東京エレクトロン株式会社 東 哲郎 氏
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転換期を迎えた世界の半導体産業をリードし、イノベーションを起こす技術力を磨いてい

東京エレクトロン株式会社
代表取締役会長 東 哲郎 氏

財部:
早速ですが、今回ご紹介いただいたコマツの坂根会長とは、どういうご関係なんですか。

東:
かなり前ですが、当社の工場でいろいろ検討しまして、調達から生産、顧客先との仕様打ち合わせまでをカバーする基幹システムとして、あるソフトウェアを導入したんです。そのときちょうど、コマツさんがそのソフトウェアを導入済みで、「ちょっと一緒に食事したい」ということで、赤坂に昔あった東急キャピタルホテル近くのてんぷら屋さんで、お話をさせていただいたんです。

財部:
ええ。

東:
そのとき、坂根さんに初めてお会いしましてね。坂根さんのところはああいう大型のトラクターから始まり、重機や掘削などの大がかりな装置までやってらっしゃいますが、隣り同士でいろいろ話していたら、当社が扱っている半導体製造装置と、コマツさんでやられている建機などの製品の間には、意外に共通項が多いということがわかったんですよ。

財部:
たとえば、どんなところですか?

東:
東京エレクトロンの工場は精密加工技術で、あまり人間が介在せずに、ほとんど全自動で動いているわけですよね。しかも扱う物が半導体で非常に小さく、微細な加工を必要としますから、ワーク(加工物)の位置や状態を、さまざまなセンサーを使ってセンシングし、モニターしながら、機械自身がいろいろと判断して自動的に動かしているわけです。そのような細かいところで、センサーやソフトウェアなどの高度なテクノロジーが必要になるんですね。

財部:
はい。

東:
じつは坂根さんのところも、そういうセンサーで検知した状態をモニターして、機械にフィードバックしながら、たとえば鉱山を掘っていくというようなシステムなんです。もちろん機械の大きさも違うし、形も違う。それから機能も違うんですけど、センシングだとかモニタリング、フィードバックというような要素技術は、両社が交流を深めていけば、お互いにもっと活用できそうだというような話もあったりしましてね

財部:
そうなんですか。

東:
それから、大型の薄型テレビに使われる液晶パネル製造装置でも、われわれはトップシェアでやらせていただいているんですが、その装置が非常に大型なんです。現在ですとガラス基盤で長さ3メートルぐらいまでありますから、それを作る装置は、大きいものだと長さ数十メートルにもなる。となると、そのスケールにおけるメカの動きや部品・材料などの搬送という点が、じつに難しくなってくる。というわけで、今度はコマツさんが得意としている大型の装置やメカを動かす技術やノウハウが、非常に重要になってくるんですよね。

財部:
なるほど。

東:
結局、坂根さんとは最初、ソフトウェアの関係で知り合ったんですが、いまではコマツさんの子会社で、そういう装置の一部を作ってもらったりしています。そういうわけで、坂根さんとは結構親しくお会いするような格好になっていましてね。その縁で今回、坂根さんに当社の社外取締役就任をお願いしましたら、「喜んで」というお話をいただいたんです。

財部:
そうですか。坂根さんは、ああみえて非常に緻密で、単刀直入に物をおっしゃる感じで。社外取締役としては最高の――(笑)。

東:
そうですね(笑)。大胆で骨太な感じに加え、非常に物事を細かくみて、はっきりと答えられる方ですよね。その一方では、グローバルにいろいろと物をみていらっしゃるし、コマツさんの業績をみても非常に素晴らしい。そういう意味合いで言うと、本当に最適の方に、社外取締役になっていただけたなという感じです。

「日本的でありながらも日本離れしている」企業文化

財部:
さらに言えば、東京エレクトロンさんも、コマツさんも非常にグローバルな企業体質であるという点で共通していますよね。

東:
そうですね。ええ。

財部:
日本の会社は意外とグローバルではない、ということも、じつは私はよくわかっていまして――。

東:
グローバルになってないですか?

財部:
世界中に行ってますが、本当にドメスティックな会社ばかりですよね。いわば「コスモポリタン」(世界主義者、世界人、国際人)とは無縁な経営者に、無縁な社員、そして無縁な会社。私はこれが、日本企業や日本経済全体にいまはびこっている閉塞感の、一番の原因だと思ってるんです。

東:
そうですね。

財部:
実際、世界の成長市場にシェアを取りにいけばいいということもわからずに、国内市場でああだこうだという話が多いですが、東京エレクトロンさんもコマツさんも、ごく普通に世界全体を一つのマーケットとしてみていらっしゃいますから、その点で、とても話が合うのではないですか?

