全日本空輸株式会社 山元 峯生 氏

仕事も人生も、コロコロ変わるからこそ面白い

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財部:
ここで山元さんご自身について、個人的なお話を少し伺いたいんですが。

山元:
そうですね。私が初めて課長になったのが羽田の客室部で、そこの課長になったとき、今まで歩んできた職場とがらっと変わって面白かったですね。

財部:
そうなんですか。

山元:
当時の私の配下は、いわゆるキャビンアテンダントの女性300人。軍隊の組織と一緒で、アテンダント10人ぐらいを束ねる班長がいて、その班長を3つほど束ねる係長がさらに上にいました。私が毎月会議をしたり、さまざまな指示を出し相談するのは、その中でも上位10人ぐらいでしたかね。まあ、彼女たちとしょっちゅういろんな話をしましたよ。

財部:
女性社員とコミュニケーションを取り、意思を伝えていくのは簡単なことではありませんよね。

山元:
そうですね。私は男兄弟2人で、ずっと物心ついてから、家の中に女性といえば母親しかいなかったんです。ある意味で純粋培養というか、ですからかえって良かったのかもしれません。目の前の女性の大集団を前にして、何の偏見もなかったですから。でも300人の部下に自分の意見を通そうと思うと、ひと月以上かかるんですよ。命令系統が順番にこう、班会で降りていきますからね。だから、いざ何か仕掛けようというとき、かなり時間がかかりました。でも、ひとたびサービス向上委員会などのプロジェクトを組むと、優秀な人材が選抜されてくるからでしょうが、たとえば1カ月という期限内にきちんと回答がでてくるんです。女性の強さ、たくましさを感じて「目から鱗」でしたし、これがやはり、会社に入って一番カルチャーショックを受けたことですね。

財部:
はあ――。では以前は客室部という、経営とは全く無縁の部署を歩いてこられて。

山元:
はい。私は最初に羽田の旅客部に配属され、カウンターでお客さんと接触する現場から仕事を始めたんです。あとは給与や企画、法務とか、いわゆる10人ぐらいを単位とする、どの会社にもある共通の仕事ばかりでした。それが客室部では、一番のフロントラインに関わる仕事でしたから、いや、面白かったです。

財部:
いまは客室本部長の山内さんが女性でトップですが、山元さん以前は、結局すべての管理職を男性が占めていたわけですよね?

山元:
そうなんです。部長、業務部長、一課長、二課長、私がなった三課長、みな男性でした。

財部:
これは非常に特殊な、ほとんど他の会社にない世界ですよね。

山元:
ですから早くから女性の管理職ポストを作り、彼女たちに仕事を任せなければ、ということが、会社のポリシーとしてあったと思います。その対象者にリーダーシップやマネジメントなどを何年かかけて教育し、いまやっと女性役員が登場してきたという感じですね。

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財部:
客室部の第三課長になられたときが一番びっくりした、というお話がありましたが、社長になるまでの間にですね、本当に会社を辞めようと考えたことはなかったですか?

山元:
それは一度もないですね。やる仕事、仕事がいつも違っていましたから。最初は羽田の旅客部で4年。その次は、チェックインや発券業務。それから給与課に行きまして、仕事がガラッと変わりました。最初は机に座っていることが苦痛でしたが、しばらくしたら企画課に移りましてね。需要予測が担当でしたが、当時は第2次オイルショックの後で需要予測どころか、飛行機を日本へ持ってきても飛ばすところがなくて、企画らしい仕事を何もしないうちに法務課に行ったんです。そこでは航空保険とか、何から何まで、これまで扱ったものとはまた違っていまして、その次に客室部の第三課長になったわけです。それがまたしばらくすると、福岡支店に移りましてね(笑)。

財部:
ああ、そうですか(笑)。

山元:
福岡支店はかつての九州統括支店で、そこで総務課の課長をやりましたが、支店長より飲んでいましたね(笑)。そして本社に帰ったら、今度は乗員計画課に配属です。この部署では、会社の事業計画に合わせてパイロットを養成するんですが、パイロットが一人前のキャプテンになるまで10年ぐらいかかります。だから、会社の業績が良いときに大量養成すると、会社の業績の波の「谷間」にあたることがありましてね。パイロットの養成は皮肉なことに、必ずといっていいほど会社の業績と一山ずれるんですよ。

財部:
なるほど。

山元:
それから、次にまた法務部に移り、さらに総務部長、人事部長もやりましたから、小刻みに3年スパンでさまざまな仕事をしてきたことになりますね。

財部:
それは、帝王学を学んでいたということではないんですか?

