城、戦国の合戦地などについて、自分がどれだけ本を読んだり現地に行ったりしているかをチェックするためのノートです。たとえば芥川賞受賞作品のノートでは、丸が書いてある本は全部読んだもの。このノートを見れば、まだ読んでいない作品がわかるのです。これは日本のミステリー作品100冊で、こちらは日本の名作400冊。ノートを見れば「これだけ読んでいるのだ」とわかる。

財部:
確認される、ということですね。

岡本:
はい。これらの本が、どのような内容で、読んでどう感じたかを書いておくノートはまた別にありまして、全部感想文を書いています。それを読み返すと、「この本はこういうストーリーだったな」と思い出せます。「日本の寺百選」は、ある本から有名なお寺を100か所選んだもので、この「百名城」のノートには、実際に行ったところを赤色でマークし、写真もちゃんと撮ったものを青色でマークしています。それから、日本の映画をどれだけ見たかをチェックするためのノートが、この「日本の名作映画140」。丸印がすでに見た作品ですが、戦前のものはなかなか見られないですね。