セーレン株式会社 代表取締役会長兼CEO 川田 達男 氏

財部:
さまざまな分野に出ていくと、商習慣や考え方の違いに直面します。そういう価値観なり商習慣なりビジネスモデルが違う人たちと仕事をしていくことに関して、川田会長ご自身は違和感がないのですか?

川田:
これについては、自動車産業とお付き合いをしたことが非常に勉強になりました。具体的に言うと、ものづくりに対する考え方についてです。自動車は安全が基本ですから、品質コントロールなどの考え方について、自動車産業のモデルが参考になりました。ほかにも、自動車産業にしっかり取り組んでいこうと思うと一貫生産でなければならないとか、ジャスト・イン・タイムの徹底、コストと品質の厳しさなどです。そういう異業種の考え方をわれわれはどんどん採り入れ、膨らませていこうという考え方でやってきました。

財部:
一貫生産の原点は自動車ですか?

川田:
自動車ですね。私は昭和50年前後に「非衣料をやらなければいけない」とか「自分でモノを作って売らなければならない」ということを言っていたのですが、当時会社は従来の委託加工で利益を上げていましたから、15年間も1割5分の配当を出すことができました。繊維産業であれば儲かった時代に「こんな委託加工をやっていたのでは将来性はない」と言ったものですから、ずっと左遷の連続です。左遷されたところが窓際で、勝手にやれと言われてやりだしたのですが、その時たまたま自動車のニーズがありました。当時の自動車の内装材は塩ビが主流で、もう少し付加価値の高いものにしたいという話があったのです。そこで「繊維はどうですか」と提案したところ、「繊維は10年持ちません。変色もするし、破れますから駄目です」と言われましたが、「そんなことはありません」と説得しました。自動車産業は太平洋側に集中しているのですね。

財部:
なるほど。

川田:
太平洋側は、繊維と言うとウールなどの天然繊維の産地なのです。われわれ日本海側は、ポリエステルやナイロンなどの合成繊維。だから太平洋側に集中している自動車産業には天然繊維の情報しか入っていません。繊維とはこういうものだと彼らは思っているわけです。

財部:
繊維という言葉を聞いた時に、思い浮かべるものがまったく違うのですね。川田会長は、左遷させられていた時に自動車分野を開拓したのですか?

川田:
そうです。左遷させられている時に、とにかく自分でモノを作って売らないかんという思いで、いろいろなことをやりました。神戸の長田地区に行ってブーツの裏地や傘地を売りました。また、あの頃自動車が少し出てきたので、屋外駐車用のシートカバーを売ったりしていた中で、自動車の内装材のニーズがあったのです。非常に良い人物との出会いがあり、その人も熱心に対応してくれました。自動車の内装材が繊維に変わったのは、われわれがオリジンです。

財部:
それは知りませんでした。その時、会社はすぐに評価をしてくれたのですか?

川田:
まったく評価してくれません。足を引っ張るだけで、もう“気違い”扱いです。その意味で、アップル共同設立者の1人であるスティーブ・ジョブズ氏が典型的ですが、5年先、10年先を考えるということは、今の常識では駄目なのです。5年先の常識を言うものですから、今の常識とは合いません。ジョブズ氏は「フーリッシュ」と言っていますが、私はいわゆる異端児でした。私も入社した時には「いい会社に入った」と思ったのですが、6カ月間実習を受けている中で「この会社はおかしい」と感じ始めたのです。何がおかしいかと言うと、自分でものを作り、売っていない会社だということです。それをずっと言い続けてきたものですから、「染色加工の受託がうちの仕事だ。それ以外はわれわれの仕事ではない。これで儲かっているのに、何を若造が言っているのか」と叱られて、入社早々左遷されたのです。

財部:
珍しいですね。入社早々左遷というのは。

川田:
入社早々、同期生から「お前のサラリーマン生活終わったな」と言われました(笑)。

財部:
新入社員はあまり物事をわかっていませんし、社会や世間を知らないのに、何かがおかしいと思えたところが凄いですよね。

川田:
「人生万事塞翁が馬」と言いますが、私は高校時代に野球をやっていました。進学校だったので普通は2年生で辞めるのですが、強かったので3年生まで部活をやらされまして、受験勉強ができず、大学受験に失敗しました。たまたま引っ掛かった明治大学に、経営学部の学部長をされていた土屋喬雄先生という良い先生がおられたのです。土屋先生のゼミに入り、経営学をしっかり勉強させてもらいました。そこで、会社とはどういう機能を持たなければならないか、などを学んだのです。そのため若気の至りではありますが、たまたま入った会社が「どうもおかしい」と思いました。その頃おかしいと思ったことが正しいかどうかはわかりませんが、セーレンの仕事を見ていると、ますます「これは将来性がない」と感じたのです。

