三菱鉛筆株式会社 数原 英一郎 氏

財部:
先ほど「赤ちゃん」についてのお話がありました。詳細までお聞きするのは難しいと思いますが、いま三菱鉛筆さんでは、どんな研究開発を進めているのですか?

数原:
先にもお話しした通り、私たちは筆記具技術を展開していくために、まずは化粧品事業に取り組んでいます。それから炭素について、いろいろと基礎研究を行っています。

財部:
炭素のご研究は、どういう状況なのでしょうか?

数原:
これが、なかなかうまくいかないんです。シャープペンシルの芯は炭素でできていますが、炭素だけで、これだけ強いものを作るのは難しいのです。通常、炭素で何か部品を作る場合、まずは大きなブロックを作り、それを目的の形状に削り出します。ところが当社では、最初に製品の型を作り、炭素の原料をそこに入れて焼き固めるという技術を持っています。シャープペンシルの芯は、そうやって作られているんですね。

財部:
ほお。

数原:
そういう技術が、何か新しい事業につながらないかということで、約20年にわたって一所懸命に取り組んでいます。その1つの例が、ここにあるスピーカーの「コーン」(振動板)で、高音特性が良いということで、かつてのAV機器の最高級ブランドである企業にも採用されていました。また一部の携帯電話でも、同じように炭素で作った部品をずいぶん使っていただいています。焦らずに、ゆっくりと時間をかけて温めていきたいと思います。

財部:
このばねもそうなんですね。炭素でばねを作る意味はどこにあるのですか?

数原:
それは試作品ですが、用途開発が今後の課題です。たとえば温度が高い場所でバネを使おうとする場合、金属製のばねではへたり=iばねの復元性が悪くなったり、たわみが発生すること)が生じて使えなくなってしまうことが多いんです。その点、とくに高い耐熱性が要求されるロケット等に使われるばねには、炭素やセラミックスが素材として適しています。まだ、これから用途開発を進めていかなければなりませんが、これも「赤ちゃん」の1人ですね。

財部:
なるほど。この「赤ちゃん」は成長しそうですね。

数原:
いやいや、この「赤ちゃん」も、ずいぶん懐妊期間が長くて、なかなか成長してくれません。それから、もう1人の「赤ちゃん」は、われわれが筆記具のインクを作る中で研究を重ねてきた顔料です。もともとインクの原料となる着色剤には染料と顔料がありまして、染料は水や油などの溶媒に溶かして使うもの。一方、顔料とは、細かい粒状の着色剤が、溶媒の中に分散して浮いているようなものです。染料の方が、比較的取り扱いが的簡単ですが、単価が高い、光が当たると色褪せる、鮮やかな色になりにくい、などの長所や欠点があります。

財部:
そうなんですか。

数原:
その反面、顔料には、インクを作ることが難しいという欠点はあるものの、鮮やかな色が出る、光が当たっても色褪せない、などの良い特徴があるのです。われわれは、これまで30年近く、顔料インクを手がけてきましたが、その技術を他の分野に応用できないかと、ずっと模索してきました。

財部:
どういう分野に応用されようとしているのですか?

数原:
これはもう発表していますが、染色分野です。たとえば生地を染料で染める場合、余分な染料を落とすために、水洗いをしますよね。

財部:
ええ。

数原:
そのとき大量の水を使い、さらに、染料を生地に固着させるために熱も使うんです。そこで当社では、顔料技術を応用し、水も熱も使わない染色技術の開発に取り組んでいます。具体的には、インクジェットプリンタのような装置で生地を一気に染めてしまうとか、「捺染」(染料や顔料に糊材を溶かして色糊を作り、生地に模様をプリントしていく)という方法もあります。顔料で生地を染めていくやり方は、昔からあったのすが、以前は顔料の質があまり良くなかったので、染め上がったあとの生地がゴワゴワしてしまうといった質感の問題がありました。

財部:
そうなんですか。

数原:
そこでわれわれは、ナノ粒子(粒径が1〜100ナノメートルの超微粒子/ナノは10億分の1)の顔料を使って風合いや質感の劣化を止めると同時に、水や熱の使用を極力抑えるという「エココンセプト」で研究開発を進めています。

財部:
なるほど、これも将来、大きな市場がみえてきそうな技術ですね。

数原:
そうなんです。ただ、これも語り始めると非常に魅力的なのですが、最後のところで、なかなか難しい部分があります。もちろん、実際に仕事もいただいているわけですが、その量はまだわずかで、小さな「赤ちゃん」なんですよ。

財部:
極端な話、そういう研究開発を担当している方に対して、短期的な成果を一切求めないという方針なのでしょうか?

