三菱鉛筆株式会社 数原 英一郎 氏
好きな映画は、『男はつらいよ』シリーズ。日本人の心の原点に焦点が当たっているからです。 …もっと読む
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「書くこと」に全経営資源を集中し、マーケットの拡大に貢献する

三菱鉛筆株式会社
代表取締役社長 数原 英一郎 氏

財部:
今回ご紹介いただいた、敷島製パンの盛田社長とのご関係からお聞きしたいのですが。

数原:
15年ぐらい前から、「YPO」 (Young Presidents'Organization)などの会でご一緒させていただいていて、さらに「会中会」のグループでも親しく相談し合っている仲です。また後で知ったのですが、私の岳父と盛田さんのお父様が、学生の時に下宿が偶然一緒でした。そういうご縁もありまして、世間は狭いなと思いましたね。

財部:
それは奇遇ですね。実際にお付き合いされてみて、盛田さんはどのような方ですか?

数原:
彼は、物事を非常に深く考える方です。また、けっして派手なことを考えず、慎重に行動し、一歩一歩着実に歩まれている方です。食品の仕事は日々の積み上げが大切であり、安全や信用という部分で1つ大きなミステイクを犯したら、すべてを失ってしまうという緊張感に満ちた部分がありますからね。財部さんは、盛田さんと同世代なんですか?

財部:
同年齢か1、2歳違うぐらいです。常石造船の神原社長も「YPO」のメンバーだとお聞きしていますが、個性的な方が多いですよね。

数原:
そうですね。やはり皆さん、自分でビジネスを行われているので、それなりの哲学を持たれていますよ。

財部:
対談の本題に入りたいのですが、まずは三菱鉛筆さんと旧財閥の三菱グループとは資本関係がないことや、御社の歴史について知らない人も多いのではないかと思います。三菱鉛筆さんはずっと、数原家が経営を行ってきたわけですよね。

数原:
はい。私は祖父から数えて三代目になります。それ以前には、創業家の方もいらっしゃいましたが、かなり昔の話です。当社の沿革についてお話すると、もともと創業者(眞崎仁六氏)が大変偉い方で、1879(明治11)年のパリ万国博覧会で、電話や写真などと一緒に、たまたま鉛筆をご覧になったそうです。そこで「これは大変便利なものだから、作ってみよう」ということで、1887(明治20)年に、当社の前身である「眞崎鉛筆製造所」を創業されたのです。

財部:
そうなんですか。

数原:
おそらく(当時のパリ万博に出展していた)海外の鉛筆メーカーが、製品に商標をつけていたことを、創業者はご存じだったのでしょう。それで、ご自身が製品を作られるにあたり、眞崎家の家紋である「三鱗」をモディファイ(修飾)して「三菱」のマークをつけたと私は理解しています。実際、「三菱」ブランドは1930(明治36)年に商標登録されています。それから、私たちの先輩は大変に偉い方々でして、当社には、日本で800番目ぐらいに登録された特許もあるんですよ。

財部:
それは凄いですね。やはり「知財」という意識は、なかなか育ちにくいものですからね。

数原:
そうですね。モノではなくて、抽象的な概念ですから。

財部:
僕は20年くらい中国を見てきていますが、あの国には知財という概念がまったくありません。実際、中国人に知財の感覚を教え込むのはかなり大変で、そういう中国の状況を念頭に置きつつ、御社の沿革を伺うと、日本の特許制度や商標制度の草創期から知財についてきちんと考えられていたというのは、かなり先進的ですよね。

数原:
僕たちが謙虚に捉えるべきだと思うのは、もともと特許や商標という概念は外から入ってきたものであり、海外の製品を通じて学んだ部分がかなりあるということです。もちろんそのあとは、海外から学んだ事柄を、自分たちのオリジナルに高めてきたわけですが、そのままで止まっていたら、とてもキャッチアップはできなかったと思います。

財部:
なるほど。

数原:
ですから最近、中国がらみで知的所有権の問題がいろいろと出てきて、我々の社内でも対応に負われるのですが、僕は同時にこんなこともいうんです。「彼らがオリジナルの商品を出し、研究を重ねて、もっと凄いものを作るようになったら、抜かれるかもしれない。だから私たちは、もっと前に進まなければならない」と。

時代に色褪せない『uni』ブランドの秘密

財部:
そうですか。今回、御社にお邪魔するということで、久しぶりに『uni(ユニ)』鉛筆のことが頭に思い浮かびました。僕は昭和31年生まれですが、小学校3、4年生の頃に初めて、『uni』鉛筆を買ってもらったんです。

数原:
嬉しいですね。使ってくださったんですか!

