レオス・キャピタルワークス株式会社 藤野 英人 氏
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日本人が持っている「チャレンジャーのDNA」を呼び起こしたい

レオス・キャピタルワークス株式会社
代表取締役社長兼CEO 藤野 英人 氏

財部:
じつは藤野さんには、ぜひ一度お目にかかりたいと思っていました。僕と一緒にやっている内田が、もともと大和証券でトレーダーをしていて、非常に関心があったんです。またサブプライムローン問題も起こり、ある意味で絶好のタイミングなので、その辺もぜひお聞きしたいと思います。では最初に、今回ご紹介いただいたリヴァンプの玉塚社長とのご関係から伺いたいのですが。

藤野:
最初の出会いは、1997年か98年頃だと思います。たしか玉塚さんがユニクロに移られた直後で、山口でお会いしています。柳井さん(ユニクロ代表取締役会長兼社長・柳井正氏)が「経営陣を一掃します。その中で、こういう有能な人たちがいるから、1回名刺交換してほしい」といわれたときに、僕は玉塚さんと初めて名刺を交換しました。

財部:
そのとき、藤野さんはどんな立場でいらしたんですか?

藤野:
前の前に勤めていた会社でジャーディン・フレミングという、今のJPモルガン・アセット・マネジメントのファンドマネージャーでした。その頃はユニクロ株が非常に低迷していた時代で、「ユニクロはもう駄目だ」といわれていて、柳井さんに会いに山口まで行ったんです。そこで柳井さんは「こういうキーパーソンが来るから、これからユニクロは良くなる」という話をされていました。その中に澤田さん(リヴァンプ代表パートナー・澤田貴司氏)と、玉塚さんがいらっしゃったんです。

財部:
その時のファースト・インプレッションはどうでしたか?

藤野:
「こういう若手に代わるということは、ユニクロは買いなのかな」と思ったんですが、その時は「ユニクロが経営刷新するんだな」というところで終わりです。本当の意味で彼との付き合いが始まったのは2年前からで、それもトライアスロンの大会なんですね。青山フラワーマーケットの井上さん(パーク・コーポレーション代表取締役・井上英明氏)がキャプテンになっているもので。

財部:
井上さんがキャプテンなんですか?

藤野:
ええ。井上さんがキャプテンで発起人です。4年前に彼が7名のメンバーを引き連れて、「ロタ島でトライアスロンをやろう」と、皆を巻き込んだのが始まりです。玉塚さんも最初のメンバーの1人で、僕も呼ばれていたんですが、当時僕は今よりも20キロぐらい太っていて、とても走れるような状態ではありませんでした。そこで「こんな僕に声をかけるなんて、おかしいよね」というようなことを言っていたんです。

財部:
そうなんですか。

藤野:
それから、ウォーターダイレクトという会社で、いま玉塚さんと一緒にやっている水のビジネスがありまして。「じつは、水のベンチャー企業をやっている会社があるのですが、一緒に投資しませんか」と、(ロタ島からの)帰りの飛行機の中で持ちかけたのが、玉塚さんとかなり強い関係を持つ最初でした。実際にビジネスを開始したのが1年半ぐらい前で、お互いに経営者として取締役に入り、その企業に投資をして、さまざまな紆余曲折を経ながら仕事をするうちに、「玉塚さんは凄い、素晴らしいなあ」と、彼の魅力にどんどんはまっていったというわけです。

財部:
事前に資料をいただき、ずっと活字ベースでみていたんですが、藤野さんと玉塚さんとの間には、本質的に共通するものがあるな、という感じがしますね。

藤野:
ああ、そうですか。やはりトライアスロンにしても、1.5キロを泳ぎ、自転車で40キロ走ったあと、ランが10キロ。それも、酷暑の下でやるわけですから、競技中は辛いだけだし、本当に馬鹿みたいですよね。だから多くの人は、声をかけられて「おもしろそう」とか「やってもいいかも」とは思っても、実際にバイクを買い、休暇を取ってロタ島までいく人は、やはりそう多くはありません。だからかえって、そういう中で、お互いに心理的な一体感があるのでしょうね。

