岡本硝子株式会社 代表取締役社長 岡本 毅 氏

財部:
ええ。ちなみに、これだけいろいろな本を読まれている一方で、映画についても、お好きなものが数多くあるのではないでしょうか。

岡本:
それが、社会人になってからは、映画はそれほど見ていないのです。自宅にプロジェクターがあるのでDVDはよく見ていますが、映画は本当に話題になったものしか見ていません。

財部:
岡本さんの場合、やはり活字なのですね。

岡本:
活字の方が、イメージの中で世界が広がります。映画や漫画は、目で見たその場限りで終わってしまいますからね。

財部:
そうすると、『ブリット』は、よほど印象深かった映画だということなのでしょうか。

岡本:
本当に印象深かったですね。先ほどは言いませんでしたが、私が警察庁に入ったのは、たぶん潜在意識の中に(この映画が)あったからかもしれません。あとから思い返してみると、もともと現場や刑事の経験もそれほど多くはなかったですが、最後に刑事部長を務めた時は、久しぶりに血湧き肉躍るような感じがしましたから。疑似体験のようなものがあったのかもしれませんね。

財部:
順番が前後しますが、アンケートの「今思い出しても恥ずかしい失敗」へのお答えは、おそらくこれまでで最高のものではないかと思います。「前職の京都府警時代に、聞き込みに行ったら"ニセ刑事が来ている"と110番された」という話ですが(笑)。

岡本:
みんなに冗談ではないかと言われるのですが、実際にあったことなのです(笑)。言葉遣いで(間違えられたので)はありません。というのも、たとえば京都府警の職員の出身地をみると、三分の一が九州なのです。表情というか、何か身についたもので「ちょっと怪しい」と思われたようです。いまは電子手帳に一部なっていますが、当時では警察手帳というのを、(テレビの刑事ドラマでよくやるように)こうして開いて見せる人は、普通はいないのです。写真は貼ってありますが。

財部:
ええ。

岡本:
実際に「京都府警の者です」と言うと、「ああ、どうぞ」とか「なんでっしゃろ」と聞かれるのですが、あの時は、わざわざ警察手帳を開いて、本人の写真が貼ってあることを確認したうえで、110番ですからね(笑)。本当に、思い出すだけでも冷や汗が出ます。

財部:
今度は真面目なお話ですが、「10代、20代の若者へ人生のアドバイス」として、「成功の反対は『失敗』ではなく『何もしないこと』」と答えられています。「自分が夢中になれることを見つけ、それにのめり込んで欲しい」とも書かれていますが、これは会社でも繰り返しおっしゃられていることなのでしょうね。

岡本:
そうですね。みんなが私の顔色ばかりを見るものですから、結局、指示待ち人間が多くなり、何もしなくなってしまうのです。今まではそれでもよかったかもしれませんが、これからの時代はそれでは駄目だと思うので、とにかく「失敗してもいいから何かやれ」ということを言わないと。日本の製造業は、これまでと同じことをやっていては絶対に駄目だと思いますから。

財部:
ええ。

岡本:
ありていに言えば「失敗を恐れずに」ということなのでしょうが、そう言ってもあまりピンとこないですからね。

財部:
ええ。その意味で「成功の反対は失敗ではなく何もしないことだ」というのは、レトリック上、とても素晴らしい言葉だと思います。

岡本:
この言葉は、ドラッカーが言ったことで、これだと思ったのです。

財部:
それから「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く」を座右の銘にされているのも、面白い位置づけですね。

岡本:
出典は、劇作家のつかこうへいさんの言葉なのですが、これに似たようなものですと、堀場製作所の堀場厚会長兼社長が、「おもしろおかしく」を社是にされています。どうせやらなくてはならないのであれば、しかめっ面をしていても仕方がない、おもしろおかしくやろうということですが、なかなか深い意味があると思います。

財部:
そこまでは、ある程度言えることだと思うのですが、「深いことを面白く」というのは本当に難しいですね。

岡本:
難しいですよね。本当にわかっていないと難しいことを易しくできないし、本当に実力がなければ易しいことを深くはできません。さらにその上に行かなければ、深いことを面白くすることはできない、ということだと思うのです。

