野村ホールディングス株式会社 氏家 純一 氏

ブローカレッジからリスクテイクビジネスへ

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財部:
金融業界はこの10年で本当に変わりました。金融はどっちかっていうと、悪役でしたね。景色が10年前と今ではまるっきり違いますね。その象徴的な姿が証券会社だと思っています。氏家さんは97年に社長になり、野村は変われるのか注目されましたが、変わりすぎちゃって昔の野村じゃない、と批判もありましたね。

氏家:
ありましたね。

財部:
10年前に社長になったときに描いていたものと、今はどう違っていますか。

氏家:
07年から10年くらいの金融資本市場の変貌っていうのは、財部さんがおっしゃるように、外見的にはものすごい大きな変貌ですね。例えば、海外で仕事をしていた銀行というのは、14行だか15行だか、それくらいありました。それが今はマネーセンターバンクが3行になったわけですから。

財部:
ええ。

氏家:
大手証券会社も4社あって、それなりに独立して活動していましたが、今は3社になりました。そのうち変わらずに独立系でやっているのは、野村だけになりました。

財部:
そうですね。

氏家:
乱立状態が整理されて、景色がまったく変わりました。まあ、これは当時の金融政策と財政政策の結果、大変に痛い思いをして整理したっていう側面はあります。このコストはホントに高くつきましたがーー。でも、整理は当然だったと思うのです。

財部:
ええ。

氏家:
アメリカの経済規模はGDPで倍くらいでしょ。それなのに、国際的に活動している銀行は3行しかなかった。シティとJPモルガンとバンク・オブ・アメリカ。あのアメリカのサイズで3行しかやっていかれないのに、なんで日本は14〜15行も競争できるんだろうと。僕はこれが不思議でした。

財部:
なるほど、そうですね。

氏家:
証券会社もそう。アメリカの資本市場は、株式市場だけ考えても日本の約3倍あります。キャピタルマーケット全体の数字となると、まあ、10倍以上のサイズはあるでしょう。それなのに、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、と。それからリーマンブラザーズ、ベア・スターンズ。ブローカーディーラー、インベストメントバンクでやれているのはこの米系5社に欧州系のUBSくらい。

財部:
そうですね。

氏家:
それなのに、その10分の1以下のサイズしかない日本の資本市場で、主要証券会社4社っていうのは、やっぱり無理だと思っていました。ようやく土俵のサイズにプレイヤー数が合ってきたという意味では、日本の金融の風景は変わりました。でも、それに合わせてやっている内容も変わったかっていうと、そこは、残念ながらそれほどでもないと思っているんです。

財部:
具体的には、どういうところが変わるべきでしょうか。

氏家:
まず、委託コミッションから、もっとリスクテイクする事による収入へと移っていくだろうと思っていましたね。

財部:
仲介の仕事から、主体者になって直接投資していくわけですね。

氏家:
ええ。例えばゴールドマン・サックス。近年、あそこの業務のほとんどはリスクをとったビジネスで構成されています。委託業務からの手数料なんて少ししかない。アセットマネジメントはかなりありますが、それを除いたら、ブローカレッジコミッションはかなり小さいと思いますね。メリルリンチは、そこそこありますが、野村よりは比率が少ない。モルガン・スタンレーもリーマンブラザーズも、ゴールドマンとメリルリンチの間くらい。世界の金融はかなりリスクテイキングビジネスにシフトしてきています。でも、それは考えたら当たりまえです。手数料が自由化されたら何で儲けますか。何かでリスクをとらない限り利益はありませんよね。もう制度が手数料を保証してくれないのですから。だから手数料が個人まで自由化された段階で、もっとリスクテイキングビジネスが広がっていくと思ったんですけど、これが予想したほどに広がっていません。

財部:
なぜなんでしょうか? 

氏家:
原材料が少ないんです。リスクテイクする原材料が。

財部:
種類が?

氏家:
そう。現在は、株式、債券、ローン、不動産、金融デリバティブ等、商品デリバティブ、天候デリバティブ、排出権デリバティブ、こんなものでしょう。不動産は投資資産の重要な分野であり、近年いくらか増えてきましたがまだ少ないですよ。REITやMBSのマーケットサイズもアメリカに比べて極めて小さいしね。

財部:
そうですね。

氏家:
ローンでいうとCMBS(Commercial Mortgage Backed Securities商業用不動産ローン担保証券)RMBS(Residential Mortgage-Backed Securities住宅ローン債権担保証券)、これもまだ極めて少ない。僕は、ローンというのはもっと早く2つの形態になると思っていました。ひとつは、ローンで財務制限条項(一定の財務内容を維持すれば、企業は低い金利で資金調達できる)がはっきりしているから、債券みたいにどんどんトレードされるという世界。それともう一つは、最初から証券化するという前提でプログラムを決めて、それに合わせたローンを作るというもの。

財部:
なるほど。投資家に合わせて商品をつくっていく。

氏家:
そういったトレーディングできる原材料をどんどん増やさなきゃいけない。なのに、SPCが使いにくいとか、ローン転売にまだまだ制限があるとか、第三者対抗要件がまだ確立していないとか。そういうさまざまな問題があるわけですよね。だから、もっとインフラ整備をしていかなきゃいけない。そうすればマーチャント・バンキングや再生ビジネスももっと広がっていくと思います。

財部:
欧米と比べるとまだまだ規制があるんですね。

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氏家:
そうですね。 証券会社だけじゃなくて銀行もそう。過去にあれだけ企業貸付で痛い目を見たんだから、さすがにしっかりスプレッドを取って貸すだろうと思ったら、依然としてスプレッドがあまり大きくなったようには見えない。

