武田薬品工業株式会社 武田 國男 氏
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財部:
そうはいってもですね、93年以降の改革の中身は――。

武田:
いやいや、あれはうまくいきましたなあ(笑)。しかし、しんどかったですよ。「どうしたらお金が浮いてくるのか」ということばかり考えていました。もう、ほんとうに朝から晩まで、もうそればかり思っているわけですよ、私はね。それで実際に案が上がってきたら、僕が「これはええな」、「これは駄目だな」と振り分けていきますでしょう。それを今度は、会社全体で実行していくわけです。だから下は大変でしたけど――、しかしあんな突飛なことが、よくできたなあとは思いますけどね。

財部:
なぜできたと思われますか?

武田:
やはり、無駄があったからでしょう。無駄がそこにあったからできたのであってね、それを実行した人たちは偉いと思う。しかし、これもまあ、武田の名前があったからできたんだと思いますよ――とくに「浚渫船」は。僕は「浚渫船」しかやらない。武田という名前を錦の御旗に染め抜いて浚渫をする、僕はそれしかできない人間ですよ。だから、改革が一段落したときに「これでもう渡さないかん」と思って、会長に退いたんです。いまは長谷川社長がうまいことやってくれていますからね。

財部:
いま振り返られて、社長になって一番苦しかったときはいつですか?

武田:
苦しかったときというより、やはり改革途上でいろんな非難をされて、「ほんとうに、自分のやってることは正しい方向を向いているのかどうか」と絶えず自問していました。毎日がそれとの闘いでしたからね、それだけです。それがこう、うまく数字になって出てきたときには、ほっとしましたね。

財部:
無駄、浚渫船――。それもわかります。でもそのもう一歩奥にですね、武田の血を引いている身として、「この会社を潰してはいかん」という意識のようなものはあったんですか?

武田:
それはないですよ、ないですよ。結局僕は、無駄なものを省くことだけが目的でしたからね。

財部:
実際、ご自身で指示を出すにしてもですね、周囲でほんとうに意を汲んで動いてくれる人間がいなければ――。

武田:
やはり周囲に自分の考え方をわかってもらうまでに、2年ぐらいかかりましたね。でも僕が社長になったときは、もう2、3人は僕の意を汲んで動いてくれる人がいましたよ。それで、パッと走り出しましたけどね。社長になる1年ぐらい前、小西さんから「お前、もう次期社長になるよ」っていわれて、そこで何をしたかっていいますと、東京に信頼できる人間を送りましてね。「経営企画関連のこの部署を戦略秘書部的な部門にするから、きちんとした戦略が立てられるようにその体制を作っておいて欲しい」とお願いしたんです。そうしたら、一年でだいたい整えてくれましたけどね。

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財部:
その、人を選ぶ眼力というか基準は、どこに置かれたんですか?

武田:
やはり正直さ、ですよ。正直な人間かと絶対に嘘をつけない人間。できる人もいいですけどね、やはり私が選ぶのは、正直な人ですよ。こっちがいったことで「やってません」と嘘をつかれたら、それはえらいことですから。やはり正直に返してくれて始めて、「いい」とか「悪い」という判断もできるようになりますから。嘘をつかれると、一番かないません。

財部:
その「正直さ」と、これまで御社が実行されてきた成果主義との兼ね合いについては、どう考えたらいいんでしょう?

武田:
それはですね、結局「無駄」、なんですよ。年功序列というか――、ゴマすりばかりで上に昇り、給料を取っていた連中が多かった。そういうのをみていて、もう腹が立ちましてね――。まずはきちんと仕事をやった人が、それだけの報酬を受け取る、・・と――。

財部:
正直いって、成果主義の徹底は、そういう面で意義を持ってくるわけですね。

武田:
そうそう、結局は「誠実」なんですよ。「誠実」という言葉――当社では「タケダイズム」と称してますけどね。やはり人間は誠実じゃなかったら絶対に駄目だと思います。

財部:
ということは、武田会長が会社を立て直す以前は、そういうものは大きく崩れていた――。

武田:
崩れたというよりも――。多くの社員は、皆さん誠実にやっていたんだと思います。誠実=公正・正直・不屈=な企業行動を実践していく、という「タケダイズム」はやはり一番重要な概念で、それを軸に225年続いていきておりますし。そういう最上位の概念があるからこそ、誠実というものがあり、これだけ続いてきたんだと思っているんです。しかし、やはり、その下にある経営理念とか、さらにもう一段下にある経営方針とかいうのが、その時々によって変わりますから、その違いのみだと思います。私が社長になる前は、医薬品の会社が多角化していましたから、その頃の理念は「人々の健康とすこやかな生活に貢献する」となっていました。それを私の代になって、「優れた医薬品の創出を通じて人々の健康と医療の未来に貢献する」と変えたんです。そして事業領域を医薬一本に絞り、キューっと収縮してやったんですよ。

