全日本空輸株式会社 取締役会長 大橋 洋治 氏

トップは率先して身を削るべし。「役損」を甘んじて受け入れよ

財部:
ところでJALとANAを比べた時に、「大橋さんの社長時代がなければ、当社もJALと同じようになっていたのではないか」と社員の方が言うほど、大橋さんの時代に大きな改革がなされています。山田方谷が行った備中松山藩の藩政改革ではないですが、無駄を削り、次のジャンプアップに備えた時期が、まさしく大橋さんの時代だったと思うのですが。

大橋:
いや、それはちょっと違いましてね。当社が培ってきたものを活かし、JALに近づくように努力したのは若狭(得治元名誉会長)の時代です。ところが社内にぬるま湯≠フような体質が残り、それを一所懸命に改めようとしたのですが、躓いてしまいました。その後、野村吉三郎社長の時代になり、「さあ、改革だ」ということになったのですが、4年の任期ではとても時間が足りません。それで私が後の4年間を引き継いだのですが、私の社長時代はJALとJASの合併を始めとする大きな出来事がいくつも起こりました。

財部:
はい。

大橋:
最初に起こったのは、2001年の9.11テロ事件。これは世界的な航空不況の引き金になり、当社に限らず世界の航空情勢を一変させるような影響をもたらしました。そして、その直後にJALとJASが合併しました。両者の合併は、当社からすると死命を制するも同然です。当時はJALが国際線の8、9割を持っており、両者の合併後も国際線の配分はそのままで、当社は「国際線をきちんと配分しないのはおかしい。少なくともJASが持っている国際線までJALに移管するのはどうなのか」と主張しましたが、国は「国際線は関係ない。国際線はJALが持っていればいい」という見解でした。国内線は3社が1対1対1で競争していたのですが、2対1での競争になりました。羽田空港の発着枠も適切に配分されなかったため、結局、約30便もの差がついてしまいました。その頃、年間1便あたり20億円の価値があると言われていたのです。

財部:
それは非常に大きなダメージになりますね。

大橋:
ですから黙っていても、年間600億円の価値が向こうに持って行かれてしまいます。そこで「これを何とかしなければ大変なことになる。会社が潰れないようにするためにはどうすればいいのか」と、皆がその時、真剣に考えました。

財部:
その時、大橋さんはどのように対処されたのですか。

大橋:
私は社長として、社内に号令をかけたのですが、そこで皆の気が引き締まったのでしょう。私が社長をしていた4年間のうち、約3年間はSARSや鳥インフルエンザも含めて、大変な状況が続きました。しかし、何とかしなければならない。まずは配当できるようにならなければ、銀行はお金を貸してくれません。当時、私の給与がいくらかといった細かい資料まですべて金融機関に持って行かれましたが、それは惨めなものでしたよ。

財部:
大変な苦労があったのですね。

大橋:
私はその時「『地位が上がれば上がるほど、 役得を捨てて役損を考えろ』という白洲次郎の言葉があるが、その役損だ。まずトップが身銭を削らなければならない。役員は身を削ろうじゃないか」と呼びかけました。ところが、いささか削りすぎまして、現在では筆頭部長よりも平の取締役の方が、報酬額が低くなっています。私は「これは悪いことをした。山元(峯生前社長)時代も今もそうだったが、早く元に戻さないと大変なことになる」と、今社内で話しています。

財部:
そうかもしれませんね。

大橋:
今考えると、上の報酬額が低ければ、下も低いわけですから、これはあまり自慢にはなりません。そこで「ある時点で役員報酬や給与の問題を是正しなければならない」と思っていた矢先に、JALがあのようになってしまったのです。「その轍を踏まないようにするためには、もう少し我慢しなければならない」と、私は最近言っているのですが、組合によく怒られますよ(笑)。

財部:
そうですか(笑)。

大橋:
いずれにしても、当社の収益体質の改善に大きく貢献したのは、私の後任の山元前社長です。彼は、全日空ホテルの売却を始め、いろいろなことをやりました。私の社長時代に、皆で配当にこぎつけることができたので、お金が少し回るようになりましたが、それだけではとても足りません。あの2千数百億円に上るホテルの売却益がなければ大変でした。今のJALどころの騒ぎではなかったかもしれません。だから伊東(信一郎社長)には「今はもっと前向きな事業を進めてほしい」と話しています。今当社が進めているLCC(格安航空会社)共同事業も、伊東社長が頑張ってくれていますよ。

