三井不動産株式会社 岩沙 弘道 氏
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リーマンショックでパラダイムはすでに転換した。日本の市場は広がっている。

三井不動産株式会社
代表取締役社長 岩沙 弘道 氏

財部:
まずは今回ご紹介いただいた、東レの榊原定征社長とのご関係について教えて下さい。

岩沙:
東レさんは、当社における最大のテナントの1つです。東レさんは、東京と大阪の2本社制をひいておられますが、大阪本社は中之島三井ビルのキーテナントで、東京本社も日本橋三井タワーのキーテナント。当社がここ(日本橋三井タワー)を再開発した時、「グローバルカンパニーである東レさんのヘッドクウォーターにふさわしいオフィスをお造りします」とお願いし、こちらに本社を移っていただいたのです。最初はそういう営業から、榊原さんとのお付き合いが始まりました。

財部:
始まりは営業だったんですか(笑)。

岩沙:
ええ、その後はそういうこと抜きに、トータルで公私含めてお付き合いをさせていただいています。それから非常にありがたいことですが、東レさんは、われわれにとってはソリューションパートナーというような存在で、不動産に関して何でも相談していただける仲。いろいろな意味でお世話になっていますよ。
また、個人的には、私も彼も愛知県出身です。彼は名古屋大学に進み、私は高校まで愛知県に住んだあと慶應義塾大学に入りました。また私たちは、三井グループの社長会である「二木会」の有志で作った「午羊会」のメンバーでもあります。この会は、午年生まれと未年生まれの社長が集まる同期会のようなもので、われわれも、たまにはざっくばらんに食事をしながら情報交換をしたり、ゴルフをやろうという仲なんです。

財部:
そうなんですか。

岩沙:
私は社長になってから榊原さんと出会いましたが、お互いに考え方や価値観が非常に近く、人間的にも共感を覚えるところが数多くあり、今は家族ぐるみの付き合いをしています。彼は理系出身で、私は文系ですが、どこか話が似通っているところがありますね。

財部:
前回、榊原さんにお話を伺った時、東レとサムスンの関係が話題になりました。そもそもサムスンは、サムスン繊維から始まったそうですが、当初、東レさんが同社に技術指導や経営指導を行ってもなかなかうまくいかない。そこで一緒にやろうということで、サムスンの草創期の頃から、ずっとお付き合いを続けてきたということです。

岩沙:
そうですね。

財部:
かつて韓国に進出した日本企業は、現地でずいぶん苦労を重ね、その多くが撤退しました。ところが、東レさんはそういう経緯もあって現地に残り、その結果、サムスンもいまや日本の製造業がうらやむほどの成長を遂げました。そういうわけで、サムスンは今も部材などの調達先として、東レさんを大事にしているそうです。榊原さんも、同社の考え方として、「(顧客先やパートナーとの)長い付き合いを大切にしていく」と話していましたが、東レさんと御社との関係も、そういう考え方に拠っているのでしょうか。

岩沙:
はい。今の話に関してですが、実は当社もサムスンさんとは東レさんと同様に長いお付き合いがあるのです。李健煕(イ・ゴンヒ)会長のお父さん(同社創業者の李秉普qイ・ビョンチョル〉氏)が日本進出を進めたころから、当社の江戸英雄(1947年に三井不動産に入社し、社長および会長を歴任。現在の三井不動産の基礎を築いた)が、日本におけるサムスンさんのオフィス開設をはじめ、いろいろとご相談に乗り、日本での事業展開をお手伝いしているのです。

財部:
そうなんですか。

岩沙:
また江戸さんは、三井グループおよび政界経済界のVIPなどを親身になって紹介されたようです。それ以来のご縁もあり、2003年10月に竣工した当社の大規模複合オフィスビル『六本木ティーキューブ』はサムスンさんと当社の共同事業であり、同ビルには今、日本サムスンさんにご入居いただいています。同社が霞が関ビルに本社を置かれていた頃からの長い付き合いです。

財部:
ずいぶん長いお付き合いになるのですね。

岩沙:
ええ。三井グループには創業330年という長い歴史があり、三井合名会社の不動産部門を分離し三井不動産株式会社が設立されてから、来年で70周年を迎えます。その中でわれわれが受け継いできたのは信用・信頼。お客様との長い関係の中で常に緊張感を持ち、信用・信頼を大切にしていくのが原点だということが、われわれのDNAの中に埋め込まれています。やはり都市再生や地域再生、住宅開発にしても、われわれの事業は短期的な視点では行いにくい構造になっていますからね。