財部:
そこを本格的に変えられるのは、社長になられてからですよね。

川田:
そうですね。それまでは、いじめられてばかりいましたから。

財部:
途中で営業部長、役員になり、社長を任されたわけですね。

川田:
はい。先ほどもお話した通り、従来の委託加工は、時代の変化とともに業績が低迷し赤字に陥りました。その一方で、私の手がけていた仕事が利益をずっと出してきたわけです。会社がこのまま存続できない状況になったため、当時の社長との折り合いは決して良くなかったのですが「どうせ駄目ならお前がやれ」と言われました。利益が出ているのは、私がやっている仕事だけになったため、社長をやらざるを得ないことになりました。

財部:
川田会長が社長になった時、他の部署の人たちは戦々恐々としていたのでしょうね。

川田:
私が1番若い役員で、残りはすべて先輩です。私が社長になることで、今までの上司が部下になるわけですから、丁寧語で厳しいことをお願いしなければなりませんでした。

財部:
そこで丁寧語が大事になるわけですね。

川田:
先輩ですから、やはり敬意を表さなければいけないので、丁寧に。会社が直面している危機について、きちんと理解してもらわなければなりませんでしたから。とはいえ、理解はしても、やはりDNAの部分で変え難いものがあります。そういうDNAがなかったら、今はもっと大きな会社になっていたと思うのですね。

財部:
外部から見ると、もの凄いスピード感で変化していると思うのですが、もっとやれたはずだということですね。

川田:
もっとやれます。まだまだ可能性があると思いますから。これからの楽しみですね。

「非競争戦略」で新市場を開拓していく

財部:
川田会長は今盛んに「内向きから外向きへ」というお話をされています。これは、国内市場が駄目だから海外市場へという主張より、もっと広い意味合いですね。

川田:
そうですね。われわれの体質そのものが、ずっと内向きでしたから。われわれがお客様にきちんとアピールし、お客様のためになる付加価値をしっかりと理解していただく。そういう外向きのエネルギーを、もっと出していこうということです。実際、われわれの技術がお客様に貢献できる可能性がかなりあるのです。だから、その可能性をきちんと理解し、お客様に「お願いします」ではなく、お客様に「こういう付加価値があります」「これをやらないと損をしますよ」というぐらいの気持ちでやれと言っています。

財部:
川田会長の言葉の中で非常に印象的だったのは、「お客様とも戦うのだ」というものです。

川田:
お客さんが「要らない」と言ったら、「お願いします」と言わずに「そうですか」と言って畳んで帰れと話しています。「お願いします、お願いします」と言って、付加価値を自分たちで下げているのです。付加価値はコストの積み上げではなく、お客様がどれだけ価値を認めてくれるかで決まるものですが、これがわからないですね。全部のコストの積み上げでお客様に提供するものですから、付加価値がなかなか取れないのです。

財部:
日本のものづくりの厳しさはそこにありますね。米アップルやGEの医療機器などの高付加価値製品は利益率20%も取っています。でも中身はほとんど日本の部品です。日本人は真面目にやりすぎます。

川田:
そうですね。それにしてもこうして振り返ってみると、経営って「こうやったからうまくいったのです」と論理的に説明できる部分は、せいぜい20%か30%ですよ。あとは気合いや出会い、直感や運など、いわゆる非論理的なものが大きいのではないかと。

財部:
その出会いや直感、運などの部分で、川田会長ご自身が1番強く感じるものは何ですか。

川田:
やはり1番多いのは出会いと運でしょうか。私の場合、会社の存続が不可能な状態で、社長のバトンが47歳で飛んできました。ところが、「どうしたらいいか」と悩み、「こんな会社にしたい」という思いをまとめて「こうするぞ」と言っているだけで、株価が上がり出したのです。それが、いわゆるバブルの始まりでした。私は1987年に社長になりましたから、1988年からずっとバブルで、うちの株価が2700〜2800円までいったのです。そこで、エクイティファイナンスを行い、手元に残った資金が今の開発の原資なのですね。

財部:
そこで無駄遣いをしなかったのはどうしてですか。ほとんどの大企業は、調達した資金をほとんど再投資のような格好で浪費していました。

川田:
やることがたくさんありましたからね。土地も買わないといけませんし、開発をやるために工場も建てないといけませんでした。われわれはずっと繊維業界でやってきましたから、そこに差別化要素があるので、繊維の技術からは離れません。そこから離れたら、われわれに勝てるものはないのです。だからあくまでも繊維の技術にこだわり、繊維の技術から新しい製品を作り、新たな展開を図っていく。その意味で、繊維という基本を変えてはいけないと思います。今それで十分可能性が広がってきていますから、後輩にも「変えなければならないことと、変えてはならないことをしっかり念頭に置いてほしい」と常に話しています。