株式会社ニコン 苅谷 道郎 氏

「原理原則」から考え、全社を挙げてリスクを取る

財部:
私は最近、さまざまな会社を見ている中で、文系よりも技術系の経営者の方が優秀だという印象を非常に強く持っています。結局のところ、経営とは技術だという結論に、私は達してきているんですが。

苅谷:
私は「原理原則にしたがって考えろ」とよく言うんですが、要するに、物事の一番ベーシックな部分は原理原則。たとえば製品の不良は突然出るのではなく、すべて原因があって必然的に生じるものです。私自身、ガラス材料の解析などを大学院時代に行っていましたが、そこからカメラの品質管理やレンズ光学などを学んだりと、これまでさまざまな事柄を勉強してきました。それに比べると、経営学や経済学そのものは少々思想的というか、われわれが手がけている技術サイドの方が奥が深いと思いますね。

財部:
ある意味で、苅谷さんは純粋に、会社という組織を1つの製品に見立てて、「どこに問題があるのか」という目線で立て直しをされてこられたのかもしれませんね。

苅谷:
そう、最後にはそうなっちゃったんです。最初は、問題を1個1個解決していったのですが、対象範囲が徐々に広がっていく中で、会社の問題点に行き着いた。そして「これを建て直すにはどうしたらいいのか」という方に、興味が移っていったんですね。

財部:
なるほど。

苅谷:
先端技術で食べていこうとすると、社長がやはり責任を持って最終的な判断を下さなければなりません。とくにリスクを取らなければならない事柄となると、技術的な「目利き」が重要です。たとえば、5000ドルの最上位カメラを開発する際、非常に論理的な考察が必要で、(CCDやCMOS)センサー1個、すなわち「1ピクセルの中にフォトン(光子)がいくつ入ってきたときには、これはこうなるから、いけるはずだ」とか、逆に「センサーはあまり小さくしすぎてはいけない」といった物理的な現象についての議論が起こるわけですね。こういう議論をしている会社は少ないでしょう。ステッパーについてもそうです。「こういう理屈でいくと、こちらのほうが絶対にいいはずだ」という意見に対して、確信を持って「わかった、それでいこう」というように、全社挙げて最終的なリスクを取るということは、当社の場合、MBA修了というだけの人ではちょっと無理ですね。

財部:
なるほど。

苅谷:
でも、デジタルカメラやステッパーの領域も技術的な数値だけでは駄目で、もちろん経営的なセンスがなければ事業を運営できません。そこで当社では遅まきながら、MBA的な教育も社内でどんどん進めているんです。

財部:
苅谷社長にとって、今一番の関心事は何ですか?

苅谷:
短期的、長期的とかいろいろあるんですが、今一番の関心事は、これから景気がどう動くんだろう、ということです。私は2007年の半ばぐらいに「潮目が変わるぞ」と叫び、2008年2月頃に「荒天準備に入れ!」という言葉を、社内では使っています。要するに、「いつ嵐に突入してもいいような体勢に入れ!」ということですが、おそらくもう、「嵐」への突入寸前だろうとみています。北京オリンピックが終わって、市況はどう動くのか、という話でしたが、じつはそれにより、もうステッパーには影響が出始めている反面、まだデジタルカメラにはその影響が出てない。面白いですよね、デジタルカメラはまだガンガン売れ続けているんですよ。

財部:
そうなんですか。

苅谷:
しかし、それがいつまで売れるのかという話は置くにしても、ステッパーの設備投資の状況はデバイス、とくにメモリとLCDパネルの価格低下で、かなりブレーキがかかっています。だから直近では、それを非常に気にしていますが、「こういう中でも、いかに持続的な成長を図るかが、企業本来の姿だ」と叫んでいるんですよ。今までニコンは「シリコンサイクルがあるから、変動があって当たり前だよね」という会社でした。しかし私は「それは違う」と叫んでいまして、いかに経済の「潮目」が変わった時でも利益を確保できる状況を作り出すかを目指しています。長期的な展望の中で、自分たちの基本的な技術で社会貢献を行い、かつ収益を安定的に伸ばしていく会社に変えていくか、という点に集中しているわけです。「そのためには何をすべきか」ということで、今いろいろとやっているんですけれどね。

財部:
苅谷さんは、社内の課長クラスの方から上がってくる週報と言われるレポートを、毎週300通ぐらい見ておられると聞いています。これはやはり、さまざまな意味で、世界経済を認識することに役立っていますか?