財部:
松下電器も異常なほど「幸之助イズム」を大事にしている会社で、毎朝皆で「五箇条のご誓文」を読んだりしているわけですね。ところがそれで「幸之助イズム」は担保されたのかといえば、必ずしもそうではありませんでした。だから結局、その本質的なところを理解している中村社長が出てきて、制度や仕組みをすべて取り替えなければならなかった。そうしなければ、その「幸之助イズム」を担保できなかったという現実がありますよね。あるときですね、中村社長にインタビューをさせていただいたのですが、彼は松下幸之助が書いた『実践経営哲学』という本をテーブルの上に置きながら、話をされていました。その本には付箋が何枚もついていたんです。それで私は、そのインタビューが終わったあと、「その本を下さい」と中村社長にお願いしました。最初は嫌な顔をされていましたけれど、結局それをいただくことができまして――。私は松下を出てすぐ、「中村社長はどこに付箋を貼っているのだろうか」と思い、その本を開いてみました。すると「日に新た」と書かれたところに赤線が引いてあったんです。中村社長はその箇所を読みながら、日々「これでいいんだよね」と、創業者と対話し確認していたんではないでしょうか?いわば、「日に新た」という文言そのものを客観的にみるというよりも、その奥にあるものをご自身で確認されていたんだと、私は思うんですね。でなければ、あのファンヒーターの一件もそうですし、「サラリーマンの社長というだけで、ここまでやるだろうか?」という疑問への説明がつかないんです。

武田:
いや、しかしオーナー社長でも、あそこまではできません。だからやっぱり中村さんは、秀でた経営者なんですよ。ちょっと真似できませんよ、あの方の素晴らしさはね。私も創業家の出身として一所懸命やりましたけど、昔は祖父が書いた"規"をみても、全然わかりません。私も、この頃はじめてその "規"と自分がやってきたことを照らし合わせ、「ああ、ここはよかったな。ここがやはりこうなるんだなあ」と理解するとか、「やはりこれは血なのかな」と余裕を持ってみられるようになったんですよ、結局は。

財部:
そうすると、武田会長がかつて改革に携わった中で、「これでいいのか」と悩みながら指揮を執られていたとき、支えになったものは何だったのでしょう?

武田:
「孤独との戦い」、のみですよ――。ですから「支え」っていったら、自分の孤独に耐えるスタミナというか、精神力。私、それだと思いますよ。

財部:
それは何かで、ストレスを発散しながらとか?

武田:
じーっとしています。ですから結局変人というか、私、あまり知り合いがいないんです。案外、始終そういう感じですよ。ですから人とつき合っていましても、それほど人に楽しい思いをさせられないと思いますからね。迷惑をかけたくないからこっちが引いてしまうので、だいたい一人ですね。一人でグルグルと、いろいろ考えていますよ。

財部:
読書はお好きですか?

武田:
読書もあまりしませんなあ。しかし誰かが書いた本をパッとみて、「おーっ、自分の考えるようなやつがある」という箇所をみつけたら嬉しいですな。あと、これはちょっと自慢かもしれませんけど、「なんや、こんな有名な人がこんなこと書いているのか。俺なんかずっと前から、こんなん思ってるじゃないか」という発見をするのが好きなんですよ。「たいしたことないやないか」と密かに、そっと笑っているのが好きなんですね(笑)。

財部:
いわゆる創業者的な感覚ですね(笑)。ご自身で会社を興してきた方をみていると、ある種の「天賦の才」というものがありまして――。一方ではロジックを固め、もう一方では経験値を高め、そのロジックと現実を融合していくタイプが圧倒的に多いんですが、本当に凄い創業者はそうではなくて――。

武田:
勘。勘ですよ。自分の勘、当たりますよ。その代わり、必死で考えて、考え抜かないと駄目ですけどなあ。他のことを考えておったら、邪念が入るから駄目だと思いますけどね(笑)。

「日本発」の国際マネジメント体制を確立する

財部:
それにしても医薬品業界で、武田薬品の突出ぶりは常軌を逸しているものがありますね。

武田:
サァ きましたね――(笑)。

財部:
やはり突出していますからね(笑)、いま株価がこれだけ乱高下している中でも、本当に堂々たるものですよ。現在の状況は、武田会長が理想とするところからみて何合目ぐらいになりますか?

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武田:
これでねえ、六合目。と申しますのは、やはり私は非常にツイている男だと自分で思っているんです。結局、いまの武田の国際戦略商品は四品目。これだけのものを持っていて、新しいものが続けざまに出してくる会社っていうのは、世界でも少ないですよ。これで武田はグーッとグローバル化の道をひた走ったんですけどね。その結果、売上高一兆円も達成したし、それが土台になってこれだけの強い会社ができたんですよ。

財部:
そうですね。

武田:
あとはやはり――、結局私が一番夢見ているところはですね、この日本を中心にね、ここから指揮・命令・方針を一つ出すことによって世界中を動かせる、こういうシステムや組織を構築したかったんですよ。まだ日本ではそういう会社はないと思います。いま長谷川社長が、猛スピードでそれを作ってくれています。営業はもう日米欧にわたって大体強いです。それから開発もだいたいできています。あとは製薬、それから研究が、もう少ししたらきっちりしてきますけどね。

財部:
勉強不足で恐縮ですが、開発と製薬はどこが違うんですか?

