三井不動産株式会社 岩沙 弘道 氏

財部:
先ほど話題に上った江戸さん、坪井さん、田中さんは、日本の財界を代表する有名な経営者だと思いますが、彼らから、どのようにして企業理念なり経営方針が伝えられたのですか。具体的に、役員になった頃に伝えられたのか、それとも社長に就任された時に伝えられたのでしょうか。

岩沙:
そもそも私は、江戸さんと出会い、江戸さんの話をいろいろと聞けたから、この会社に入ったという経緯があります。今や当社では、事業のフィールドも大きく広がり、社員も相当な数に増えました。でも、われわれの頃は、トップから話を聞いたり、意見を申し上げたりする機会が日常的にあったのです。出張の際もトップに同行させていただき、お酒を飲みながら話をするということが、よくありました。

財部:
そういう距離感だったんですね。そういう意味では、最初から肌で学んでこられた、と。

岩沙:
ええ。距離感が近かったんですね。私としては、教えを請うという立場ですが、今考えると、「ここは話を聞かせてやろう」という配慮で誘ってくださったこともあるようです。たとえば坪井さんの頃は、住宅事業の新たな草創期、発展期にあたっていたこともあり、民間企業である当社が住宅事業を手がける意義や、お客様にとっての住まいや資産としての住宅の重要性など、いろいろとお話を聞かせていただきました。いずれにしても、民間企業が住宅事業を手がけたのは、基本的に昭和40年代になってからであり、今では当たり前の住宅ローン制度も、われわれが金融機関に働きかけて生まれたものなのです。

財部:
そうなんですか。

岩沙:
ええ。それまでは、地方から都市に出てこられた労働者やサラリーマンの方々は、公団・公社住宅や社宅に入っておられたわけです。当時は、欧米のように、民間のデベロッパーがコンドミニアムを開発し、その区分所有権を担保として金融機関がローンをつけるような仕組みはありませんでした。

財部:
なるほど。僕の世代だと、先輩たちがやり始めたそういう事柄がまだ見えていて、自分も一緒になって新しい時代に入っていくんだと自然に思っていました。ところが今の30代、20代になると、かつてそうやって作り上げられたものが、壊れかけていることしか知りません。とくに30代は、バブル崩壊後の日本の姿しか、頭にないような気がします。

岩沙:
いつの時代も、パラダイムの大きな変化はある周期で起きますし、そのマグニチュードの大きさもさまざまです。そういう中で、企業が進化や発展を遂げるには、中堅や若い世代の人々が、新たな発想でイノベーションにチャレンジし続けることが必要だと思います。その段階に入れば、まさに新たな挑戦が始まりますから、われわれの世代が宅地開発事業やビル事業などで、会社の上層部を突き上げたのと同じ状況が生まれるのではないですか。

財部:
そうですね。

岩沙:
わかりやすい例では、不動産の証券化が挙げられますが、当時、私はこれが日本における資産デフレ脱却の鍵であると思っていました。かつて、98年に金融危機を迎えた日本の間接金融資本市場が機能不全に陥り、不動産分野でもメインバンク、サブバンクを含めて資金が確保できないばかりか、メインバンクの存続自体が危ぶまれるような状況でした。それを打開すべく、欧米先進国における不動産と金融のあり方について改めて見たところ、良い場所に良い土地を持っているだけで価値が積み上がっていく構造、あるいは「日本の土地神話」は基本的に間違っていた。やはり土地をどう有効活用して価値を高め、その収益やキャッシュフローをサステナブルに安定させていくかによって、不動産の価値が決まるのです。実際、諸外国では不動産が金融商品化され、機関投資家や直接金融資本市場のプレイヤーは、それを運用投資対象としている。これだな、と思いました。