財部:
そうですね。あまり差はないですね。

氏家:
アメリカの企業貸付の平均スプレッドは約4ポイント。今は3.8ポイントくらいに減ってきたけれど、日本の場合は2ポイントを下回るくらいでずっとやってきた。そうだとすると、これは、いつかきた道です。総額96兆円だかの不良債権を処理して、税金を12兆もつぎ込んで、いつか来た道ではとても残念ですね。

財部:
ええ。

氏家:
だから、貸したら即、証券化して、信用リスクをなるべくバランスシートから外してしまう。それから、クレジット・デフォルト・スワップで信用リスクをカバーするとかね。そういう世界がもっともっと広がると想像していました。ここ2年間くらいはシンジケート・ローン、クレジット・デフォルト・スワップそれからセキュリタイゼーションのスピードは増してきたんですけれども、それでもまだ遅い。

野村證券から野村グループへ

財部:
野村證券自身は、中身は変わったんですか?

氏家:
野村證券自身は、80年代後半に比べれば利益、収入の変貌はすごい。当時は、株式等のブローカレッジから来る収入が50%近くあったと思います。その後、野村は海外でリスクテイクビジネスに積極的に出て、儲けもしましたがかなり痛い思いをもしました。今では、ブローカレッジコミッションは20%程度になり、リスクテイクビジネスは収入の50%前後まできています。アセットマネジメントからくる収入はまだ少ないのですが着実に伸びてきています。こう見ていくと変貌はしましたね。でも、もっと変貌してもいいと思う。

財部:
それは、市場環境の変化があまりにもなかったために、野村證券自身も十分に変わりえていないという理解でいいんですか?

氏家:
2001年に持株会社体制への移行に伴い、野村ホールディングスと野村證券に機能を分割した。そして、古賀さんが社長になってから、野村証券グループと言っていたところから証券を落として、野村グループっていう考え方にして、扱うものは証券だけじゃないぞ、と。ローンも不動産も、と。電力会社と一緒にクリーンエナジーの権利も売買するぞっていう風に、取扱商品を増やしていっているわけですよね。言ってみれば、将来のキャッシュフローが不確かなもの、一定期間持つと利益もリスクもあるものは、経済効果は結局どれも同じなわけですよね。

財部:
うん、うん。

氏家:
だったら原材料を、商品を、サービスを広げましょうよと。そうするとビジネス範囲が大きくが広がりますよね。例えばマーチャント・バンキング。デパートを買収すると。もちろん野村の経営陣がデパート経営を上手にできると思っていません。そうではなく、デパートは比較的キャッシュフローが読めるビジネスなので、そこにすぐれたデパート経営者を置いて、財務諸表や資金繰りをきっちり見ていけば、将来儲かるように会社を変えられるぞ、と思って買っているわけです。このような形を考えれば、今後ともリスクテイクビジネスは色々な形態で増えていくわけです。

財部:
そういう意味で言うと、野村が単独で独自の変貌を遂げているということですね。

氏家:
野村は、金融・資本市場の窓明け業務、拡大業務をやりたい。片足金融制度だったのを両足金融制度にしたい。野村が変わることで、それがエンジンになって日本全体で、リスクテイクビジネスだとか、ローンの流動化とか、マーチャント・バンキングビジネスだとかを、もっと拡大したいんですよね。 私としてはリスクテイク分野を野村が先陣を切って日本の中に開拓して根付かせるということをもっとやりたかった。

財部:
無責任に言うと、本当に野村證券にそれをやってほしいと思っていました。ある意味では、野村證券だけが変わってしまって日本の金融業界はそこに全然ついていけなかった。かつての大蔵省の証券局の時代っていうのは、野村證券が方向を作っていく、そういう時代がありましたよね。それは一回、全部ご破算になった。氏家さんが就任して、その後に「野村證券もっとやってよ」っていう意識が僕の中で実はあったのですけれどもね。

氏家:
なるほど。野村がもっと元気だして、っていうところと通じてるんですね。

財部:
ええ。

氏家:
確かにね、まず行政との距離のとり方が大きく変わったというのはあります。昔はそれなりに近しい距離感でやっていました。それがいっぺんに離れてしまった。

財部:
そうですか。

氏家:
行政と一緒に日本の金融・資本市場を変えていかなきゃいけなかった時に行政と離れていたのは、やはりマイナスだったと思うんですよね。結果、安普請の金融・資本市場のインフラを作ってしまった。ここをきちっと作っていかなきゃ。さっきの証券化にしろ、ローンの売買にしろ、それからマーチャント・バンキングにしろ、やはりインフラであるSPCの制度、企業分割法、その他の諸制度の整備や、それに関わる人的資源の配分が不十分である影響を受けている。まあ、言ってみれば、結構トラウマに縛られている時期が長かったですよね。

財部:
やっぱりあれはトラウマですか?

氏家:
はい。それは強烈なトラウマですね。

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財部:
不良債権処理で手一杯になってしまいましたからね。竹中金融庁の時代は結果として証券局というものがなくなっちゃいましたね。証券課。そこに経産省から課長がやってくるという状態です。まあ誰がやってもいいんだけども、証券行政は空洞化しちゃいました。

氏家:
確かに100兆の不良債権っていうのは、少なくとも近代史上ないサイズで、そこに全精力を注がなきゃいけなかったっていうのは仕方がないかな、と私は思っています。でも、金融・資本市場、特に資本市場をどう育てるか、その為のインフラ作りは足りなかったですよね。

財部:
本当に残念ですね。