財部:
そうですね。

岡本:
少し話しがそれてしまうかもしれませんが、中島敦さんという若くして死んでしまった漢文学者の「名人伝」という小説も好きなのです。昔、中国・戦国時代の趙(ちょう)という国に、紀昌(きしょう)という弓の名人になることを志した人がいて、当代随一の弓の名人である飛衛(ひえい)のもとで修行をしました。最初は機織の下に寝てまばたきをしないように訓練をした。2年が過ぎると南向きの窓に吊した蚤を見つめて視力を良くした。そして紀昌は、師である飛衛のもとを離れ、険しい山の頂上に暮らす甘蠅(かんよう)老師という老隠者を尋ねた。その老隠者は弓を持たずに素手のまま、はるか遠くを飛ぶ鳶に「見えざる矢」を撃つと、鳶は羽ばたきもせずに空から落ちてきた。それが「不射之射」(ふしゃのしゃ/弓を射ずに相手を射る)だったのです。紀昌はその名人のもとにとどまって修行を続けました。それから9年が過ぎて紀昌が都に帰ると、天下第一の弓の名人が帰ってきたと評判になった。都の人々は、彼が弓の妙技を見せてくれると期待したのですが、一向にその気配がない。しかし、弓を執らない弓の名人は都の人々の誇りになった。それから約30年経って、紀昌は亡くなるのですが、彼は老いてからある知人のところで弓を見て「それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と聞いた。古今無双の弓の名人は、弓という名前も、弓の使い方も忘れてしまっていた、という話なのです。

財部:
そうなんですか。

岡本:
要するに、その道を極めれば、道具は必要ではなくなる。その道を極めるというのは、まさにそういうことなのだろうと思ったのです。

財部:
なるほど。それをご自身の人生に、どう重ねているのですか。

岡本:
現場を歩いているだけで、損益がパッと頭に浮かぶとか、あるいは倉庫を見ただけで在庫が多い少ないかがパッと分かるようになる。あるいはP/L、B/Sを読まなくても、その会社の経営状態が一目で分かるようにしたいと思います。P/Lなどの経営指標が弓矢だとしたら、たとえそれがなくても会社の状態を把握できるように、いつかはなりたいと思いますね。

財部:
最後の「天国で神様にあった時なんて声をかけてほしいですか」という項目は、実はなかなか肝≠フ質問なのです。事前に何の説明もしていませんので、この言葉を目にされた時、主体は自分でも他の誰でも構いませんし、どんな答えでもあり得ます。岡本さんは、「ここの皆さんは大変喜んでいるけれど、下界の皆さんは大変悲しんでいるよ」と回答されていますが、過去に例のないお答えです。

岡本:
そうですか。

財部:
これは、どういう捉え方をされたのでしょうか。

岡本:
正確な言葉は忘れたのですが、「あなたが生まれた時には周りの人はみんな笑っていたでしょう。あなたが死ぬ時は周りの人がみんな泣いているような、そんな人生を送りなさい」というアメリカ・インディアンの諺があるのです。それを連想して書きました。

財部:
そういうことなのですか、深いお話ですね。この質問の答えにかなり個性が現れていると思います。岡本さんは幼い頃、お母様とお父様からどのように育てられたのですか。

岡本:
父は厳しかったですが、母は勉強しろとも言いませんでしたし、とくに何も言わなかったですね。本当は「一番尊敬している人」について、他の方のように両親と書きたかったのですが、それでは平凡かなと思い、アンケートではあえて坂本竜馬と答えましたが、やはり両親には感謝しています。毎朝お仏壇に手を合わせて「ありがとう」と言っていますからね。

財部:
そういうお話を伺いたくなるような、良い家庭で育たれたのだろうということが、ひしひしと感じられました。人間が持っている「善の部分」の中で育てられたのだなという感じがしましたね。リーダーの資質について語る場合、経営者ご自身がこれまでどのように育ってきたのかというのは、かなり重要なポイントなのです。最後に、リフレッシュ方法の「F1観戦」というのは、実際にサーキットにレースを観に行くということですか。

岡本:
ええ。以前は、ドイツに住んでいた時はヨーロッパ中のサーキットを追いかけていましたが、最近はなかなか行くことができません。一昨日と昨日もマレーシアGPが放送されていたので、最近はもっぱらテレビです。本当は(サーキットに)行かないと。音が1番良いのです。音だけは、その現場に行かないと聞けません。普通は耳栓をつけて観戦するのですが、耳栓をずっとつけていなかったので難聴になってしまったほどです。

財部:
私が観たのはフォーミュラ・ニッポンですが、初めて行った時、耳がおかしくなりそうでした。

岡本:
(F1は)あれよりもう少し甲高く、もっと凄い音です。

財部:
いろいろお話を聞くと、「この音がすべてだ」とみなさんがおっしゃいますね。でも私は、フォーミュラ・ニッポンでこれほどもの凄い音だと、F1にはとても行けないのではないかと思いました。あまりにもプレッシャーが大きすぎるものですから。

岡本:
そう言わずにぜひ(笑)。

財部:
今日は長時間どうもありがとうございました。

(2012年3月27日 千葉県柏市 岡本硝子本社にて/撮影 内田裕子)