山元:
いやいや。たまたまじゃないでしょうか。でも、一番苦しいなあと思ったのは、やはり企画のように、無から有を出す仕事です。やはり、自分の業界で何かを搾り出すことがしんどい、というのは確かだったですよね。

財部:
でもいまは、会社全体でそういうことをされていますよね。全社的に新しい、何か革新的なサービスを生み出せ、というような取り組みをされていると思いますが。

山元:
いうのは簡単なんですよ(笑)。

財部:
そうですね(笑)。

山元:
ですが、社内で勝手なことをいって勝手な組織を作り、そういう新しい試みもできるようになりました。たとえば今年4月からスタートした(株)ANA総合研究所がそうです。これは全日空社内から20数人の「変人」を集めて――変人といったら怒られるんですが(笑)、「まあ、寝ていてもいいからとにかく何かアイディアを出せ!」というようなことをやっているんです。無から有を出す仕事ですから、それに耐えられるような人でなければ駄目で、真面目に机に向かっていないと仕事をした気にならない、という人だと務まらないですよね。

財部:
ところで最近テレビ番組も含めてそうなんが、私は取材で社長にお目にかかったとき、「なぜあなたは社長になれたのですか」、と必ず伺っているんです。この辺は、山元さんご自身はどのようにお考えですか?

山元:
運というか、偶然の巡り合わせです。全く予想外でした。

財部:
予想外ですか――。それからたとえば、出世もしたいだろうし、自分でやりたいこともある30、40代サラリーマンに、もしアドバイスするとしたらどんなことがありますか?

山元:
上司がよくないと、やはり会社は面白くないですよね。基本的に「上司イコール会社」というところがあるじゃないですか、若い頃っていうのは。そういう意味では、私なんかは上司に恵まれていたっていいますかね、ちょっと変わった上司が多かったですよ。

財部:
たとえば?

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山元:
もう、会議室にこもって本ばかり読んでいる上司とかですね。それから、まあどの会社も昔はそうだったでしょうけれど、課長なんかが5時になると、若いのに酒を買ってこさせて飲んでるんですよね(笑)。こちらの方は、上司がなかなか帰らないから僕も帰れないなあと思っていると、「さあ、行くぞ!」というひと声があって。それにつられて、僕らも「はい!」なんていってね。

財部:
お役所にはない気がしますね(笑)。

山元:
面白かったですよ。

財部:
では逆にですね、上司に恵まれなかった場合はどうしたらいいですか?

山元:
もう、それは耐えるしかない (笑)。でも2、3年経てばまた変わりますからね。まあ、殺されはしませんから――。

財部:
山元さんのお話しを伺っていても、やはりある種、西尾さんと共通するものを感じます。たとえば、この目の前にある現実を、非常に合理的に考えていくところがそうですね。実際、客観的にみれば、1人のサラリーマンが毎回毎回いい上司に恵まれているとは思えません。でもそれを、「僕は恵まれている」というように前向きに捉えていくことがポイントなのかなあ、という気がするんです。

山元:
やはり仕事の質がガラリと変わるということは、いい意味で「ご破算に願いましては」ですからね。逆に、経理なら経理でずっと通していくというのはなかなか――。まあ人にもよりますが、私みたいな性格だと辛いですね(笑)。だからコロコロ、コロコロと変わっていくと、もの凄く面白いんです。生き抜くということが――。

財部:
どうもありがとうございました。

(2006年7月3日 全日空 港区東新橋本社にて/撮影 内田裕子)