三菱鉛筆株式会社 数原 英一郎 氏

財部:
数原社長の方針として、商品のアイディアや技術革新に対して、相当に力を入れていらっしゃるのですか?

数原:
そうですね。筆記具というドメインの中でも、さまざまな会社の「生き方」があります。(他社に製造委託を行って調達した製品に)ブランドをつけて売るやり方もあるし、自社で作るという選択肢もある。でも今は、「組み立て」だけで生み出せる価値は非常に少ないのです。そうなると、われわれは、どんどんものづくりの上流にさかのぼり、新しいものを生み出し、それを自分のブランドで売っていくという、一気通貫の流れを目指していかなければなりません。事実、最近では、製品の差別化要素が、いかに「上流」の製品を生み出すかという方向に移ってきています。

財部:
はい。

数原:
世界には素晴らしい技術者が数多くいますが、「筆記具の分野はもういい」ということで、誰もやらなくなってしまったんです。液晶テレビや携帯電話、コンピューター、太陽電池といった巨大な市場になると、もの凄い数の技術者が集まって、技術開発競争が激しくなっているわけです。そういう意味で、筆記具の分野において、新しい技術の開発を続けるわれわれの存在価値は非常に高いのです。でも、われわれが利益を生み出す、良い商品を作っていけば、それを追いかけてくる人が必ず現れてきます。そうなると結果的にマーケットは大きくなっていく。われわれはそういう流れを作ることを目指しています。

財部:
なるほど。良い技術者を筆記用具の分野に呼び込むという意味で、自社での研究開発に執着することは重要になりますね。その一方で、化粧品分野に参入されているのは、どういう理由からでしょうか。

数原:
これも、広い意味で「書くこと」なんです。「顔の上に描く」といったら、女性に対して失礼かもしれませんが(笑)。

財部:
ははは。なるほど!

数原:
私が米スタンフォード大学の大学院に留学していたときに、ある人の紹介で、アメリカの鉛筆会社を訪問したことがあります。そのとき、同社がたまたま色鉛筆を応用展開して化粧品の「アイライナー」などを作っていたんです。そこで「なるほど、こういう仕事をやっている人もいるのだなあ」ということを知りました。

財部:
それは何年ぐらいのことですか?

数原:
1974年頃です。入社する前に、できるだけ多くの同業者を訪問しようと思いまして、その会社のアレンジのもとで、全米中の筆記具メーカーをみてきたんです。

財部:
その中で、とくに印象に残っていることは何ですか?

数原:
非常に親切にしてくれたところと、ずいぶん雑に扱われたところがありますね。狭い業界ですから、当時親切にしていただいた会社とは、いまでも付き合いがあります。後々になっていろいろと関係ができて、付き合いが広がっていきました。

財部:
その当時、数原社長がご覧になった化粧品が、現在につながっているわけですね。数原社長が帰国された頃、当時の三菱鉛筆の経営陣に、そういう認識はありましたか?

数原:
まだ、なかったですね。当時は高度成長の時代でしたから、新規事業よりむしろ本業を拡大させていく方が忙しく、無理もないところもあります。当社ではちょうどその頃、サインペン市場の拡大に取り組み始めていました。「液体インクを使った、こういうコンセプトの筆記具もあり得るな」ということで、1985年から始めたのですが、25年かけてサインペンは進化しています。

財部:
そんなに時間をかけて取り組むのですか。

数原:
はい。私たちの業界は、進化のスピードが非常にゆっくりしているのです。電子業界などはほんの1年程度で技術が古くなりますが、筆記具は25年かけてひとつの商品を進化させていくのですね。

財部:
技術者はじっくりと取り組めるわけですね。

数原:
そうですね。この「アイライナー」も最初はわからないことだらけでした。化粧品会社さんが何を求めているのか、模索しながら勉強を重ねてきました。

財部:
アイライナーは、目元にラインを描くものですよね。

数原:
そうですね。私たちは、当社の事業コンセプトでもある、筆記具の技術を応用した新製品の開発をかなり広く行っています。このアイライナーにしても、近ごろは、世界の化粧品のトップブランドの皆さんからお買い上げいただいているんですよ。

財部:
クオリティーが高く評価されているということですね。

数原:
はい、そう思っています。アイライナーを安く作ろうとする会社は多いでしょうが、われわれは筆記具メーカーですから、筆の先端部分や流体であるインクが流れる部分など、細部にこだわっています。そういう品質面や斬新なアイディアという部分で、ユーザーの皆さんから高い評価をいただいているのではないでしょうか。化粧品はようやく、それなりの事業規模になりましたし、まだ成長途上にある「赤ちゃん」もたくさんいます。現在、当社の化粧品事業は、売上全体の8%ぐらいになりました。もうすぐ10%になります。