武田:
製薬っていうのは工場、生産です。薬の研究が進み、臨床に入ってきたときに開発、ということになるんです。

財部:
製薬が弱いということは、工場や生産プロセスがまだ整っていないという意味ですか?

武田:
いや、プロセスじゃない。日本を中心としたマネージが、製薬部門ではちょっとできていないです。それから研究部門もちょっと弱い。でも、もういけると思います。だから川上がちょっとまだ足りなくて、川下はもう、日米欧の三極がガッチリ固まりました。でも日本中心というか、「日本発」のマネジメントといっても、皆アメリカ、ヨーロッパが独自で動き、そこで上がった数字を日本で連結しているだけのケースが多いですよ。しかし私は、日本を中心にバーッと命令を下す、ということをやりたかったんです。いま武田ではその体制がほとんどできかけてきましたよ。長谷川社長も毎日テレビで国際会議をしていますけどね。

財部:
「日本発」というのは愛国心なんですか?

武田:
「作ってみたい願望」です。「日本発」というものを。まだ日本にはないから。だって、皆偉そうに「経営者」っていってても、そんなん、ようしてませんがな。だから「僕はできなくても、長谷川社長、一度やってくれよ」と、「これが武田だ!」という挑戦ですよ。それこそ「タケダイズム」に謳われる、「誠実=公正・正直・不屈=な企業行動」です。いつ何時でも、よりよい姿を追求していく。それがなくなったらやはり、会社というものは駄目ですよ。それを追い求め追い求め、少しでもいいから良いものにしていくという、そこに尽きますね。

財部:
最後に恐縮なんですが、武田薬品の人事考課といいますか、能力評価は大変厳しいですよね?

武田:
大変厳しい!あれはもう、僕ならもう顎が出ますよ。もの凄いですよ、能力評価は。だからあの時期になってくるともう、僕は逃げるんです(笑)。大変なんですよ、もう時間に追われて追われて。まあ細かいとこまでやりますから。

財部:
そうしなければ、ほんとうの成果主義は実現しないですよね。

武田:
できない、できない。それで武田では一人ずつ、詳細な面接をやるんです。だから僕は会長になりまして、ほっとしているんですよ。長谷川社長がやってくれるから。私は横でこうやって聞いているだけですから(笑)。

財部:
具体的に、社長はどのクラスまで面接するんですか?

武田:
大したことないですよ、本部長職以上ですね。

財部:
それでも大変ですよね。

武田:
それは、もの凄く大変ですよ。まったく細かいんですよ。

財部:
そうでもなければ、武田会長が掲げられた理想と、実績・能力主義というのは並立しないですよね。

武田:
しません、しません。あれは嫌ですなあ――。嫌ですなあ、といってはいけませんけども(笑)、あれをやらなくちゃ駄目なんです。やはり、成果主義で一番重要なのは計画なんですよ。計画がピシッ、と立っていないと、評価につながってこないわけです。それでいざ評価するときに、計画がいい加減だったら、またそこへ戻って喧喧顎顎となってきたらもう、時間ばかりとられるわけですよ。それで、この頃はだいぶ計画はきっちりしてきましたからね。

財部:
最後にお話聞きたいんですが、いま武田会長にとって楽しみだということがあるとすれば、何でしょうか?

武田:
ないんですよ、いまは。ほんとうになくて困ってるんですよ。いまもう、どうしようかなあと。

財部:
結局、仕事が一番の楽しみだということですか?

武田:
いや、「仕事も」楽しみ。仕事のことを、なんせ私は、いま何も考えないようにしているんです。考えたらまた、社長のテリトリーへ首を突っ込むことになりますからね。

財部:
では放っておくと、自然に仕事のことを考えてしまう、ということですね(笑)。

武田:
そうです(笑)、だから仕事からなるべく逃げるようにしている。でも逃げるのは辛い。それでいつも辛さの中にいるんです。もう辞めたいなあと思うこともあるけど、辞めて何しようかなあ、と。それで、「第2の人生」をいま必死に考えているんです。

財部:
ほんとうに僭越ないい方なんですが、やはり「会社とは弱いもの」だと思います。時流に流されるし、サラリーマンはちょっとしたことでブレてしまう。しかし、時流に流されないというのは、ある意味で創業家の特権ですよね。私はそう思います。

武田:
(私も)そう思い出したのは、ここ2、3年なんですよ、ちょうど会長になるぐらいの頃で。それまでもう、「創業家なんか潰してしまえ」とほんとうに思ってましたから。それがガラッと変わってきましたね。やはりいろいろな方にいわれ、本なんかもいろいろ読んでみて、創業家というのもやはり必要なのかなあ、という感じが湧いてきていますね。いまほんとうに考えているのは、財部さんのいわれたように、結局はその創業家のポジショニング。すなわち武田薬品の中の、「武田」という名前のポジショニングです。人が出るのか名前だけになるのか、それをどういう形にしていったら一番いいのかを、いまずっと考えてるんですけど、それが一番難しいところなんですよね(笑)。

財部:
ありがとうございました。

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(2006年6月15日 武田薬品工業 中央区日本橋東京本社にて/撮影 内田裕子)