株式会社永谷園 永谷 栄一郎 氏

財部:
ちなみに永谷会長が、最初に商品を開発されたのは入社何年目頃ですか?

永谷:
何年目でしたでしょうか、『チャーハンの素』の前に、華々しくデビューした商品が大失敗に終わりました。成功した商品のことはよく覚えているのですが、失敗したものはすべて忘れることにしていますからね(笑)。

財部:
その、華々しく失敗された商品というのは?

永谷:
それはスパゲティーなんです。私は大学を卒業したあと、アメリカを中心に2年ほど遊学し、「日本には本当に美味しいコーヒーと、本当に美味しいイタリア料理がない」と痛感しました。そこで帰国後、当社に入り、よくあるナポリタンやミートソースとか、アメリカ流の茹ですぎた麺ではなく、デュラムセモリナ粉100%の麺をアルデンテで茹で上げたような本物のスパゲティーを作りたいと思い、自分なりに研究して動き始めたのです。社内でも、社長の息子ということで特別な位置付けでもあったため、割と好きなようにやらせてもらいました。でも、さすがに皆が心配していたようで、研究や営業のスタッフが周囲にたくさんついて、いろいろとアドバイスをしてもらったわけです。

財部:
なるほど。

永谷:
ところが当時は、良質の小麦粉を使ったスパゲティーを固めに茹でて、そこにシンプルなソースを絡めて食べるという嗜好がまだなくて、社内的にもそういう知識はほとんどありませんでした。そのため「スパゲティーを13分、14分茹でるのは、永谷園の商品としてはありえない。お湯をかければできるのが永谷園で、もっと短時間で食べられるようにしないと駄目だ」ということになり、スパゲティーの芯の部分を中空にされました。また味付けについても、今で言うぺペロンチーノのような、オリーブオイルと唐辛子とにんにくというシンプルな味付けでは駄目で、「こんなものは商品になってない。鮭を入れろ、たらこを入れろ」という話になったのです。

財部:
それは大変な経験をされましたね。

永谷:
その時、自分に芽生えた1つの哲学として、「開発は意見の寄せ集めでは絶対にできない。それが成功しようが失敗に終わろうが、『こういう商品を作りたい』という情熱を持った1人の人間に任せ、彼が本当に作りたいものを、いかに実現するかが大切である。その際、彼が持っていない知識や技術を、会社の機能でどうサポートしていくかが課題だ」と、今でも思っています。社内のさまざまな事情で、パッチワークのようにいろいろなものを縫いつけられると、まさに「フランケンシュタイン型の商品開発」になってしまうからです。結局、例のスパゲッティーは、会社としても力を入れて宣伝していただいたのですが、私は発表会を回りながら、「こんなものが売れるわけはない」と絶望的な気持ちに陥っていました。

財部:
そうですか。難しいといえば難しいですよね。社長のご子息であるという立場で、しかも海外も見てきて、その当時、社内では誰も知らない価値観を持って入社されたわけですが、周囲の社員たちは「こちらはベテランだ」と思っていたでしょうし。

永谷:
そうですね。タイミング的にも、そういうマーケットがまだ存在しない頃でしたし、社内における仕事の進め方も含めて、少々乱暴な開発になってしまったのだと思います。それが誰の責任かということではなくてね。

財部:
当時、永谷会長はご自身が特別なポジションにいることを、誰よりもよくご存じだったと思います。その中で、やりたいことをやらせてもらっているからには、何か結果を出さなければ格好がつかない、と思われていたのではないでしょうか。

永谷:
そういうプレッシャーもありましたが、その時は、自分のやりたいことをやれる喜びの方が強かったですね。もともと私は入社の動機として、父の会社を継ごうという意識はそれほどありませんでしたが、幼い頃から食に親しんできたので、「自分の持っている知識や、海外を回ってきた経験を活かしていくためにも、何か食べ物に関係した仕事をしたい。父の会社に入れば、いろいろやらせてもらえるかもしれない」という期待がありました。ですから、最初はどんなことでもやらせてもらえるのが嬉しかったですね。

「ファミリービジネス」の価値を見直す

財部:
永谷会長ご自身、お父様から学ばれたことも、ずいぶん多いのでしょうね。

永谷:
そうですね。学んだというか、それが当社の1つの「背骨」になっていますし、プライドでもあり、スピリッツにもなっていると思いますね。

財部:
私も調べれば調べるほど、永谷園さんは、そういう精神的な部分に、非常にこだわっている会社だということがわかってきました。

永谷:
そうですか。最近「なるほど」と思ったのは、カルビーさんが外資のペプシコ・インクと資本・業務提携を結ばれたことです。また、ビール会社を中心に統合が進んでいくような動きもあり、今後の食品メーカーの進み方に大きな影響を与えるような1つの例が出てきています。そういう中で、当社はどう舵を取っていくべきかという判断を、今迫られている時期に入っていると感じます。その意味で私は、この先何年続くかわからないにしても、同族経営の良さや強さといった部分について、当面は突っ込んでいきたい。それが当社にとって大事なことだと思うのです。