苅谷:
非常に役に立っていますよ。例えばアメリカでは不景気と言っているけれど、まだ商品が売れている。しかし最近、じわじわとガソリン価格の値上がりが利いてきた。先週は、WTI原油価格が1バレル=106ドルぐらいまで下がったようですね(2008年8月27日の取材当時において)。実際のところ、(アメリカではガソリン高騰で)車が使えなくなると、郊外店舗の売れ行きが悪くなり、デジカメの売上に、その影響が直接きます。逆に2008年4月には、減税の波及効果がテレビには行かずにデジカメにきましたね。

財部:
そうですか。

苅谷:
そういうことが、日々の動きとして非常によく見えます。今ヨーロッパもじわじわと苦しくなっています。ヨーロッパは国ごとにレポートが上がってきますから、「この国がちょっと落ち込んでいるな」ということがよくわかる。

財部:
経営にはどのように反映されているのでしょうか。

苅谷:
緊急な要件については、週末には週報が上がってきて、土・日にそれを読み、月曜日の朝8時からの会議で議論して、9時半からの決定会議で対応策を決めてしまうんです。昔に比べれば、非常に意思決定が速くなったし、リアルなレポートが上がってきますから、市場の状況をひしひしと感じますね。

財部:
コマツの坂根さんも、そういうことを一所懸命にやっていらっしゃいますね。

苅谷:
そうですよね。でも非常に面白いですよ。ただ、英語でもレポートが入ってきますから、それを何百通、何十通と読むのは結構きついですけどね。

財部:
じつは私は、そういうレポートの価値を本当によく分かっている人間の一人だと思っています。私自身、マスコミに身を置いているわけですが、報道を見ていると、どこもかしこも同じような論調しかない。要するに情報源が1つしかないわけですよ。私から見ていると、そんな情報ではグローバル経営などは成り立たないだろうと思っているんです。
苅谷:
ああ、ウチも以前はですね、各国の駐在責任者が拠点長にレポートを上げて、その拠点長がカンパニー長にレポートを上げ、それが私のところに上がってくるまで、だいたい11カ月かかっていました。ところがそうなると、「こんなのを上げてはまずい」というように、途中でフィルターがかかってしまうんです。それに比べれば、現在の週報は内容がかなりリアルで、明らかに会社側の動きも速くなりました。

財部:
やはり社長は経営のトップマネジメントを担う以上、すべてを知っていなければならない、ということなんでしょうね。

苅谷:
いえ、そんなことはないと思います。当社はカンパニー制なので、実際上の運用の権限はカンパニー長に委譲しています。ところが、当社は現在(「嵐」の前の)「荒天準備」に入っていますので、ある金額以上の決済については「もう一度見直そう」ということになっています。具体的には、常務以上が参加する朝会「経営改革委員会」のメンバーが八人いるのですが、(ある金額以上の)執行については同委員会に諮り、「ちょっと待て」とか言いながら、自分のカンパニーだけでなく、他のカンパニーのトップ全員が内容を理解して、会社全体をみながら、事業を動かすというシステムを採っています。いわば「安全索」を引いている状態ですから、若干意思決定のスピードは落ちているものの、いわゆる「嵐」がきて事前の予想がひっくり返った場合でも、「ウチの船だけは粛々と進んでいくぞ」というわけです。

財部:
先ほどの週報に話が戻りますが、これはどういうきっかけで始められたんですか?

