小林製薬株式会社 代表取締役社長 小林 章浩 氏
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顧客も気づいていないニーズを発見し、商品化する

小林製薬株式会社
代表取締役社長 小林 章浩 氏

財部:
まずは今回ご紹介いただいた、マツモトキヨシの松本清雄社長とのご関係からお聞かせ下さい。

小林:
マツモトキヨシさんは日本一のドラッグストアなので、当社にとって1番のお得意先であることは間違いありませんが、松本さんとは商売の話を一度もしたことがありません。彼も私もゴルフをしますが、一緒にゴルフをしたこともないのです。でも、お互いによく食事に誘い合っています。経営者として社員のモチベーションをどうやって上げるか、どのように業務改革をしていくのか、という話をする仲間です。

財部:
なるほど。事前にお送りいただいたアンケートでいくと食事人脈ですか、お酒人脈ですか。

小林:
お酒人脈ですね。彼は知り合いが非常に多く、私も彼ほどではないですが、人を紹介したりしています。外でつながっていることが、お互いにとっての価値だと思っています。

財部:
松本さんのご取材の際、印象深かったのですが、「どなたかご紹介を」と最後に申し上げたら、小林さんと決めておられました。よほど仲がよろしいのかと。

小林:
性格が違うので「2人で何を話しているのですか」とよく言われるのですが、気が合うように思います。

財部:
小林さんのような創業家の方が社長になるタイミングが早かったのか、遅かったのかということについては議論があるところだと思いますが、社長になってみて、そういう経営者としてのお付き合いはどんな意味を持っていますか。

小林:
私は親の「七光り」で社長になっているわけですが、若くして社長や重役になっていなければ会えない人に、お会いできていると思います。経営者としてというより、人として、なかなか会えない人に比較的自由に会わせてもらえるので、本当にありがたいですね。私は小学2年生ぐらいから社長になるのだなと、何となく思って生きてきたので、それなりの心構えがずっとありました。帝王学ではないにせよ、会社に入ってから、リーダーとしてどうあるべきかといったことなどを叩き込まれていて、他の若手経営者の方の悩みに共感し、不十分ながらもアドバイスをすることができるので、お互いにWin-Winの関係を作りやすいと思います。

財部:
以前、武田薬品工業の武田国男元会長に「経営者の輪」でお世話になったのですが、武田さんは、自分は全く社長になる予定のなかった人間だというのです。会社が代々長く続いていく中で、1番の問題が社内の内紛。部下の中で、創業家の兄弟を担いだりして問題を起こす人が必ず出てくる。そのため、小林製薬をはじめ名だたる製薬メーカーが軒を連ねる道修町(大阪市中央区)では、創業家に兄弟がいると、長男だけ父と暮らし、長男以外の子供は母と別の町に住み、別の学校に行くという習慣があると伺いました。

小林:
よく聞きますね。

財部:
そして武田さんは、武田薬品に入社してからずっと、およそ薬とは全然関係がないマイナーな商品を売っていました。ところがお兄さんが病気で急逝した時、お父さんは「なぜ兄貴が死んでお前が元気なんだ」という顔をしていたというのです。武田さんは「自分が年を取れば取るほど、親父の気持ちがわかる」と話していましたが、逆の立場でどう感じられますか?

小林:
そのことについてですか?

財部:
ええ。「経営者として育てていくために、いろいろなことを教えてきた長男が亡くなり、何も教えなかったお前が残ってしまった」というお父さんの失望感についてです。「自分が経営者になって時間が経てば経つほど、それがよくわかるのだ」と武田さんはおっしゃっていたのですよ。

小林:
私の兄弟は姉と妹で、男1人ですから、もう自分しかないのだろうと思って育ってきました。まあ、親父はうるさいですよ。

財部:
どのようにして、自分がいずれ会社を継ぐ立場になることが伝えられるのでしょうか。小学校2年生の時に真面目に話をしたのですか?

小林:
それはありません。でも年に何回か、会社の話が少し出たりしていましたね。

財部:
それは、お正月などの何か特別な日に?