財部:
そうでしょうね(笑)。でも言い方は悪いですが、たとえば井上さんは表面的には、遊び人風に見えなくもありません。(笑)ところが実際、彼は非常にステディな商売をされているし、玉塚さんもそうですよね。非常にこう、ストイックであるというか――。

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藤野:
ええ、とてもストイックですよ。

財部:
いわば精神性が非常に高い、というところがありますよね。藤野さんが書かれたエッセイをいろいろ拝見してもそうですが、原理原則をきちっと踏み外さずに生きている人は、金融の世界にはなかなかいないですからね。

藤野:
いまベンチャー経営者云々と、十把一絡げにするような流れがありますが、自分の想いとすれば、そうではない流れを作りたいんです。やはり家庭生活にしても仕事にしても、いま本当に言われているトータルライフバランスというような形で、すべてに頑張ることが大切だと思います。だからそういう経営者が伸び、成長していくというのが、1つの理想ではないかと考えているんですよ。

財部:
僕が非常に興味を抱いているのが、藤野さんが独立し、現在の仕事をするようになったプロセスです。資産運用会社を立ち上げられたのも、外資できちっと仕事をし、素晴らしい業績を残されたからでしょう。それに、お金だけを追求するなら、そのままずっと外資にいた方が、楽な生活ができていただろうと思うんです。ところが、いったい何をきっかけに、どのように考え方が変わり、今に至っているのでしょうか。

藤野:
もともと僕は大学時代、今の自分とは対極の位置にいた人間なんです。つまり、僕が一番好きでない人間が、大学時代の僕だったということなんですね。

財部:
具体的に言うと?

藤野:
やはり一流高校、一流大学を出て、一流企業に勤め上げることが主流であり、ベンチャー企業や中小企業なんていうのは負け犬だ、と思っていました。じつは日本の多くのエリートは、今でもそういう考え方を強く持っていると思います。実際、僕自身、親や地域や社会から、そのように洗脳されてきたわけですから――。ところが一番大きかったのが、僕が最初に入社した野村投資顧問、つまり現在の野村アセットマネジメントでの体験です。僕はそこで、たまたま中小企業やベンチャー投資のアナリストに配属されたのですが、それは僕自身が望んだわけではありません。やはり当時の僕としては、ソニーとか三菱重工、イトーヨーカ堂といった一流企業の調査をしたかったんです。

財部:
それはいつ頃ですか。

藤野:
1990年です。当時はまだ第一次バブルというか、不動産バブルの名残があった時代で、いわゆる不動産関係のベンチャー企業がたくさん世に出てきたわけです。それとともに、怪しい土地も増えてきて、自分自身「怪しいなあ」と思いながらも、目論見書や経営者の学歴などを見ると、いわゆる六大学卒はほとんどいなくて、高卒や高校中退という人ばかりでした。まったく不遜なことに、社会人1年目で何も知らないくせに、そのように学歴だけで相手を見下ろしていたんです。嫌な奴ですよね。

財部:
そうだったんですか。

藤野:
でも、実際に彼らと会って話をすると、多くの人はやはり、良いところも悪いところも複雑に絡みつつ、非常に魅力的なんです。しかも当然のことながら、当該ビジネスについては誰よりも詳しい。だから「この人、高卒の割には詳しいなあ」とか「三流大学の割には詳しいな」と、僕はそんな馬鹿なことを考えていたんですね。ところが、いざ彼らが株式公開や上場を果たすと「時価総額300億円つきました」ということになるわけです。社長のシェアを40%として120億。ということは、「えっ、この人は120億の資産家!」という感じで、非常に驚きました。僕自身、そういう生き方をまったく知らなかった。誰にも教えてもらわなかった成功への道がじつはあった、というわけですが、それは僕にとって、まさに日常だったんですね。