財部:
ええ。

大橋:
LCCは、全日空のブランドでやっては絶対に駄目ですから、全日空のブランドを前面に出さず、世界中の人と組む。だから私は「LCCのアライアンスを組んではどうか。そうすると当社も困ることもあるが、それでまた良いこともある」と言っているのです。これから世の中がますます変わりますから、それぐらいの意気込みで取り組まなければなりません。

財部:
私は今、PHP研究所の月刊「Voice」に「パナソニック、新興国制覇の闘い」という連載記事を書いています。表向きのテーマは「パナソニックvsサムスン」ですが、記事全体を通じて本当に言いたいことは別にあるのです。日本の製造業は、日本のバリューがアジアでいかに力を持っているかに気付かず、アジアから引き揚げ、特にアジア通貨危機以降はアジアを足蹴にして、中国になだれ込みました。いわば、アジアを切り捨ててきたのです。

大橋:
そうですね。

財部:
客観的な数字だけを見ると、パナソニックとサムスンではまったく勝負になりませんが、為替や法人税に加えFTAなどの要素を取り除くと、パナソニックはそれほど大きく負けているわけではありません。ただし、圧倒的に負けてしまったのは新興国市場で、親日的で日本のバリューを理解しているアジアの人々を足蹴にしてきたことを、サムスンに逆手に取られてしまったと思うのです。

大橋:
なるほど。

財部:
ところが今回、海外取材を行って驚いたのですが、松下幸之助という存在が、インドでもマレーシアでも、インドネシアでも脈々と生き続けています。簡単に言ってしまえば、松下幸之助の経営理念ということになりますが、インドはインド、インドネシアはインドネシア、マレーシアはマレーシアなりに、単なる道徳や倫理観ではなく「それがあるから利益にも繋がる」という、非常に実践的でリアリティのあるものとして受け継がれているのです。

大橋:
そうなんですか。

財部:
そして、それらの国々に、松下幸之助の理念に共鳴した現地の経営者や、彼がポケットマネーで作ったものづくり基金、1935年に設立した松下電器貿易(1988年に現パナソニックと合併)の人材が残っています。したがってパナソニックは、今の大坪社長の下で「本当に行くぞ」と決心した時に、世間一般で考えられているよりも、はるかに有利に戦えるという実感を、取材を通じて抱きました。

大橋:
なるほど。

財部:
この話をなぜ今申し上げたかと言うと、現地を取材すると「メイド・イン・ジャパン」に、価格の問題をはるかに超える高いバリューがあることを感じるからです。先ほどの話で言えば、LCCのアライアンスはLCCのアライアンス、全日空のブランドは全日空のブランドという棲み分けが容易に成立しうるマーケットが、アジアには間違いなく出てきたと、実感として思うのです。

大橋:
それは興味深いお話ですね。

財部:
インドの家電売り場に行くと「このテレビのディスプレイは日本製です」と、わざわざ張り紙をしています。つまり、ディスプレイが日本製であるということが、非常に大きなバリューを持っている。それゆえ「ジャパン・バリュー」の再評価を、日本人自身がしなければならないのではないかということを、私はこの1年間、パナソニックのアジア戦略を見てきて、つくづく感じています。それを、サムスンとの比較の中で、どう見せていこうかと思案しているところです。

大橋:
ぜひ、その記事を読ませてください。やはり1番基本的な部分は、採用も含めて人材の育成にあるのではないでしょうか。

財部:
そこに尽きると思いますね。

大橋:
これから、われわれがやっていくべきことは、人材の確保・育成だと思います。以前、経団連の関係でインドネシア、インド、マレーシア、シンガポールに行きましたが、人口が500万人にも満たないシンガポールのリーダーたちが強調しているのが、人の育成です。「今、人を使おうとすれば、世界中から人材を引っ張ってくればいい。だが、これからシンガポールを育てていくのは、今生まれてきた赤ん坊やこれから生まれてくる子供たちの世代。そこに対する教育が重要だ」と、シンガポール顧問相のリー・クアンユー氏もゴー・チョク・トン上級相兼通貨監督庁議長も、同じ事を言うのです。

財部:
はい。

大橋:
その話を聞き、私は「この国は素晴らしい」と思いました。韓国も、そういう意味で、グローバル競争でいかに勝っていくかということを、よく知っているのではないでしょうか。私は韓国の政治家は、現大統領のイ・ミョンバクさん以外は知りませんが、彼は立派です。だから今、韓国は光っているのではないでしょうか。日本もしっかりしてくれないと困りますね。

財部:
そうですね。本日はどうもありがとうございました。

(2010年11月22日 東京都港区  全日本空輸本社にて/撮影 内田裕子)