住友ベークライト株式会社 小川 富太郎 氏

社内ベンチャーでバイオ・医療分野を切り拓く

財部:
小川社長のさまざまな取材の中で、「環境」というキーワードがたびたび出てきますが、自動車産業もストレートに環境に関わるビジネスになっていますよね。たとえば燃費向上、ディーゼルエンジン、エタノールのように、次から次へと真新しい技術を生み出すための、素材の面での解決策も提供していくということなんですね。

photo

小川:
そうです。プラスチックの可能性というのはですね、まだ10代前半ぐらいの若さがあってですね、さらに掘り起こせる余地があるんです。(プラスチックは)まだ青年ですよ。

財部:
環境関連のイメージとしては、一体どんなもの作っていこうということなんですか?

小川:
たとえば、自動車の軽量化です。ここにありますのはハイブリッドカーに搭載されているフェノール樹脂製のピストンです。従来の鉄製品を軽量化し燃費を減らします。これは熱硬化性樹脂と呼ばれていまして、こういうものがですね、粉からこういう形に成形されて、熱をかけると溶けなくなって、強くなるんです。

財部:
熱硬化性ってそういうことなんですか。

小川:
熱をかけると溶けて製品の形になりますが、そのあとはもう溶けなくなりまして、このように、がっちり「橋架け」をして動かなくなるような「手」の構造を持つようになります。 当社技術陣は、業界の常識を破る「橋架け」た手を解く方法も開発しました。「超臨界」と呼ぶ方法で熱硬化樹脂のリサイクルを可能にしました。原油の節約につながります。一方では、このプラスチックの「手」のつなぎ方の研究も進めています。今までの100年間はだいたい同じような方法でしたが、その「手」をつなぐ位置や「手」の数がコントロールできるようになれば(架橋構造の精密制御)、たとえば重量換算で鉄の数十倍という強度を、プラスチックで発揮できるようになるという夢があるわけですよ。

財部:
それで経常利益500億円というのも、決して夢ではない、ということですね

小川:
ええ。夢ではないレンジですね。いま、この3カ年で経常利益を350億円にまで持っていくことを目標にした中期計画を進めています。また、さらにその中期計画のもう少し先で、われわれが経常利益500億円を狙うために力を入れている分野として、バイオの関連の新規事業などがあります。これは要するに、たんぱく質が付着しないような特殊な表面機能を持ったプラスチックを作ることで、癌やインフルエンザの診断に適した「バイオチップ」などを作ろうというものなんです。

財部:
もう少し分かりやすくいうと、どんなことなんでしょうか?

小川:
たとえばごく少量の血液で、「あなたはこんな病気にかかっているので、こういう治療をしたらいいですよ、あるいはこの薬なら副作用なくよく効きますよ」、ということが瞬時に判定できれば、医療現場での治療に大きな効果が上がります。そこで、ごく微量のサンプルの中から、医師が知りたい情報を全部引き出せるような「バイオチップ」という製品のニーズが高まるだろうと期待されています。

財部:
ええ。

小川:
ごく微量のサンプルでそうした判定をするには、プラスチックの表面に血液成分が全くつかない部分を作っておいて、そこにDNAやタンパク質などを固定し(=プローブ)、たとえば癌などの病気に関わるバイオ分子や化合物(=ターゲット)をパッと捕まえるような機能を持たせるわけですね。

photo

財部:
要するに、血液なら血液のサンプルの中で、必要な情報だけがくっつくということですね。僕らの常識からすると、プラスチックがそういう役割を果たすこと自体がちょっと想像外の話ですが。

小川:
そうですね。

財部:
このバイオチップのお話なり、そういうアイディアやヒントという意味では、日本国内のお客さんと海外のお客さんとでは、どちらが多いんでしょうか?

小川:
バイオチップでいえば、やはり世界のマーケットの8割以上がアメリカですね。われわれもそういう意味では、バイオチップは北米を抜きにしては考えられないと思っています。それからもう1つ、バイオチップの少し未来形で、「糖鎖」というのがあるんですよ。

財部:
糖鎖?

小川:
糖鎖というのは、タンパク質にくっついている1つの糖の形なんですが、病気になると、その糖の形が少し変わるんだそうです。そこで、その糖鎖を捕まえてチェックすれば、たとえば「あなたはこの癌にかかっています」ということが判定できたり、「あなたにはこういう治療法が効果があります」ということがわかる。さらに、それがもう1段階進歩すると、癌にかからないとか、癌の増殖を抑えるような薬の製造が期待できるのです。われわれはその薬の製造はしませんが、それを可能にするような、微量のサンプルから「ターゲット」を捕まえてくる道具をご提供しようとしているわけなんです。これは当社でも有望商品、有望技術として注目し、研究開発がスタートしているんですが、おそらくそれが商売になる頃には、私は会社にいないだろうと思います。

財部:
それぐらい、時間がかかるものなんですか?

小川:
そのようですね。DNAチップはもうかなり今日的な話題になっていますが、技術が糖鎖のところまで進むと、もっとピンポイントに創薬や治療に役立つことになりますから、夢がありますよね。

財部:
夢のあるお話ですね。

小川:
ですから、そういうことを若い人がやらなければならない、ということを常日頃から社内で話しています。仮に年配の人がやったとしても、自分の時代にそれが商品化できないとなれば、ちょっと力の入り方が違いますからね。そこで若手に、(最新の技術開発を)社内ベンチャーでやらせているんです。

財部:
そういう技術を実現していく人材というのは、どんな才能や力がある人なんですか?

