株式会社永谷園 永谷 栄一郎 氏

財部:
日本人は世界の中でも珍しく、1つの国土に定住してきた歴史を持っており、家族を中心にして構成された「ムラ社会」の中で、皆がお互いに助け合いながら生きてきました。私はそういう国の成り立ちや歴史と、会社の経営というものは、分けて考えることはできないと思います。今後数年間、価値観はいろいろとブレるでしょうが、ファミリービジネスの価値を見直し、再評価しようという動きが、間違いなく起こってくるだろうと、実は考えています。

永谷:
私も2、3年前に、ある会合で、そういう見直しを進めていこうと各方面に働きかけていらっしゃる方に出会いました。彼は、かつての老舗ではなく、「永続性を持った企業としての老舗」の価値を見直す、ということを活動のテーマに掲げていましたが、今まさに財部さんがおっしゃったように、従来日本企業が持っていた良さというものを、ファミリービジネスという観点から再評価していこうというのです。上場企業のルールに基づきながら、 日本的経営の良さを実践していく。そういう思いを強く抱いている企業は、増えてきているのではないかと思いますね。

財部:
そうですね。話が若干それますが、どうしても資金調達をして会社を大きくしたいのであれば、私募債のような格好で資金を集めて数年後に返済する、という方法も考えられます。銀行などの金融機関が、こういう面に、もう少しきちんとコミットするようになれば、上場せずに会社を大きくすることも可能になってくると思います。そもそも「ファミリービジネスの会社は経営が不透明で、上場会社は透明性が高い」という短絡的な考え方があまりにも横行したために、大きな価値が失われてしまったのではないでしょうか。

永谷:
いずれにしても、(企業のあり方という問題について)もう少しきちんとした流れを持って議論が行われるようになれば、と思いますね。

財部:
要は、先ほどのリスク管理や内部告発などの話を離れて、「会社とはこうあるべきだ」とか「こういう原点に戻ろう」というような議論を、日本企業が行いにくいという現実があるわけですよね。今で言えば、それらが「コンプライアンス」という言葉に置き換わるのですが。

永谷:
そうですね。

財部:
しかし、リスク管理にしても、よほど気をつけて行わなければ、コンプライアンスに必要な事務手続きだけを詰めることが目的になってしまう可能性さえあります。そういう現実を見ていると、ファミリービジネスにおける経営手法を、企業経営における1つの良いスタイルとして、社会的な理解を得ていく必要があると思いますね。

永谷:
リスク管理やコンプライアンスは重要です。ただ「社員は不正を行うものだ」とか「経営者は悪いことを考えている」、ひいては「企業とは悪い存在だ」という性悪説に立った一連の流れに、一抹の不安を覚えますね。

財部:
そうですね。先日、ある新聞の記者と話したのですが、彼が研修で新入社員と話したところ、その新聞社に今年入社した新人たちは、「会社=悪」という価値観に染まっていたと言うのです。事故米などの企業不祥事に関するニュースばかり見ていたら、そうなるのかもしれませんが、かなり常軌を逸していると思います。

永谷:
そうですね。一概に「マスコミのせい」だけとも言えませんが、同じような論調が、程度に差はあるにしろ、見受けられることがありますね。

財部:
それでいて、良いニュースは出さないじゃないですか。

永谷:
良い話はニュースにならないと言いますし、「なるほど、そうなんだろう」と自分でも思いますが、本当に出ないですよね。

財部:
でも、そういう中で、私が永谷会長にお伺いしたかったのは、社長交代のいきさつです。昨年6月に就任された町田社長への交代は、どういうご判断があったのでしょうか。

永谷:
そうですね。私は社長を12年やらせていただきましたが、永谷園の大きな流れの中で、私が果たすべき使命は、創業者でありカリスマ経営者であった父のワンマン経営から、衆知を集めた組織やシステムで動いていく会社への橋渡しだったと思っています。それがある程度達成できたということで、会社が新たなスタートを迎えようとする中で、同族かどうかを抜きにして、社長の適任者として彼がいたということですね。同時に、永谷園にとって、永谷家以外からリーダーが出ることに大きな意味があると考え、彼を社長に抜擢したのです。

財部:
永谷家以外から社長が出ることには、具体的にどんな意味があるのですか?