財部:
なるほど。

岩沙:
そうすると、不動産を金融商品化した場合、最終的には上場企業と同様に、株式市場で換金できるような流動性を持たせなければなりません。いずれにしても、その前のプライベートファンドの段階において、証券化によってリスクを市場で広くシェアできる仕組みが必要だということで、SPCによる資産流動化を実現、さらには不動産投資信託制度を創設し、世界の直接金融資本市場の資金を日本に呼び込むことを考えました。そのためには、日本の不動産は日本特有の市場構造における、キャピタルゲインをベースとした財ではなく、そこから上がる収益をベースとした、いわばグローバルスタンダードにより評価される財になる必要があります。そういう意味で、パラダイムの転換ですね。

財部:
はい。

岩沙:
株式と同じように市場でエクイティを売買できるいわゆるREIT市場を創設しようと小泉元首相に提言したのは私です。でも私自身は、不動産証券市場とはどういうものか、それを日本の上場不動産会社がきちんと共生できるような仕組みを持った「日本モデル」REITにするためにはどうしたらいいか、という課題を出し、進むべき方向を示しただけで、実務を担ったのは当時20代から40歳そこそこで構成されたタスクフォースの面々で、中心となったのは課長から部長代理の社員でした。

財部:
まさに若手・中堅社員が中心となって活躍されたのですね。

岩沙:
ええ。今後、世界の直接金融資本市場から資金が入ってくるならば、たんに不動産を証券化して金融商品化するだけではなく、個別の収益が見込める不動産に、われわれがもっと付加価値をつけて、たとえば東京の街や東京の不動産全体の価値を高めていく、ということも可能です。場合によっては、開発の段階から投資を行っていただく、ということがあってもいいのではないかと考えました。

財部:
赤坂の『東京ミッドタウン』などがそうですよね。

岩沙:
ええ。逆に言えば、メインバンクに余力がない時に、広く世界の直接金融資本市場から資金を導入すれば、都市再生や「複合街づくりプロジェクト」といった、不動産分野におけるあらゆる付加価値の創造がいくらでもできる。「不動産業はやり方次第だ」という考え方の下に、われわれは従来のビジネスモデルを変えることができたのです。

財部:
そうだったんですか。

岩沙:
(そうした付加価値の創造によって)一国を代表する東京や大阪などの大都市がプロフィットセンターになり、世界中の優秀な人材や資金および企業が日本に集まれば、それが日本経済のデフレ脱却にもつながっていく。また、都市再生事業や街づくり事業は、ある意味で財政出動をともなわない公共事業とも言えます。そこで、若手を中心とした不動産証券化へのチャレンジだけでなく、都市再生や街づくりというテーマの下に、われわれ自身のデベロッパーとしての本業を、もう一度イノベーションしようではないかと考えたわけです。

財部:
なるほど。かつての日本では、ある意味で、誰でも良い思いができたと言えるかもしれません。でも現在は、経営者がイノベーティブな判断をして、従来とはまったく違うビジネスモデルを創出しなければ企業は生き残れません。ところが、かつての規制の中で生まれた企業や、従来通りにフローの景気に一喜一憂し、ビジネスモデルを変えることができないでいる企業との格差を感じますね。

岩沙:
そうかもしれません。それは、経営トップの責任ですね。

財部:
一般的に多くの人は政治のせいにするじゃないですか。政治の影響は大きいと思いますが、政治の問題よりも経営の問題の方が格差が大きすぎるんじゃないかと思います。

岩沙:
ええ。自立しなくてはいけないんですよ。まさにベースは独立自尊です。 私は、日本は次のパラダイム転換に直面していると思っています。その1つが、日本が世界の先頭を切って少子高齢化、長寿社会に突入していることです。現在、これを非常にネガティブに捉える傾向がありますが、前東京大学総長の小宮山宏さんもおっしゃっているように、これは先進国や新興国を含めた各国共通の大きな課題。それぞれの国で段階は違いますが、日本がいち早くそういう問題に直面したということは、考え方によってはチャンスだと思います。小宮山先生の言葉を借りると、日本はまさしく「課題先進国」。そういう気概を持つことが、今の日本には大切だと思うんです。

