株式会社ダイエー  代表取締役社長 桑原 道夫 氏
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「光り輝くダイエーの復活」で社員がひとつになる

株式会社ダイエー
代表取締役社長  桑原 道夫 氏

「ド」が付かない程度の素人で赴任したダイエー

財部:
まず、紹介者のアサヒビールの泉谷社長とはどのようなお付き合いでしょうか。

桑原:
2009年に、泉谷さんが専務の頃に初めてお会いしたのですが、「おお、すごい人がいるな」というのが第一印象でした。当時、私がいた丸紅とアサヒビールさんとは、原料調達や海外での合弁事業などでお付き合いもありました。話を聞くと同じ歳だということもありましたが、ずっと経営の中枢におられて、英才教育を受けられた方なのに、飾らないお人柄で、すっかり意気投合したという感じでしょうか。そこからのお付き合いです。

財部:
そうだったのですか。

桑原:
2010年に泉谷さんがアサヒビールの社長になられたタイミングで、私もダイエーの社長になりまして、今度は立場が変わって私が買う側になりましてね。(笑)まあ、そんな冗談を交えながら、より絆が固くなったと思います。広い視野をお持ちで、いつも元気な方です。一緒にいると、元気付けられるみたいなところがありますね。

財部:
社長というのは非常に孤立感の強い立場。なかなか周囲に理解されませんが、社長同士だとやはり肝胆相照らすものがあるのでしょうね。

桑原:
そうですね。泉谷さんとは丸紅の時から仲が良かったので、ダイエーの部下たちもわかっていますし、また泉谷さんの周りでも同じでして、例えば私がアサヒホールディングを尋ねていく際に、泉谷さんはわざわざ車寄せまで来て待っていてくれます。当然アサヒホールディングの社員の方もビシッと迎えてくださる。また、ダイエーの新規開店とか、既存店のリニューアルオープンのときは、必ずアサヒビールの営業部長の方がこられて、私よりも先に行って出迎えてくれるほどですよ。(笑)そういうところは本当にすごいですよね。泉谷さんは豪放磊落な方ですが大変気遣いをする方。さらにアサヒビールさんは地べた営業という側面を当然お持ちなので、社員のみなさんがとても鍛えられていますよね。

財部:
いくら大きな会社といえども、結局、そういう個人的な信頼関係みたいなものが、ビジネスに広がりを持たせるものなのですね。

桑原:
そういう面はありますね。私自身が勝手に思っているのかもしれませんが。

財部:
僕はこれまでダイエーの取材をずいぶんさせて頂いてきました。98年頃には中内さんの最後のご苦労もリアルタイムで拝見しながら、サンデープロジェクトで数回に渡って特集を放送しました。ですから僕にとってダイエーは特別な会社のひとつでして、今回、アサヒビールの泉谷社長から桑原社長をご紹介され、久しぶりにダイエーに伺えるのは何とも懐かしい気持ちになっています。

桑原:
そうですか。私は38年間ずっと丸紅におりました。現在の丸紅の朝田社長は同期です。ダイエーはまだ3年目ですから、そういう意味では新参者です。

財部:
門外漢だったはずのダイエーに社長としてこられました。この人事はご自身はどのように受け止められたのでしょうか。

桑原:
私は2006年度、07年度とニューヨークで米州支配人をやっておりましたが、それ以前の28年間は主に自動車部門で、その間、航空機、船舶、産業機械と、守備範囲は広くなりましたが、とにかくずっと機械畑です。2008年3月にニューヨークから帰国してからは、食料と繊維を担当しました。海外事業の布陣を決める市場業務部、丸紅経済研究所も兼任しながら2年やってきたところで、ダイエーが営業利益で赤字に陥りました。「管掌しているのは誰だ」と。ダイエーに出資をしている部署は、丸紅の中では食料部門で、当時、私は筆頭副社長だったのですが、朝田から「お前行ってこい」と言われましてね (笑)。社長からの指名ですから、私の会社生活を全うする気持ちでダイエーに赴任しました。