財部:
やはり短期的な視点では、成功は難しいでしょうね。

岩沙:
不動産の開発自体にもある程度の時間がかかりますが、たとえば建物が竣工したあとも、長期的な運営管理で満足度を高めていかなければなりません。当社は、時間が経てば経つほど不動産がその魅力を増し、価値を高めるという「経年優化」の街づくりを目指しています。それゆえ、いったんお客様との関係ができたらそれを大事にしていくのはもちろんですが、その一方で、お客様との関係を構築する際、一緒に長くお付き合いできる相手かどうかを慎重に見極めています。これはさきほど申しあげたように、三井不動産のDNAとして先輩たちから受け継いだものですね。

財部:
具体的にはどのようなことが受け継がれているでしょうか?

岩沙:
一見、非常に有利な条件で、儲かりそうな場合であっても、相手をよく見極めよ。信頼関係が構築できる相手であることが非常に重要であり、場合によってはどんなに条件の良い仕事であっても諦める勇気を持ちなさい、ということですが、これは江戸さん、坪井さん、田中さん(前社長の田中順一郎氏)、そして私と、ずっと受け継いできた考え方です。現場レベルでは「なぜ(良い案件なのに)やめるのか」ということもままありますが、最終的には「長い付き合いの中で、発展的関係を維持させられるか」という点が大きなポイントです。そういう基本的なフィロソフィーにおいて、榊原さんと私とは、相性が合うと思うのです。

たゆまぬイノベーションを「面白い」と思う発想が必要だ

財部:
それは、非常に興味深い話です。以前、いすゞ自動車の井田義則会長にお目にかかった時、JAL問題について意見をお聞きしました。すると、井田さんは「ウチは一度死んだ会社です。だから、とても良く分かるのですが、会社は長い時間をかけて駄目になっていく。リーマンショックやバブルの崩壊は、1つのきっかけに過ぎない」とおっしゃいました。いすゞの場合、『117クーペ』や『ジェミニ』などの話題になった車種も出していましたが、実は乗用車部門は大赤字だったそうです。

岩沙:
そうだったんですか。信じられない。

財部:
そこで井田会長は経営企画部長時代、「こんな儲からない事業ははやめよう」と提案したところ、他の役員全員が「バブルが崩壊したから、車が売れないのは仕方ない。他メーカーも皆、売れていない」とか、「乗用車を辞めて、トラック専業に戻ったら良いエンジニアが集まらない、会社のブランドイメージも悪い」と、いろいろな理由をつけて反対。その結果、いすゞは、赤字の乗用車事業をさらに十年間も引きずり、不良債権処理に追われて潰れたというのです。

岩沙:
なるほど。

財部:
その意味で、持続的な発展に向けて、企業が中長期的な視野に立ち、何をしているかが問われていると思います。今のお話にもあったように、顧客との信用・信頼関係を、緊張感を持って長期的に維持してくことが御社の原点。「良い案件なのに、なぜ辞めるのか」という声の中でも、あえて原点を貫いていくことは重要ですよね。

岩沙:
そうですね。それが経営トップの本当の責務かもしれません。本当にゴーイング・コンサーンで企業を発展させていくには、避けられないと思いますよ。

財部:
でも、岩沙さん自身が若い青年将校の時、上司の判断に対して同じような不満を感じたことはあるのですか?

岩沙:
確かに、「なぜ、これをやらないんだろう」と思ったことはあります。でも当時の私はまだ人間的に未熟で、物事を見極める力も低く、今よりも視野が狭かった。だから、ビジネスの真実の姿を捉え切ることができなかったという部分があります。ただ私は、青年将校の頃、あえてオーバーランをしないように自戒していました。私自身、結構アグレッシブなところがありましたからね。

財部:
よく聞いてるんです。岩沙さんは凄かったと。

岩沙:
たとえばディールを行う際、信頼している当社の顧問弁護士の先生に、よく同席していただいたものです。彼は人間的にも素晴らしく、法律だけでなくトータルの意味でコモンセンスの高い方です。契約書にサインする直前にその先生に「待った。岩沙さん、これはやっちゃ駄目だ」と言われたこともあります。

財部:
では、そういう慎重さを、若い頃からお持ちだったわけですね。

岩沙:
もともとの性格は必ずしも慎重とは言えないのですが、慎重に物事を考える方に意見を聞きながら、やっていかなければならないと思っていましたね。