株式会社ニコン 苅谷 道郎 氏
趣味は写真撮影。小学生のころから続いていて、そのまま日本光学(現ニコン)に入社しました。…もっと読む
経営者の素顔へ
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成熟期を迎えた事業を再活性化し、次の段階に持って行くことが、会社生活のすべてだった

株式会社ニコン 
取締役社長兼社長執行役員兼CEO兼COO 苅谷 道郎 氏

財部:
じつは、このリレー対談「経営者の輪」を始めるにあたり、「やはりカメラはニコンだぞ」、ということで、一眼レフカメラをうちの事務所の内田裕子が買いましてね。

苅谷:
ありがとうございます。私がバチバチ写真を撮っていたら、家内も自分で撮りたくなったようで、彼女もニコン塾に行きましてね。授業の最後に、「私は社長の妻で」と言ったら驚かれまして、塾の関係者は全く気がつかなかったそうなんです(笑)。 

財部:
そうですか。でも、カメラって不思議なんですよね。いま写真を撮っている内田にもよく言うんですが、素人とはいえ若干でも学んで、きちんとしたカメラで撮った画像はやはり違いますよね。

苅谷:
それはありますね。やはりカメラの基本的な構造は覚えておいた方がいいでしょう。ただ、よく言うんですが、フィルムカメラの時代は機器の操作がとても大変でした。ところが今では、たとえばライティング、ピント合わせ、露出調整といったことを、カメラがすべてやるようになってしまったので、構図とか「画」(え)に対する基本的なセンスさえあれば、ビギナーの方でも凄くいい写真を撮られるんです。極端な話、パッと写真を始められて、いきなり展覧会に入選したりする方がいらっしゃるんですね。

財部:
そうなんですか。でも実は、私はほとんど一眼レフカメラを使ったことがなくて、最近仕事で借りたばかりなんです(笑)。

苅谷:
この前、テレビで一眼レフカメラの番組を拝見しましたよ(笑)。

財部:
あれは、ニコンさんにもご協力いただいたんですが、あの番組で、カメラに対する私の認識が大きく変わりました。本当に、各社さんのカメラを半日お借りしまして、テーマを変えながら、写真を撮り続けたんです。私は「『やっぱりニコンがいいですね』というのは、あまりにも普通かな」と思って、何か違うことを言おうとしました。ところが実際にカメラを使ってみたあと、「やっぱりニコンですね」と言ってしまいました。なんとも複雑な気持ちだったです(笑)。それにしても、実際に写真を撮った時、カメラを持つ手から伝わってくる実感というのは、凄いものだと思いましたね。

苅谷:
当社は今から61年前、1947年からカメラを作っています。その経験を活かし、お客様がどんな商品を求めているかということでは、定量化するのが難しい、感性領域までデータを集めているんです。

財部:
そうなんですか。

苅谷:
とくにカメラを持った感じや見た感じ、それから、このクラスのお客様はどんな「画」(え)が一番好きなのか。さらに写真の彩度や遠近の強調具合、コントラストなどのデータなどを積み上げています。その蓄積をもとにして、この製品のターゲットはどのセグメントのお客様が適当かを判断し、それにぴったり合わせたコストと品質のカメラを、市場に持ってくるわけです。

財部:
なるほど。

苅谷:
今のデジタル家電というのは「安けりゃいい」ということになっていて、たとえばテレビでも急激に値段が下がってきていますよね。でも私の認識では、デジタル一眼レフカメラはデジタル製品でありながら、「安ければ売れる」という代物ではない製品のひとつだと思います。

財部:
そうですね。

苅谷:
たとえば、このカメラは3000ドルです。面白いですよね、当社のデジタルカメラは安いものなら500ドルの機種からあり、一番高いものになると5000ドルもするんです。

財部:
しかも、カメラを買ったあとにレンズだなんだと、これまた、もの凄いことになる(笑)。

苅谷:
そうなんです(笑)。

顧客に「次の画像の楽しみ方」を提供する

財部:
私はですね、10年ぐらい前からニコンさんの姿を、第三者としてずっと見ていました。そこで感じるのですが、音楽もそうですが、やはりアナログからデジタルになると、失われていくものがありますよね。実際、レコードの音とデジタルの音は柔らかさという点で全く違います。とくにアナログからデジタルに移行したばかりの頃、私自身デジタル化で音が硬質になったという印象があったんです。そして今度は、カメラがデジタル化していく時代がやってきて、家電メーカーさんがデジタルカメラに参入しました。その一方で、長くフィルムカメラに思い入れを持って技術開発をしてこられたニコンさんは、デジタル化という新しい時代への移行について、社内的にどういう議論を行われたんですか。

苅谷:
カメラのデジタル化ですね、じつは私が指揮したんです。当社のカメラ事業は1990年代初期から成熟期を迎え、最後の頃にはリストラを行わざるを得なくなり、売上高も600億〜700億円まで落ちました。そういう苦しい状況の中で、デジタルカメラの開発が進んでいたんです。商品自体のコンセプト自体は、1980年代の終わり頃に「将来カメラプロジェクト」を立ち上げて検討しており、徹底的に議論を尽くしてパテントもたくさん保有していました。

財部:
そうなんですか。

苅谷:
その中に、現在の「デジタルカメラ」とまったく同じものがあるんです。要するに、その当時から(デジタルカメラの)使い方や、お客様がどういう製品を買いたいかが、当社ではわかっていたんですね。でも、事業としては非常に苦しかった。

財部:
それをどのように建て直していかれたのですか?

苅谷:
着々とデジタルへ移行していくために、相当知恵を絞りました。というのも、ニコン1人だけで突っ走ってもうまくいきませんから、仲間を巻き込んでいかなければなりません。そこで日本写真機工業会をCIPA(カメラ映像機器工業会)に切り替えていくわけです。

財部:
ええ。

苅谷:
要するに、自分たちだけでなく、業界とお客様のために便利な環境を作っていこう。そのためには今のままでは駄目だ、新しい工業会にして、一致団結して市場を作ろう、という動きを始めたわけです。

財部:
具体的には、どんなことをされたんですか。

苅谷:
ずいぶん激しい議論をしましたね。たとえば当時、プリンタとカメラ間のインターフェイスの標準化ができていませんでした。具体的には、プリンタメーカーによってインターフェイスが違っていたので、これを統一化しないと不便だから、あるプリンタメーカーには、「統一規格に乗ってください」とお願いしました。そうしたら「わかった、お客様の使いやすい環境にしましょう」ということで、総画素数や有効画素数などのカタログ表示からインターフェイスの方式、色の出具合まで標準化を進め、お客様にご不便をかけない状況で、メーカー同士が互いに競争するような市場を作っていったんです。

財部:
なるほど。苅谷さんご自身、社長になる以前から、そんなことをやられていたんですね。

苅谷:
そうですね、私がカメラ事業を担当していた頃ですから。