財部:
ずいぶん多いですね。

数原:
はい。もともと筆記具は、それほど大きく成長するマーケットではありませんから、化粧品のような新規分野が20%、30%と成長してくれれば、会社がもっと元気になっていくと思います。

財部:
そうですか。僕はいま日本に敗北主義的な考え方が蔓延していることが、本当に残念でなりません。最近では、経営者の方でも「景気が悪いから」といういい訳ばかりする人が多いのですが、数原社長のお話を聞いていると、変化のスピードが非常に遅い業界だとおっしゃる割には、世の中の変化をじつに巧みに取り込むような経営を実践されていますよね。

数原:
はたして、そういうことが本当にできているかどうかが問題ですが、筆記具業界は昔から低成長を続けてきました。ですからそれだけ、われわれは将来に対する危機感を抱いてきたのです。逆に、われわれがもし非常に若い産業で、高成長を続けていたら、市場の需要を充足するだけで精一杯だったでしょう。ところが現実には、ずっと前から低成長が続いてきましたから、今後どうやって成長性を高めていくかを考える以外に方法がありません。商品の高付加価値化を進めていくのか、ある機能とある機能をくっつけて多機能化を進めるのか。あるいは新しいマーケットを創造していくのか、という選択肢しかないですよね。

財部:
ええ。

数原:
その1つひとつが成功を収めるかどうかは、結果次第だと思いますが、当社の場合、たとえばオイルショックで会社が大変な状況に陥ったようなときにも、いろいろと新規事業を手がけています。当社の歴史をみていると、われわれにはそういう「遺伝子」があることがよくわかるのです。それもやはり社員が「筆記具という、当社のベースになる産業自体は、そう右肩上がりで伸びていくわけでもない。だとすれば自分たちはこの先、どうやって生きていかなければならないのだろう」という、潜在的な危機感を共有してくれているからだと思います。

財部:
ファミリービジネスであることの強さはありますか。

数原:
当社は東証一部上場のパブリックな会社ですから、そういうことはありませんが、社内の雰囲気は割合家族的で、社員もあまり転職せず、勤続年数が長いですね。当社の場合、新入社員が10人入ったら、そのうち8人は残っていますから、経験の蓄積もスムーズに行われるという強みがあります。

財部:
う〜ん。

数原:
とはいえ、経験の蓄積には良い面と悪い面があり、同じ人間が同じ仕事を続けているだけではマンネリに陥ってしまいます。しかし筆記具は非常に特殊なマーケットですから、たとえ他の業界から「マーケティングの専門家」として来られた方でも、当社の顧客先であるさまざまな業界のデータを頭にインプットして、仕事をしなければなりません。その意味で当社では、個人の経験を生かしながらも、つねに新しさや変化が求められる職場で仕事ができると同時に、会社としても、個々の社員のそういう姿勢をプラスに受け止めることができるような風土があるのではないかと思います。

「ポスト市場原理主義」の経済をいかに生き抜くか

財部:
いま数原社長がおっしゃった通りにやり続ければ、さまざまな蓄積が生まれ、いずれ結果が出てくるのは当然です。その行き着くところ、サントリーが成し遂げた圧倒的なビール事業の大成功というニュースも生まれます。その一方で、トヨタ自動車のように、創業家が経営に携わって再生を図ろうとしている企業もあるわけです。実際、「世界のトヨタ」といわれながらも、じつは「僕たちはトヨタ側ではなく、豊田家についているんだ」というディーラーも数多いわけで、僕はここ1、2年間に起こった世界経済の大激変の中で、創業家がきちんと経営に携わり、企業の存続を図るということの価値が再評価されて然るべきだと思いますね。

数原:
やはり、最近の世の中をみてわかってきたのは、いくらお金で人を束ねようとしても、結局は、経営状態が悪くなったら、皆がバラバラになってしまうということです。つまり会社にしても社会にしても、人々が1つにまとまり、お互いに協力し合ってやっていこうというときに、お金はそういう意識を高めるための十分条件にはなり得ないということに、多くの人が気付き始めている。そうなると、非常に泥臭いことではありますが、愛情や互助の精神という、人としての基本に立ち返った部分で組織をまとめていかなければならないということになります。その意味で、トヨタさんやサントリーさんといった企業を参考にしながら、会社や社会を作り直していかなければならないというロジックには、大変魅力があります。

財部:
そうですよね。

数原:
これまで、いわゆる「市場原理主義」をベースにして、世の中が回っていましたが、結局それは完全に壊れてしまいました。ところが、われわれがそこに気がついたのはいいとしても、「それに変わる新しいパラダイムは何か」がまだわからない。

財部:
ええ。

数原:
ですから、人々の自然な共感を得ながら、そのパラダイムを作り上げていくための一翼を担うという意味で、ジャーナリズムが果たすべき責任は大きいと思うのです。にもかかわらず現在では、いろいろなテーマや問題に対して批判をする人はあっても、建設的な議論を進めていく人はなかなかいないですからね。