パナソニック株式会社 中村邦夫  氏

「マネシタ電器」はやめた

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財部:
社長に就任された2000年以降の松下を見ていると、当初、合理化をものすごく一生懸命やられていましたね。1年、2年と続いたけれども、業績はなかなか伸びない。そこで中村社長から「強い商品が必要だ、ヒット商品をつくれ」という大号令が出ました。開発セクションから、マーケティング機能を分離して、東京に集約するといった組織改革もありました。そうしたなかからディーガ(DIGA:DVDレコーダ)やビエラ(VIERA:プラズマテレビおよび液晶テレビ)とか、ななめドラム式洗濯機などの大ヒット商品が続出しました。この原動力はどこにあったのでしょうか。

中村:
これは非常に品格のない表現ですが、私は社内にむかって「マネシタ電器」だけはやめようと言ったのですよ。全社員に一番わかりやすい言葉で伝えようと思ったのですが、これは随分批判されました。それまでは、他社さんがヒット商品を出されると、松下の事業部長は「早く同じようなものをだせ」と指令をするわけです。そうなると、開発の技術者は全部そちらに精力を取られてしまう。物マネ商法、二番手商法に精力が注がれてしまっていたということです。独自のものをつくる開発体制になっていなかった。それを一挙にやめようとすれば、大きな隕石をぶち込まないとできないわけです。

財部:
どうやって「マネシタ」をやめることに成功したのですか?

中村:
いろいろな機構の改革を行いました。松下グループ内での重複商品も非常にブレーキになっていたので、そういうのも一切やめました。「マネシタ電器をやめよう」という非常に激烈な言葉でメッセージを出すと、ドメインの社長、あるいはその下の事業部長は「よそが出しているから」とは言えなくなった。「他社にはない、独自の製品を開発すればいいんだ」という考え方のなかから、まず初めにでてきたのがノンフロン冷蔵庫とか斜めドラム洗濯機等の製品です。 他社が出されたものをまねしてやっても、社内に元気が出ませんよね。苦しくても、自分独自のもの、お客さまのニーズを満たすものをつくろうということになると、個人もチームもワクワク、元気になる。そういうエネルギーが出てきていると思うんです。

財部:
従来、マネシタ電器と言われていた時代は、ある意味では販売力の強さがそれを招いたところがあると思うんです。変に独自のものを出して外れてしまうよりは、二番手商品でも確実にヒットする商品を後からつくって、強い営業力、販売網で他社を凌駕してしまう、そういうビジネスパータンだったということですね。

中村:
そうですね。それがデジタルの時代になりますと、もう二番手商法は通じなくなり、早く出してナンバーワンになった会社しか儲からない。二番でゼロ、三番以降は赤字。それが極端に出ているのがデジタルカメラの世界ですね。

財部:
中村さんは、どの時点で二番手商法はだめだという判断をされたのでしょうか。社長になる前からですか。

中村:
私はAVC社(テレビなどAV機器を扱う社内カンパニー)の責任者をやっていましたし、米国松下の社長としてアメリカ市場も見ていましたから、その当時からそうした認識は持っていました。「マネシタ電器」を招いた要因は営業にもあります。営業が「他社からこんなヒット商品がでているから、同じものをすぐに出せ」と言ってくるので。それも独自技術を出せない原因の一つになっていました。

財部:
即効性のあるものとして、売れているものをすぐ出せということですね。

中村:
しかし、それはもう終わりました。開発の憲法として「他社がやっているものはやらない」ということが認知されました。それが戦略の第一歩だということをみんなが共有していますので、二番手商法はもうやりませんね。

日本のこれから

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財部:
日本のエレクトロニクス業界が事業の再構築に苦しんでいた間に、あれよ、あれよという間に韓国のサムスンが世界最大級の利益をあげるようになってしまいました。サムスンを意識することはあるのでしょうか。

中村:
規模は大きいですし、優秀な会社ですから、そういう点では注目はしていますし、意識はしています。しかし私たちは、垂直統合型でデバイスから一貫生産する商品づくりで、しっかりやっていけばいいので特別な意識はもっていません。