財部:
では、まったくの畑違いという感じだったのですか。

桑原:
ニューヨークから帰って2年間、食料と繊維を見ていましたし、2009年から1年は、ダイエーの監査役を務めていたので、全体を把握できていたことは、随分助かりましたね。銀行関係は以前よりお付き合いがありましたから、そういう意味ではド素人の「ド」がつかない程度の素人でした。

財部:
いえいえ(笑)。でも、やはり商社の仕事と、このような大きな事業会社の経営と言うのは、ちょっと違いますよね。

桑原:
違いますね。やせ我慢をしている時は、「それほど違わない」と言っていますが(笑)。 会社経営の基本は8割くらい共通していると思っています。ただ、やはり業界固有の違いがある。例えば、スーパーのレジにはPOSが入っていますよね。ダイエーには日割り予算というのがあるのですが、今、予算をどれだけ消化しているかが私の場合、2時間に一回、携帯に入ってくるのです。商社の時はそんなことは全くありませんでしたよね。

財部:
2時間に1回ですか?それは大変ですね。

桑原:
はい。例えば消化率が悪い日は、「今日は雨か」などと思いながら携帯を眺めています。ダイエーは駅前の店舗が多く、徒歩や自転車などで来店されるお客様も多いので、雨など天候が悪い日は弱いのです。 以前は、趣味のゴルフ場の天気だけ気にしていたらよかったのですが、ダイエーに来てからは、日本全国の天気が気になってしょうがないですね。でも、商社出身だから全く小売業はわからないでしょと言われると、それに対しては、「そんなことはない」と言っています。何故かと言うと、私は自動車をやっていた時に、ディーラーの経営もやりました。大きな枠組みでいうと小売ですから、モノの流れや仕組みはそんなに変わりません。ダイエーのほうが、取り扱い点数が多いですね、と言われますが、そんな事を言ったら自動車メーカーの方がよっぽど多い。そんな冗談も言いながら、今、頑張ってやっていますね。

財部:
僕はローソンの新浪さんが社長になった直後から、取材を通じて長くお付き合いをさせて頂いていますが、その姿を見ていて、商社マンと小売のマッチングとアンマッチングをなかなか興味深く拝見しています。

桑原:
両方ありますよね。やはり、小売りは日々の売り上げ、実績がどんどん出てきますから、どうしても目先の視点になってしまう。でも、商社は商品によって違いますが、時間軸はかなり長い。「俯瞰してみる」というのが習慣になっていて、そういう意味では少なくとも、「先を読む」ことも含めて、マクロ的な視点をダイエーに注入したと自負しています。

財部:
そうでしょうね。小売業界が安売り合戦で互いに疲弊している中で、それでも軌道修正が効かないという理由に、「同質化」しているということが挙げられると思います。そういった業界の中で、異質な見立てをしていくのは、今後、大事になってくると思います。

桑原:
そうですね。自分に存在感があるとするなら、そこらへんにあるのかなと。やはり日々に追われますので、財部さんがおっしゃったように、どうしても同質化という問題を抱えてしまっています。「今、売り上げを作らなければいけない」、「今、これをしなければいけない」といった目先のことに追われます。これはこれで大事なことですが、それとは違った見方、あるいは動きはダイエーにプラスになっていると思います。

スローガンは「光り輝くダイエーの復活」

財部:

ダイエーの創業者、中内功さんは、今の桑原さんにとってどのような存在なのですか。

桑原:
ダイエーの最大の功績者は中内さんですので、関連書などは当然、読んでおります。「中内さんをどう評価しますか」という質問を多く頂きます。正直にお答えしておりまして、やはり95年がピークだったと思います。ダイエーのモデルは日本経済の右肩上がりの時代には素晴らしくマッチしていました。ところがバブル経済が崩壊して、金利が高騰、土地の値段が上がらなくなると、借金が嵩んでしまった。当時ダイエーグループが持っていた、今もあればよかったと思われる、価値のあるリソースを、どんどん手離す結果となってしまったのです。これはちょっと残念だったと思います。借金が2兆5千億円までいっていましたからね、簡単ではなかったと思いますがね。 中内さんは先見の明を持って、新しい分野を開拓してきましたが、大きく環境が変わったときに、うまくいかなくなってしまいましたね。