財部:
おっしゃるとおりだと思います。

岩沙:
そういうパラダイムの大転換を踏まえると、イノベーションは技術開発分野だけに限ったものではありません。ビジネスモデルや企業のフィロソフィー、企業の基本的な本業ドメインのあり方も含めて、大々的なイノベーションを行うことができるチャンスが今なのであり、それを「面白い」と感じるような発想が大切なのです。

財部:
御社は今、どのようなイノベーションに取り組んでいるのでしょうか。

岩沙:
ひとことで言えば、サービスの成熟化。日本で望ましい成熟、もしくは、あるべき成熟化とは何かということを日々考えています。たとえば当社は、「住まいと暮らしのベストパートナーを目指す」を目標に住宅事業を行っており、三井不動産グループ内だけで、お客様のニーズにほぼワンストップで応えられる商品やサービス、システムを提供しています。そういう意味では「ベストパートナー」とまではいかないまでも、ソリューションプロバイダーとしての機能は果たせていると思います。ところが今や、お客様のニーズの多様化・多面化が顕著になっていて、たとえば、ある局面では不動産を持つが、別の局面では賃貸がいいとおっしゃる方もいて、お客様自体が投資家になることもある。いわば、お客様のニーズがハイブリッド型になっているわけですね。

財部:
そうした変化にどう応えていかれるのですか。

岩沙:
新規の分譲住宅中心の考え方ではなくて、たとえばセカンダリー(既存住宅)を買われたお客様も本当に満足できる仕組みにしていく必要があります。そのためにはリモデリング(増改築工事)やリニューアル、加えて住まいにおける安全・安心・快適で便利な生活を支えるサービスを付加していかなければなりません。もう1つ、現時点では、お客様が「自分のライフスタイルやライフステージに最もかなう住宅は何なのか」と相談された時、ソリューションや選択肢をワンストップで提示できるようになっていない。リハウスなら三井不動産販売に行かなければならないし、新築なら三井不動産レジデンシャルということになる。そういう住宅事業のあり方を、私はイノベーションしていかなければならないと思っています。

日本は東アジア発展のための「サービスセンター」を目指せ

財部:
岩沙さんは、いまや不動産業が、多層かつ横断的なビジネスに変化していることを実感し、その現場で学んだ知見やノウハウをお持ちだと思います。そのうえで、中国を含めた東アジア地域という成長市場に入っていくことも、視野に入れていらっしゃるのですか?

岩沙:
そこなんです。もう1つの大きなパラダイム転換はグローバル化です。しかしグローバル化とは、けっして輸出型産業だけの話ではありません。むしろ、こういう時代になると、これまで日本という国境線の内側だけをマーケットとして認識してきた、国内の内需型産業の市場が大きく広がるのです。つまり(日本国内の内需産業が)、中国を市場と認識し、中国市場における本業として商品、サービス、ネットワークを提供していく。そしてその一方で、中国市場におけるニーズを日本でも実現してもらう。たとえば日本に投資してもらうとか、日本の住宅を買っていただく、日本で賃貸住宅を借りていただくといったことを、双方向で市場として自然に捉え、われわれの本業をそこに広げていかなければならない時代に入ったと感じています。

財部:
三井不動産さんの海外事業は、現在どうなっていますか。

岩沙:
当社の海外事業は、これまで先進国が中心でした。アメリカ、イギリス、フランスなどで日本の投資家のために、物件を入手して投資対象をお世話し、一緒になってインベストメントする。いわばインベスターでありアセットマネジャーであったわけです。今後はやはり東アジア、特に中国が有望だと思いますが、私は実は、それについては財部さんから大きな刺激を受けたんですよ。

財部:
そうですか。

岩沙:
私は、財部さんの中国関連の報道番組をほとんど全部観て、本腰を入れて中国をどう捉えるべきかを考えてきました。以前は「中国市場も今後視野に入れていく」とか「いずれ進出しなければならない」という程度の考え方でしたが、私はこのリーマンショックを機に発想を変えたのです。「すでにパラダイムは転換した。まさに日本の市場が広がったと捉えよう」、と。そして上海に現地法人を作るなど、それに向けた手を打ってきました。