財部:
なるほど。しかし日本のエレクトロニクス業界全体にとって、サムスンの急成長が投げかけた意味はなんだったとお考えになりますか。

中村:
日本の電機業界だけとると、本当に長い間同質競争をしてきたんですね。日本の中での競争に明け暮れて疲弊しているうちに、サムスンが出てきた。日本も、もっと早く同質競争をやめていればよかったのではないでしょうか。これは後付けの結論ですけれども、今からでも遅くない。今、日本での生産にすごく回帰していますし、日本独特の技術はまだまだたくさんあるわけですから、まだそんなに悲観すべきことではないと思います。ただ、一国の中の同質競争だけは、本当に無駄だと思いますね。

財部:
「同質競争」とは、どういう意味ですか。

中村:
半導体が一番最初でしたね。DRAMが倒れたのは、松下もやっていたましたが、国内メーカーがこぞって参入し、競争をやり過ぎました。液晶もそうです。それがもし日本に液晶が2社しない、プラズマも3社しかない、半導体でもフラッシュメモリーでも2,3社しかないということになると、ものすごく競争力が出てくる。これからそういう時代になってくると思いますね。

財部:
つまりデジタルテレビもDVDでも同質競争がどこかで終わり、結果として勝ち組の1社、2社だけが残るというふうに想定されているわけですか。

中村:
かなりご批判を受けている言葉をあえて出しますと「寡占化」をしてナンバーワンにならないと儲からないのがデジタルですから、それはやっぱりやっていかないといけない。ですから、プラズマの技術ではサムスンに決して負けることはできませんし、負けません。私たちは40%のマーケットシェアをとりたいと私は思っています。

財部:
これは2006年度中に達成するということですか。

中村:
そうです。2008年に北京オリンピックがありますし、2010年には2500万台のプラズマテレビのうち1000万台を松下が占めることを目標にしています。

財部:
その場合の競争力の決め手は何になるんですか。

中村:
極めて美しい画像の商品を、当然のことながら安いコストで出す。技術面では、フルHD(画素数が1929×1080の「Full High Definition」、ハイビジョンの高品位映像)を達成するのが一番大きいですね。同時に、テレビには超高速LSIを使う。それから、パネルの面でも、第八世代ぐらいまで。先般、世界最大の103インチのフルHDを発表しましたが、反響がすごくてね。 テレビというのは、必ず大型化していきます。アメリカでは、50インチが標準タイプです。そうしますと、何面撮りできるか、これが最後の勝負ですね。プラズマも、まだ製造工程が進化している過程ですから、そこは工場全体をブラックボックスにして競争していく。

財部:
それが尼崎の工場に集約されていくということですね。

中村:
そうです。

財部:
社長ご自身が、利益率というものに非常にこだわっていらっしゃいますね。

中村:
そうですね。

財部:
5%の達成というのは、もう視野に入ってきているんですか。

中村:
プラズマも激烈な競争をしていますが、そのなかで2006年でも5%以上利益を出します。ですから、他の事業はうかうかしていられませんよね。事業によっては10%も15%も出さないといけない。業界ナンバーワンの企業と比較しますし、それぞれのドメインの社長は、業界ナンバーワン目指してチャレンジしてほしいと思います。

財部:
最後に、2006年という年で、社長が一番目標とされているものは何ですか。

中村:
信頼回復。このテーマは当然で、続けてやっていきますけれども、経営の面では「選択と集中」を進めて営業利益率5%を達成して、2010年に10%に向かって、一つの飛躍の局面と考えています。キヤノンさんを筆頭に日本の優秀企業さんは、既にそれを達成されておられるわけですから、1,2周おくれていますが、2006年に5%を達成すれば、2010年の目標も視野にはいってくると思います。

財部:
ありがとうございました。

(2006年1月20日 港区芝公園 パナソニック株式会社本社にて/撮影 内田裕子)