財部:
カルビーさんの松尾雅彦取締相談役とは、ある取材で何ヶ月もお付き合いしてきたのですが、彼は非常に考え方が明確な方です。私がなんとなく合点がいったのは、松尾さんは非常に合理的な方で、感情や情緒のようなものが思考にあまり入ってこないという点ですね。思うに、松尾さんにしてみれば、同社がこれまで行ってきたファミリービジネスという部分から、どうやって抜け出すかということが、ずっと頭にあったのでしょう。

永谷:
そうですね、わかります。

財部:
これは第三者として、良いか悪いかというより、好きか嫌いかに近いレベルなのですが、やはり中身を見たときに、企業はファミリービジネス色を残したほうがいいのではないかというのが、ここ数年間の取材を通じた私の結論です。

永谷:
面白いテーマですよね。私には、松尾さんが進もうとしている方向性が、非常によくわかります。というのも、(企業経営における)「正解」はけっして1つではなくて、選択肢がいくつも存在すると思いますのでね。もちろんカルビーさんのように、あそこまで徹底して合理的にやるのも1つの選択肢ですが、当社は財部さんがおっしゃられたように、徹底してファミリービジネスで行きたいと、私は考えています。

財部:
そうですか。以前サンデープロジェクトでBRICs諸国の特集を行い、その取材を通じて本当によくわかったのですが、BRICs諸国に進出した日本の大企業は、例外なしに失敗したと言ってもいいぐらいで、むしろ利益を上げて、胸を張って取材に応じられる会社が、本当に数えるほどしかないというのが現状です。その原因を見てみると、結局は「サラリーマン根性」の延長であり、自社のビジネスに対して最終的に責任を取る人間がいない。あるいは会社の将来に対して、絶対的な責任を持とうと思っている人間がいなくなった、ということに尽きるのです。

永谷:
なるほど。

財部:
その結果、多くの企業が、会社の経営スタイルを「客観的でサステナブル(持続可能)な制度」に置き換えようとしています。いわば、会社そのものがサステナブルであるように、と。

永谷:
ええ。

財部:
そうすると一見、人事でも何でも合理的に行っていくシステムになるはずですが、面白いことに「途上国に10年行ってこい」と言っても、社員は誰も行きません。そもそも日本企業では、10年間の海外赴任を命じること自体が通用しないので、「3年のローテーションでお願いしたい」ということになりますが、実際に3年でローテーションするような日本企業の担当者を、本当に信頼している現地法人の人は誰もいないのです。「どうせこの人は、3年で帰ってしまうのだから」と皆が思いますからね。ところが信じられないことに、ほとんどの日本企業でこういう現象が起こっている。つまり「現地化、現地化」とよく言いますが、現地で採用した従業員に任せることが現地化だと、皆が思い込んでいる。そうではなくて、海外進出に成功している会社は例外なしに、日本人が現地化しているのです。

永谷:
そうですね。

財部:
社命で10年とは言わないまでも、大変なら5年で日本に戻ってきて、一定期間をあけて、もう1度行ってもらう。あるいは現地人と結婚し、本当に国籍も取ってしまう人もいるというように、さまざまなケースはありますが、実際に「3年ローテーション」で海外進出がうまくいっている会社は1社もありません。

永谷:
ほお、なるほどね。

財部:
たとえば、かつてキヤノンがアメリカでずっと成功を収めてきた時も、若かりし頃の御手洗会長が12、3年アメリカに駐在し続けていた。しかも彼の周囲には、現地駐在18年というように、常識を超えた駐在歴を持つ人たちが数多くいて、アメリカ人の部下とはみな親戚付き合いです。私はこういうことは、ファミリー色のない会社ではできないと思っているのです。その意味で、「客観的でサステナブルな制度」に置き換わった会社の経営スタイルというものは、本質的に弱いのではないでしょうか。

永谷:
一時期、企業のリスク管理に関して、内部告発なども含めた議論がありましたが、私の結論としては、ひと昔前の、いわゆる成果主義を大きく見直したいと思います。それから私は、子供の頃に見た、社内のクリスマスパーティーの光景をよく覚えているのですが、「会社とは家族である」という原点に戻っていかないと、そこで社員が働く意味や、企業の存在価値自体がなくなってしまうのではないか、という気がしますね。