財部:
日常的に、そういう場面に接していたんですね。

藤野:
ええ。それが仕事ですから、社長さんたちが毎日やってきて、そういう話をしていると、だんだん自分の気持ちが変わってくるんです。創業してからいろいろ辛いことや苦労話があったにせよ、最終的には上場し、それなりのリターンを得るというのはとても幸せで、エキサイティングな人生ですよね。普通のサラリーマンでは得られないほどの大きな資産を手にすることができるという点を考えても、「この道は凄いなあ」と思ったんです。

財部:
なるほど。

「リスクテイカー」への憧れとコンプレックスがあった

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藤野:
これはやはり、自分自身でリスクテイクをしたかどうかの差であり、この部分はもの凄く大きいですよね。そこで「僕もいつかリスクテイクして、こちら側≠ナはなく、あちら側≠フ世界に行きたい」と思うようになりました。実際、なかでも上場まで果たした創業経営者はファイナンスの部分で、金融機関から資金調達をするとき、もの凄い力を発揮するんです。彼らは自分なりのやり方で、さまざまな人生経験も踏まえつつ、僕という人間を見ながら、「どうすればこの人を説得して効果的にお金を引き出せるか」ということを常に念頭に置きながら、僕に接していました。そういうことが毎日、毎日繰り返される中で、僕自身が経営そのものに加え、経営者のものの考え方や悩み、苦しみというものを理解し、かつそのナレッジを貯め、共有できるようになりました。それこそ僕にとって、最高の教育だったんです。

財部:
数多くの創業経営者と接する中で、知らず知らずのうちに、起業家になるための教育を受けていたわけですね。

藤野:
たしかにJPモルガンやゴールドマン・サックスといった外資系企業では、給料も高くて待遇も良く、仕事をするのに面倒臭いことは何もない、という利点は数多くありました。でも僕の場合、常に“あちら側”の人に対するコンプレックスが抜けなかったんです。もちろん僕自身、「独立した経営者としてあちら側≠ノ立ち、彼らに会いたい」という思いがある一方で、創業経営者たちは僕を、「君は一介のサラリーマンであってリスクテイカーではない。君は禄を食み、草を食んでいるだけの草食動物にすぎない」という目で見ているのがわかるんです。でも僕には、起業したいという強い思いがありました。

財部:
「リスクテイカー」に対する強い憧れというか、コンプレックスを持たれていたんですね。

藤野:
それからもう1つあったのは、日本の資産運用業に対する激しい不信、不満です。キャピタルにしろフィデリティにしろ、アメリカでは多くのファンドが独立の資産運用業としてスタートし、成長を遂げ、尊敬される企業になっています。ということを考えると、日本でもやはり、独立の運用会社が伸びるべきではないか、という問題意識を僕は常に抱いていました。加えて、外資系金融機関の場合、ニューヨークやロンドンなどの本社に最高のエリートがいるのが普通であり、東京支店のトップはある意味で微妙なポジションにいて、「あとでニューヨークなりロンドンに戻りたい」という願望をつねに抱いて仕事をしています。だから彼らには、「日本の資本市場をどうやって良くするのか」、という発想がない。

財部:
そうですね。

藤野:
したがって、日本の資産運用業は残念ながら、日本の資本市場にどっぷり浸かり、「自分はこれで生きていくんだ」という強いコミットメントのない経営者たちによって動かされているわけです。彼らには、日本の資本市場に対する愛情も少なければ、「何があろうとこの市場をよくしていくんだ」というような気持ちがほとんどない。そこに、非常にフラストレーションがありました。実際、以前いた会社でもそうでした。となると、「起業したい」という思いを実現するならば、自分がわかっている分野でやるべきだし、かつ、ここに僕らが果たすべきミッションがあるんじゃないか、と思ったわけです。だから、この会社を創ったんですね。