数原:
はい、そういう研究チームです。この研究を行っていくことが、筆記具事業にもプラスになりますし、同時に、筆記具分野で培った技術を新事業に応用できるという意味で、相互作用があるんです。ただ、こういうことは、うまくいくこともあれば、うまくいかないこともありますからね。

財部:
でもやはり、やり続けることが大切でしょうから。

数原:
ええ。何か新しいものを生み出すのは、大変魅力的なことですし、チャレンジし甲斐のあることです。

財部:
数原社長のお話を聞いていて思うのですが、最近では、もはや従来の業種・業態という分類にほとんど意味がなくなってきていますよね。先の「ナノ粒子」の話にしても、たとえばそういう超微粒子を加工する技術が出てくると、まったく思いもよらない分野に技術を応用する道が開けるとか、他業界のマーケットをそのまま取り込むことも可能になってきますよね。

数原:
そうですね。筆記具分野に限っていえば、低コスト部門に新規参入を果たすプレイヤーは少なくないですが、研究開発から一気通貫で手がける企業はそれほどありません。逆に、われわれにとっての新規分野には、コンペティターが乱立していますから、そこで勝ち抜いていくのは、そうたやすいことではないでしょう。ましてや、今後大きな成長が期待される新興市場では、必然的に低価格戦略が求められますから、「価格は高くても品質が良ければいい」というわけにはいきません。おそらくそれが、当社が次に越えていかなければならない高いハードルだと思っています。

財部:
でも、たとえば中国でさまざまなオフィスをみていると、ずいぶん素朴な鉛筆が使われていますから、いずれ彼らが『uni』を使う日が来るのではないかと思ったりもします。実際、そういうマーケットもあり得るのではないですか?

数原:
ええ、そこが本当にどうなるかはわかりませんが、期待はしています。というのも、今回の世界的な金融危機の引き金となったサブプライムローンは、いわば「高付加価値商品」の1つであり、結局それが行きすぎてしまったわけです。その意味で、いま世界中で起こり始めているのは、高付加価値化したマーケットの崩壊であり、それが今後本当に戻ってくれるかどうかを心配しているのです。

財部:
僕は少し見方が違っていまして、サブプライムローンにおける高付加価値化とは、金融という、ある意味で、非常に特殊で実態のない世界の話です。その一方で、僕は取材で中国を訪れてつくづく思うのですが、サブプライムローン関連商品が世界中で売れ行きを伸ばしていた頃、中国は金融の周回遅れ≠ナあったために、中国の金融機関はほとんどサブプライムローン関連商品の運用に手を出していません。そのお陰で、今回の一件で中国の金融システムが受けたダメージはほぼゼロで、60兆円近い景気対策資金のうち1円も、金融分野にお金が入っていないという唯一の国が中国なのです。

数原:
ああ、そうなんですか。

財部:
もちろん、アメリカ向けの輸出が激減したので、南の沿岸部はダメージを受けていますが、内陸部は「内需拡大シフト」で、非常にテンションが高くなっています。先週も四川省に行ったのですが、同省は大地震の復興がまだ手つかずで、今年が本格的な復興の初年度になりそうな見通し。だから内需拡大にともなう成長分で、外需の落ち込み分は相当緩和されると思います。8%の成長ぐらいは、何の問題もないですね。

数原:
ああ、そうですか。いままで聞いた意見の中で、最もポジティブなお話ですね。

財部:
そうですか。でも、これが現実なんですよ。

数原:
たしかに当社の中国人社員からも、「外部経済につながっていないような町では、ダメージが少ない」という話を聞いています。やはり財部さんがおっしゃるように、日本では、そういう前向きな話ではなく、マイナスの議論ばかりしますよね。僕は先週ソウルに行ってきたのですが、たぶん、経済状態からすれば、アジアではいまソウルが一番厳しいはずなんです。テポドンが飛んでくるかもしれない、急激に進むウォン安による国家破綻の一歩手前、という噂もある。ところがソウルは、日本よりもずっと活気があるんですよね。

財部:
そうなんですか。

数原:
そこで少し考えてみたのですが、「総中流」になってしまった日本人は、「守る」ことばかりを気にしすぎるあまり、前向きな議論や報道ができなくなっているのではないでしょうか。既得権を失うことばかり心配していて、前向きな話が少なくなっているのだとすれば、非常に残念だと思います。

財部:
ええ。ぜひ、そういう声を上げていきたいところですね。

数原:
これは言論界において、財部さんのようにリーダーシップがある方の責任かもしれません。

財部:
そうですね、それはわれわれの使命だと思っています。今日は本当にありがとうございました。

(2009年3月10日 東京都品川区 三菱鉛筆本社にて/撮影 内田裕子)