東:
ええ。われわれの場合、世界という意味合いでいいますとね、東京エレクトロンは、最初は商社だったわけですよ。

財部:
はい。

東:
当社は1963年に、半導体の製造装置やテスターなどを海外から輸入し、日本の電気メーカーにそれを販売する商社として設立されました。ただ、当社がユニークだったのは、当時は企業規模も小さかったわけですが、圧倒的に技術系の人材が多かったこと。半導体産業はその頃、日本でもこれから盛んになりそうな分野でしたので、大学出の技術者を当社が雇い、すぐにアメリカ企業などに留学に行かせて、彼らを、新しい装置とともに日本に帰ってこさせるというようなことをやっていました。

財部:
そうですか。

東:
それで、当時ですと富士通さんやNECさん、日立さんなどが半導体事業を始めたばかりで、そこに技術を導入していくという役割を担っていました。当社はそういう商社機能でビジネスを始めたんですが、そのうち日本が半導体でどんどん伸びてきたので、お客様のリクエストがいろいろと多くなってきましてね。当社としても、何とかそういう要望に応えていきたいと考えているうちに、工場機能を持ちたいと思うようになったんです。

財部:
顧客のリクエストに応えるには自分たちでつくらなければ間に合わないと。

東:
もともとアメリカは日本のマーケットをあまりみていなかったので、われわれの言うことを聞いてくれませんでした。それでわれわれは1970年代、80年代にわたって、アメリカのパートナーと一緒にジョイントベンチャーを立ち上げて、機器を日本向けの仕様にしてお客さんに出そうとしました。それが工場機能を持つ最初のきっかけですね。それからだんだん技術的にもパートナーを凌ぐようになっていったんです。そうしたらアメリカが不況に見舞われて、パートナーが「ジョイントベンチャーを東京エレクトロンで買い取ってくれ」となったのです。

財部:
なるほど。米国が不況で、日本のエレクトロニクス産業はどんどん力を付けていった時代ですね。

東:
それで、半導体製造装置の開発から製造まで、全部われわれで手がけることになったのです。その後、90年代になってから、今度はマーケットを日本だけではなく世界に広げようという目標を掲げ、そこから一気に広げたというのが、今日に至る経緯なんです。実際、海外進出は94年から始めたのですが、それ以前は70パーセントぐらいが国内マーケットで30パーセントが輸出。輸出とはいっても、パートナーを通じて当社の装置を向こうに販売するような格好でしたが、それを辞めたあと977年には国内30パーセント、海70パーセントと販売額が逆転したんです。

財部:
たった3年で!

東:
そこのディシジョンが、東京エレクトロンにとっては非常に大きかったですね。

財部:
なるほど。そこが東京エレクトロンの転機だったのですね。

東:
ええ、すべてが初めての経験です。80年代に、日本の半導体産業が伸びて世界1位に踊り出たときに、アメリカの方は早々にメモリなどから撤退し、「次はこの分野だ」ということで、インテルに代表されるマイクロプロセッサの開発に取り組んでいました。ちょうどその頃、東芝さんの元副社長・川西剛さんなどと一緒に「マルチメディアの旅」というグループを作って、アメリカに視察に行ったんです。

財部:
どんなことを感じられましたか?

東:
「アメリカで大変なことが起きている。2000年代には画像や音楽、文字情報など、いろいろなものが結合したメディアが出てくる」と感じました。当時、IBMやインテル、映画『ジュラシック・パーク』などのCG制作に使われた画像処理システムを手がけたシリコングラフィクッス、モトローラ、映画会社に加え、大学も回ってね。さらには、そういったマルチメディアのためのプロセッサを作ろうという動きも始まっていました。それらを目の当たりにして、僕は「これは日本でやっても厳しいのではないか」という戦慄を覚えましたね。

財部:
たしかに当時のアメリカの情報技術の発展は凄まじかったですよね。

東:
そうした中、あるアメリカのお客さんが当社に対して、非常に積極的にアプローチしてきたんです。代理店を通じてでなく、うちと直接ビジネスをやりたい。開発も一緒にやりたいと。ちょうどその頃、新しい技術の足音がどんどんどんどん聞こえてきたので、「これはやらなければならない」と思いました。僕は当時、常務取締役になったぐらいでしたが、会長や社長に、われわれの意見を伝えると「会社を挙げてやろう」と。そういうディシジョンをしてくれたので、一気に動き出したんです。

財部:
そういう状況で、「やらなければならない」と気持ちでは思っても、資金も設備も人員も要るでしょう。「海外も取りに行くんだ」ということになると、当然、いろいろなものを補強していかなければいけませんよね。

東:
そうですね。まず各国にまずサービス、営業の拠点を作っていくのです。となると、然るべき人たちを雇っていかなければならないので、代理店を廃止し、代理店に務めていた一部の人たちの勧誘から始めました。これは僕が中心になって動いたのですが、アメリカやヨーロッパでいろいろと公募をかけて1人ひとり面接し、良さそうな人をとにかく見い出していきました。それを各拠点でやったことに加え、拠点のリーダーとして、アメリカでもヨーロッパでも、その業界でナンバー・ワン・クラスの人材を雇うことができたのが大きかったですね。

財部:
ほお。すごいですね。

東:
そうすると、彼らを中心に、また良い人材が集まってくるわけです。そのために彼らの給与は、僕らのなんかより、ずっと高かったんですよ(笑)。

財部:
なるほど、そうでしょうね(笑)。本物の人材を連れてくるためには、それだけの条件を出さなければならないですよね。

東:
ええ。そこら辺も功を奏したかなと思います。そういう優れた人材がいったん動き出すと、周囲もガーッとスピーディーに動き出しますからね。加えて、お客さんの側にも「東京エレクトロンは非常に徹底してサービスをやってくれる会社だという」、技術サポートへの評価があったものですから、一気にうまくいったという感があります。