永谷:
それは、社員のモチベーションですね。社長を長くやっていると、ある意味で会社が停滞すると言いますか、社内のエネルギーや空気がよどんでくるような気がします。私自身、それほど力はなかったのですが、社長になった当時の私は、今考えれば非常に青臭いことばかり言っていて、止まることなく日本各地を歩き、社員や取引先の皆さんに会いました。そういう新しいエネルギーが入ってくることによって、会社が動いたのを実際に見ていますからね。

財部:
なるほど。

永谷:
私が社長を12年務める中で、自分自身の考えの下に、1つの仕組みで動く会社の土台ができあがってきました。このタイミングでやはり、もう1度新しいエネルギーが欲しいと思ったその時に、永谷の姓ではなく、生え抜きで、永谷園のことを1番よく知っている人物が彼でした。しかも、彼は本当によく仕事をする人間だということを、皆が知っているので、彼が社長になることが、新しいエネルギーを会社に入れるのに最もふさわしいと考えたのです。ただし、本人は大変だと思いますがね。

財部:
社長交代で、どんな効果が出ているとお感じですか?

永谷:
社長交代からもうすぐ1年になろうとしていますが、今の会社のさまざまな動きを、数字も含めて見ていると、新たな躍動感が出てきているような気がします。新社長の下で、専務である私の弟をはじめ若い執行役員のメンバーや幹部たちが、非常に生き生きとやっている姿が見えてきていますので、非常に良かったのではないでしょうか。

財部:
永谷会長にとって、具体的な「成功モデル」というのは何かあるのでしょうか?

永谷:
成功モデルはとくにないですね。YPOのメンバーの皆さんを見ていても、同族で二代目、三代目の社長が多く、同じような苦労をされているようですが、同族以外の社長にバトンタッチして会長になったという方は、あまりいらっしゃいません。これは成功モデルというよりも、自分自身の考えでしたね。

財部:
社長を12年も務められると、ある意味で、疲れもかなりあるのでしょうか。

永谷:
そうですね。私自身、社長を辞めたあとに実感したのですが、がっくりと疲れていました。社長就任当初は、本当にあちこちを走り回り、今考えると恥ずかしくなるような青臭いこともずいぶん行ったのですが、それはそれで私は良かったと思っています。それでも最後の2、3年は、自分自身で振り返ってみても、かなり社長職がこなれてきたのではないでしょうか。ある意味で、もう少しショッキングなニュースがトップから出てこなければ、会社が停滞してしまうのではないかという焦りを、日々感じていたほどでしたから。

財部:
それほど、経営者は全身全霊を傾けているわけですよね。

永谷:
年末の仕事収めの日には、たいてい社内で飲んで、そのまま流れたりするのですが、社長を交代した昨年は、どっと力が抜けたような気がしました。というのも特にここ数年、食品メーカーなどの不祥事や事故が相次ぎ、当社でもいろいろとシミュレーションを行いながら、リスク対応の検討をしていきしたが、会社に何かあった場合、基本的には社長は腹を切る覚悟で対応しなければならない、と思っていましたからね。そこから逃げていった時、会社はどんどん追い詰められる。だから、格好いいことを言うわけではないですが、朝起きたときから、そういう覚悟は毎日していました。いつ何が起きるか、本当にわからないですからね。

財部:
そういう気持ちは本当に、当事者にしか分からないと思います。世間的には「不祥事」の一言で片付けられてしまうのでしょうが、経営者がいくら気を遣ってさまざまな取り組みを行っても、いつどんな問題が出てくるとも限りませんからね。

永谷:
そうですね。「こういった事情でこうなりました」と冷静に事情を説明し、情報公開を行うのはもちろんですが、論理的にどうこうという部分とは違う次元で、まず社長が腹を切る姿を見せなければ、社会やマスコミの皆さんの理解は得られにくいですよね。

財部:
最後に、会長ご自身が二代目社長を務められた中で、強くお感じになったことはありますか?

永谷:
創業者は何年も、極端な話、死ぬまで経営を行ってもいいのではないかと思いますが、二代目は、あまり長く社長をやっていては駄目ですね。

財部:
私は、むしろ二代目というのは、本当に重要だと思いますが。

永谷:
そうですね。かつて私は「二代目社長は一体何をするべきか」ということを真剣に考えました。そこで自分自身、はっきり結論を出したのは、創業者の最も近くにいて、永谷園の企業文化を、なかなか明文化できないものも含めて1番吸収したのはおそらく私だろう。だから今後、商品に新たなバリエーションがどんどん増えていく中で、永谷園の企業文化に照らして、それは本当に開発・販売していいものか、あるいはそのやり方は正しいのか、ということを判断できるのは、やはり自分しかいないということでした。そういう観点で、経理やマーケティングから営業、生産部門まで、エキスパートを数多く育てつつ、永谷園として歩むべき正しい方向を示すことが、私の役割ではないかと思っています。

財部:
なるほど。創業者の強烈な個性の中にビルトインされていたものを抽出し、それを具体的な仕組みや制度に落とし込み、企業文化をより普遍的なものに置き替えていく作業は、簡単なものではないですね。本日は、非常に興味深い話をどうもありがとうございました。

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(2009年7月3日 東京都港区 永谷園本社にて/撮影 内田裕子)