苅谷:
実は、私がまだ課長時代に手書きで書いていた研究開発関連のレポートが起源なんです。 私の上司が提出させていたものです。それがシステム化されたものが現在の週報なんですが、当時は毎週、専用の用紙にペンでせっせと書いていました。要は公式書類ですからレポートを書くのが大変で、1ページを埋めるのに、たくさんデータに当たる必要があり、結局、日曜日一杯かかったものです。それが今では、インターネットでサッと書けるようになりました。そのレポートが、私が部署を異動するたびにどんどん広がってきて、いつのまにか全社内、ひいてはワールドワイドに普及したという話です。

財部:
では苅谷さんとしては、ごく自然のうちに、週報全部に目を通しているということなんですね。

苅谷:
そうです。じつは、いつも同じことを書いてくる人の週報は、あまり見なくてもいいんですね(笑)。さっと見ればいい人のレポートと、詳細に読むべきレポートは、少し見れば判別できますから、300通を読むのにはそれほど時間がかかりません。でも、各レポートについて返信するなど、その処理作業は、ほとんど1日がかりになります。

財部:
私もですね、これまで各国を取材してきた中で、本当に信頼できる人がいた場合、継続的にその人と付き合える人間関係を作り、その人の認識を通じて、その国の情勢を定点観測しています。そうすると、現地の情勢の変化が非常に良くわかるんですね。

苅谷:
外部にはやはりそういう人を作っておかないといけませんよね。自分の中の情報だけでは、非常にワンサイドになってしまいますから。私の場合でも、そういう人はカメラ関係にもいるし、ステッパー関係にもいます。要は、その業界ごとにネットワークを作る必要が、やはりあると思いますよ。

財部:
若い頃からそういう感覚はあったんですか?

苅谷:
会社の中ではありましたね。よく言うんですが、昔の剣豪同士が剣を交えて「お主、できるな」と言って、お互いの実力を知るという、あんな感じです。要は、ニコンには「お主、できるな」となれば、お互いに協力しようという雰囲気があり、お互いに足の引っ張り合いはせずに、ずっと連絡を取り続け、情報交換をしながら皆やっている。今、社内でもいわゆる幹部候補生教育を行っているんですが、私は「同期生同士は仲間になり、互いに協力しなさい。君たちは足を引っ張り合う関係ではないぞ。お互いに自分の持っているものを活かしながら助け合い、会社や自分を引き上げていくための仲間なんだぞ」ということを、若手社員にしょっちゅう話しています。

財部:
そういう中で、最終的に誰が社長になるのかを決める要素は何なのでしょうか?

苅谷:
私のところですと、「人間性があること」ですね。要するに、この会社は本質的に誠実なんです。伝統的に誠実で、人を騙さず、悪いことをしない。「信頼と創造」という言葉を使っていますが、まあ「儲けりゃいい」という会社ではないんです。ところが、そういう中でやっていくためには、やはり、それなりに実力がなければならないし、先を見る目もなければいけません。そういう意味で言うと、一番本質的な部分ではやはり人間性。「コイツになら託せるな」、という感じだと思います。

財部:
そのようにおっしゃられた社長は初めてです。やはり皆さんは、人間性という言葉を、最終的な決定要素としては挙げられないですね。

苅谷:
そうですか。しかし、やはり長期的には人間性。人間性があればこそ、実績は積み重なってくるものだと私は思います。人を騙ながら実績を積み重ねられるものではありませんからね。私自身としても、「自分がおかしくなったら25,000人の社員の人生を狂わせてしまうんじゃないか、彼らの生活を苦しくさせてしまうのではないか」、という意識が強いんです。だから私は「少なくとも社長でいる間は、自分自身の健康管理から始めて、判断を誤らないように最善を尽くす」、と周囲に言い続けているんですよ。

財部:
わかりました。本日はありがとうございました。

【上2枚 /撮影 苅谷道郎氏】

(2008年8月27日 東京都千代田区 ニコン本社にて/撮影 内田裕子)