小林:
いえ、一緒にお風呂に入っている時などですね。そういう中で、「いつか自分もやらなければいけないのかな」と思い始めたのです。

財部:
自分にはやりたいことが別にある、という方も世の中には数多くいますが、そういう紆余曲折はなかったのですか。

小林:
今やりたいことはありますし、もし社長にならなかったら、あるいは辞めたらと思うことはあります。でもその当時は、社長になること以外にあまり考えていませんでした。

財部:
お父さんだけでなく、お母さんや他の方も、折に触れて言うのですか。

小林:
それほど大きなプレッシャーでもないのですが、母親方の祖父が経営者だったので、小学校の後半頃にそういう話がよくありましたね。「自分がしんどい時にでも困っている人がいたら、助けられるようになりなさい」など、いろいろなことを言われました。

財部:
私はいま『京都企業の実力』という仮タイトルの本を書いていて、老舗企業からベンチャー企業、伝統文化に関わる分野まで、さまざまな次元で京都の取材をしています。京都の企業でも代々、経営者が幼い頃から、それとなくいろいろなことを言われているようです。何人かに共通していたのは、「偉そうにしてはいかん」ということでした。400年の歴史を持つ老舗料亭「瓢亭」の若主人・橋義弘さんは「あまりにも『偉そうにしちゃいかん』と言われてきたものだから、今になっても出入りの業者にすら偉そうにできなくなってしまった」とおっしゃっていました。あとは「おできと料理屋は大きくなったら潰れる」という格言のようなことを、代々繰り返し言われてきたというのです。それに近いものがあるのでしょうか。

小林:
たまたま祖父が京都で、陶器の製造販売をやっていたのですが、陶器の焼き物のデザインや陳列の方法についても「これでいい」と驕っては駄目で、とにかく「工夫し続けなさい」と言っていました。

財部:
それは、小林製薬そのものかもしれませんね。

小林:
そうですね。直接は関係ないですが、長く続いた会社に共通するものがあるのでしょう。

全社員が月に1個はアイデアを考える

財部:
今こうして創業家のお話をしているわけですが、「社長だから社長になる」のではなく、「社長になると社長になる」というのが現実だと思います。大変僭越なのですが、豊田章男さんがトヨタ自動車の社長に就任した時、あまりにも巨大な会社ですから、大丈夫なのかと思っていました。最初にどういうことをおっしゃるのかと思ったら、「もっといいクルマをつくろうよ」という方針を打ち出したのです。それで皆は開いた口がふさがらなくなってしまいました。「何を言っているのだ」と。トヨタはサプライヤーにはもちろん、社内にも非常にシビアな会社ですから。

小林:
本当ですね。

財部:
先日、私のBSの番組(BS日テレ『財部ビジネス研究所』)で豊田社長に出ていただいたのですが、「もっといいクルマをつくろうよ」という言葉はじつは奥深いもので、「トヨタは大きくなることばかりに集中しすぎて順番を間違えていた」というのが彼の言い分だったのです。とにかく「年間900万台を売ってGMを抜く」とか「改革・改善でいくら利益を出すのか、そのためにどんなクルマを作るのか」と順番を間違えていた。だから豊田社長は、いいクルマをつくろう、その結果が1000万台なのか1100万台なのかは、また次の話だとおっしゃっていたのです。それが「創業家の良さ」であり、サラリーマン社長では絶対にできないことなのですよね。

小林:
確かに。

財部:
普通は業績や数字に引きずられるあまり、本質的なことをなかなか言えません。その点、豊田社長は最初からそういう理念を持っていたにもかかわらず、皆が何となくそれを認めていなかったのです。トヨタのこれまでの社長とはタイプが全く違っているということもあったのですが、リーマンショックからアメリカでのリコール問題、東日本大震災、タイの大洪水に至るまで厳しい状況を乗り越えてきた中で、豊田社長が最初に言った言葉が最も正しく、今もトヨタはそこに集中できているのです。

小林:
シンプルですが強い言葉なのですね。社員にとっても。