小川:
スタート時点では、何かそちらの方面に興味があったとか、「こういうことをやりたい」と感じた人ですが、具体的にやり始める頃になると、生化学がわかる研究者を集めてきてチームを作るということになりますね。

財部:
はい。

小川:
そうはいっても、私のところはプラスチック屋ですから、そうした世の中の役に立つ技術の中で、プラスチックにかかわる部分を担当します。一方、どんな糖がどういう病気に関係があるかについては、やはり医学部の先生が考えられることですので、先生方とご一緒させていただいて。この場合には、大学の先生方が「世の中の役に立ちたい」というニーズを持っておられるところと、われわれが持っているプラスチックソリューションの機能を合体させるということになりますね。

財部:
そういう意味では、本当に、理想的な産学共同開発ですよね。

小川:
そうですね、はい。

財部:
最後に、小川社長ご自身のキャリアについてお聞きしたいのですが。

小川:
私は、研究や新事業開発に関係した期間が長くて、トータルで20年ぐらいそれらに関わっていました。その次には工場勤務を経験しましたが、これも技術関係の仕事です。それから、その間に2回、海外勤務の経験がありまして、その海外経験が会社人生の中で大きな転機になったと思っています。

財部:
海外は、どちらに行かれたんですか。

小川:
1回目は30代後半で、ニューヨークに約4年駐在しました。2回目は50代の半ば頃で、シンガポールに5年ぐらいおりました。30代の時は家族も一緒に連れていきましたが、50代の時は単身赴任で、通常のパターンです。いずれにしても、当社がグローバルなマーケット展開をしていくうえで、われわれの企業理念やミッションを共有化するために、「マルチカルチャー」というものを頭に入れて取り組む必要があるんです。その点、ニューヨークもシンガポールも、マルチカルチャーを絵に描いたようなところでしたから、そこでマルチカルチャーのなんたるかを「味見」できたことは、いま行っている事業のグローバル展開に、多少なりとも役に立っているかなあと思いますね。

財部:
小川社長が入社してから、会社を辞めたいと思ったことはありますか?

小川:
最初の半年くらいは、辞めたいと思っていました。やはり大学時代の、自由で拘束されない時代にくらべると、会社には朝早くから行かなければなりませんし。とくに最初の勤務地が工場の中の研究所でしたからね。まあ、そんな「定規で引いたような」生活に私は本当に向いてるのかなあ、と思ったことはありましたね。それでも周りに友達を作るというか、「あいつは本当にしょうがないなあ」といいながらも、自分を受け入れてくれる仲間が自然にできたので、何とか続きました。

財部:
でもタイプは人それぞれですが、過去を振り返った時、「本当に辛くなかった」という経営者もいれば、「あの時は本当に大変だった」という方もいらっしゃるんですが、小川社長の場合はどちらですか?

小川:
いや、大変だったということはありましたが、私はそういう意味では仕事や先輩に恵まれていて、「思うようにやってみろ」ということは結構やらせてもらえたと思います。それでニューヨークでの4年間の生活を終え帰ってきた時、外資化学会社の日本市場への進出が結構ありまして、ヘッドハンティングも受けたんですが、「そうじゃないんだ」と。私はこの会社でやりたいことをやらしてもらって、感謝している。よその会社へ行って、いま以上に面白い仕事ができるとは思わないから、申し訳ないけれど行きません、というようなことをいった覚えがありますね。

財部:
やはり技術者が新技術を生んでいく背景には、好きなことをやりたいようにやらせてもらえる、という環境を用意してあげることが大事ということなんですね。

小川:
駅伝の「たすきリレー」ではないですが、私がしてもらったことをもう何割増しかにして、次の世代、とくに30代ぐらいの人たちに、いろいろなところからハンコを貰ってくる、というスタイルではない仕事をさせてやりたいですね。

財部:
ええ。

小川:
それで、先ほど話したバイオベンチャーや、弊社の中でやっている次世代エレクトロニクス分野のベンチャーなどは、若手が研究所長のハンコをもらう必要がない、社長直轄のプロジェクトにしているんです。

財部:
ほお。

小川:
また環境問題に関して、30代の社員が社内ベンチャーとしてプロジェクトを運営しているケースもありますね。

財部:
そうですか。

小川:
皆、喜んで元気にやりますよ、「社長に騙された」とか何とか文句をいいながらでもですね(笑)。あまりえこひいきになってもいけませんが、やはり「いま、どうなっているのか」ということを社長が聞いてくれて、自分はその月に成し遂げた成果を社長に報告するんだ、というのが励みになるようですね。

財部:
本当につまらない、狭い業績評価主義より、人との信頼関係からくるモチベーションの方が、やはり大きく作用するんだという気がしますね。

photo

小川:
ええ、そんなこともあるのかなあと思って。まあ「シメシメ」というところです。やはり若い人が元気でやってくれないと、「人がリソース」である会社は続いていきません。われわれも「人がリソース」といえる企業として、できる限りやっていきたいと思っています。

財部:
今日は本当にありがとうございました。

(2006年10月12日品川区東品川 住友ベークライト本社にて/撮影 内田裕子)