財部:
それまでは緑色の古い鉛筆でした。でも『uni』を手にしたとたん、心の中で「これは凄い鉛筆だ」と思いました。でも値段がかなり高かったので、親から「大事にしろ」といわれた記憶があります。実際、『uni』鉛筆を持っていることで、僕はとても得意になっていたし、あのなめらかな書き味を、僕はいまでも鮮明に覚えています。「なぜ、同じ鉛筆でもこんなに違うのだろう」という驚きが、僕と三菱鉛筆さんとの出会いでしたね。

数原:
ありがとうございます。手前味噌になりますが、たしかに『uni』の書き味は世界のトップクラスだと思います。やはり、それだけ手がかかっているんです。正式な発売日は1958(昭和33)年10月1日で、去年の10月1日に、ちょうど50周年を迎えました。『uni』を売り出した当時は1本50円でしたから、1ダース買うと600円。これは大変な価格ですよね。

財部:
はい。

数原:
調べてみると、当時の初任給は1万5000円弱。『uni』鉛筆を300本買うと、初任給飛んでしまうような時代でしたから、大変なものだったと思います。現在の初任給で計算すると1本700円ぐらい。だから1ダースで買うと8400円ですね。

財部:
ええ。ある意味で、とんでもない値段設定ですよね。

数原:
じつは、それにはこういう背景があります。当時、普通に使われていた鉛筆は1本10円ぐらいで、われわれのコンペティターは1本30円程度の商品を出していました。その一方で、海外メーカーの製品は1本約50円。当時は、輸入関税がまだ高かったんです。

財部:
そうですね。

数原:
ところが、ちょうどその頃、「貿易自由化」が叫ばれ始めました。そうなると、鉛筆のような軽工業品から、輸入関税によるプロテクトが外れていきます。したがって、当社も遅かれ早かれ、海外製品とダイレクトにぶつかることになる。ならば「自分たちも、それに対抗できる製品を出していかなければならない」と、先輩たちは考えたと思います。

財部:
ええ。

数原:
日本では4という数字は忌み嫌われますから、1本40円ではなく50円。すなわち、小売価格50円の国産品で、外国品の世界の一流ブランド品と戦わなければならないとすると、それを開発する方も、製造する方も、販売する方も大変だったと思います。ところが、当時は経済が上向きの時代だったということもあり、その試みは大成功を収めました。結局のところ、そういう高いハードルをクリアしたことが、社内的にも大きな自信につながり、今日に至っているのだと感じています。

財部:
僕が小学生だったのは、東京オリンピックが行われて日本が劇的に変わった頃、すなわち映画『Always三丁目の夕日』の時代です。先日ふと思ったのですが、当時の生活空間の中にあったものは、もうほとんどが消えてなくなっているなと。古いものや、劣悪な製品などは、すべて進化した新しいものに変わりました。ところが、この『uni』鉛筆だけは、発売当時の姿で、いまだそのブランドイメージの高さを維持しているわけです。最初から完成度が高かったということですから、やはりこれは凄いことだと思います。

数原:
これまで、そのようには考えてはきませんでしたが、当時使っていた材料は、たしかに現在では入手できないようなものばかりです。たとえば木材にしても、現在では伐採が進んでいて、良い材料があまりありません。それから昔は、芯の滑りを良くするために、マッコウクジラの油を使っていましたが、現在ではそれも使えません。その意味で、いまでは使えない材料のカベを乗り越えていくために必要なものが、技術と思うのです。

財部:
なるほど。

数原:
それから、近ごろはパソコン派の方が多いのですが、作家や画家の先生に、鉛筆の使い勝手についてお伺いすることがあります。作家の先生は、いつも同じものを使っていないと調子が出ないので、商品の品質がわずかにでも変わると、すぐに気が付くというんです。宇野千代先生はウチの9B、渡辺淳一先生は3B、城山三郎先生は4Bと、だいたい決まったものをお使いになっているそうです。そういう話を聞くにつけ、たとえ些細な部分であっても油断はできないし、手を抜くことができないと思いますね。

財部:
なるほど。それからもう1つ、僕が小学生の頃にシャープペンシルが突然出てきました。当時、「学校にシャープペンシルを持って来てはいけない」など、社会問題にもなりました。でも、その一方でシャープペンシルは「高価で、手間やコストもかかっているもの」という感覚もあったんです。そういう中で、次第に鉛筆の大衆化が進み、いまでは当時では考えられないような低価格になった。いい換えると、鉛筆は、発展やイノベーションの対象から外れた商品になってしまいましたよね。

数原:
はい、はい。

財部:
最近こちらで発売されたシャープペンシルは、1画書くごとに芯が9度ずつ回転して書き味を一定に保つんですよね。僕はそれを盛田さんに教えてもらいまして、さらに資料も読んでみて、これはすごいなと思いました。技術的なことよりむしろ、シャープペンシルというものに執着し続けているところに、三菱鉛筆さんの企業カルチャーを強く感じるのです。

数原:
私たちの事業ドメインは広い意味での「書くこと」です。そこに全経営資源を集中して新しいものを開発していこうというのが、われわれのコンセプトなんです。まあ、ここまで自社での技術開発にこだわる筆記具会社は、世界で数社しかなくなりました。ブランドをいろいろと持っている会社も、「マーケティングカンパニー」と称して、どこかで安く作った商品を持ってきて、ブランドマークをつけて売ったりしています。しかし、そんなことをしていてもマーケットは広がりません。だから誰かが付加価値を作り、マーケットを刺激していかなければならない。それをいま、われわれが一所懸命に行っているんです。

財部:
そうですか。

数原:
筆記具は、部品点数の少ない工業製品です。その中で、シャープペンシルはむしろ部品点数が多い方。鉛筆はせいぜい5〜10点程度の部品からなる製品ですが、それでもまだイノベーションが起こっています。頭をいじめて、いじめて、試行錯誤を繰り返しているうちに、何か新しいものが出てくるのではないかと思います。