アサヒグループホールディングス株式会社  代表取締役社長 泉谷 直木 氏
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日本企業がグローバル企業として成功するには、
「人材を絶やさない」仕組み作りが必要だ

アサヒグループホールディングス株式会社
代表取締役社長  泉谷 直木 氏

財部:
最初に、アドバネクスの加藤雄一社長とのご関係をお聞きしたいのですが。加藤社長は泉谷社長のことを、先生だとおっしゃっていました。

泉谷:
日本経営道協会が運営している経営道場が、経営幹部候補生を集めて「リード力開発道場」という1コースのトレーニングを行っています。その中で私は1マだけ、講師を15年ほど務めているのですが、加藤さんも講師陣のお1人で、飲み会で必ずお目にかかっています。

財部:
そうなんですか。

泉谷:
加藤さんは25年も社長をやっておられるのですね。グローバル展開も速く、お目にかかる時には社長として心すべき話をいろいろ教えていただいています。

財部:
でも加藤さんは、「リーマンショックのあと、少し精神的に参った時に本当に助けていただいた」とおっしゃっていました。

泉谷:
いやいや、とんでもありません。たぶんその時は「私はこう考え、こう悩んだ」という話をしたのかもしれません。私には先輩社長に向かって偉そうに、こうした方がよいと言えるほどの力はありませんので。

財部:
以前、御社にお世話になったBS日テレの情報番組「財部ビジネス研究所」の取材では、大企業の人事の話をどこで聞かせてもらえるのかとスタッフが悩み、アサヒさんにたどり着いたのです。今回は私が直接取材しましたが、同番組に登場したリクナビの編集長も女性で、アサヒビールさんとアサヒグループホールディングスさんの人事を語っていただいたのも女性。人事という1番コアな部分を女性が担っていると話題になっていましたね。

泉谷:
そうですか。海外に行って会議をすると、女性が半分近くいます。またIRでヨーロッパやアメリカを回っても、「(あなたの会社の)役員名簿を見ても女性が入っていないが、どう考えているのか」とか、「なぜ外国人がいないのか」と投資家からも聞かれます。今はそんな時代ですよね。その意味でわれわれは、女性の活用をもっと進め、グローバルな展開も含めてダイバーシティ(多様性)をどう確保するかが問われているのです。われわれ自身が事業をグルーバル展開しているわけで、女性もこれだけ社会に進出しているのですから、お客様を見る視点という意味においても重要だと思いますね。

財部:
泉谷社長は、「新入社員のグローバル化の前に、社員(本社)をグローバル化すべきだ」と言って、さまざまなことに取り組まれていますね。

泉谷:
はい。たとえば、私がずっと前から人事部門とやりあっているのが、グローバル要員をどう育成するかということです。その方法論として、「グローバル・チャレンジャーズ・プログラム」という、若手を1年間海外に行かせるという制度を2年間実施しました。私は、3年目からは方法を変えるように言っています。「うちでも海外に事業場が増えているので、そこで1年間きちんと仕事をさせて、人事交換を目指してほしい。その代わり、プラスアルファの人員でいいし、人件費も当社持ちで良い」と。

財部:
そうですか。

泉谷:
面白いことに、人事側では「わが社で営業を始め各部署で経験を積んだと言えるのは、入社○年目以降」という理論が必ず起こります。悪いですが、それはまったく違います。グローバル企業になったら、グローバルに社員を育成するべきであり、国内でグローバル要員を育成していてはスピードが間に合いません。だから新入社員の段階から海外に赴任させるか、現地で採用し、そのまま海外の事業場に預かってもらえばいいのです。それが、「グローバル人員を作るグローバル教育」だと、私は言っているのですがね。

将来の経営を担う後継者を育成

財部:
なるほど。最近、日本企業が国際的に、相対的に弱くなっている気がするのです。今までグローバルに展開していて、強かった企業も弱くなっている。そこにはまさに人事の面で、どんな人材をどのように、何人海外に行かせるのかという本質的な部分に躓きがあるのではないかと感じます。メディアを通じて伝えられている泉谷社長のご発言を事前に拝見しただけでも、その意を強くしたのですが、逆に泉谷社長は、なぜそういうことを考えられたのでしょうか。

泉谷:
私の場合は、実践論なのです。先日の「日経MJ」に、日本マクドナルドホールディングスの原田泳幸会長のインタビュー記事が掲載されました。原田さんは、日本企業がグローバル企業としてうまくいかない理由の1つに、経営層が途絶えてしまうことを挙げています。要するに、経営のプロが「あなたは過去にどんな仕事をしましたか」と言われたら、私の場合「広報をしていました」という話になるわけです。ところが海外企業の経営者たちは、「こことここで経営に携わりました」と言う。これが経営者の過去というべきものではないですか。一方、こちらでは、社内の経験しかない人がポツポツと出てくるだけ。つまり人材が途切れてしまう可能性があるので、他国のグローバル企業との信頼関係がなかなかできない。そういうことがあるのではないかと言うのです。

財部:
原田さんは、マクドナルドの幹部に「3年以内に後継者を作り、次のキャリアに飛躍しなさい」と話しているそうですね。

泉谷:
多くの日本企業にはサクセッションプランがありません。要は、社長を作る仕組みと、社長をクビにする仕組みがない。この2つが問題だと私は思っています。そこで3年前から社内大学「アサヒ・エグゼクティブ・インスティテュート」(AEI)をスタートさせました。

財部:
どのあたりの階層を対象にしているのですか?

泉谷:
今の準役員および役員クラス50人をピックアップし、彼らを25人ずつ2班に分けて、2年間教育してきました。今年で3年目を迎えます。私は初代学長で、「学長フォローアップセッション」というプログラムを担当しています。1泊2日の研修を2回実施し、私が彼らと、具体的な問題解決をどう図るかについて実践的なディスカッションを行っています。来年からは、準役員および役員クラスの下の50人、さらにその下の100人、それぞれAクルー、Bクルー向けのコースを作る予定で、彼らを育成するために500時間をかけます。

財部:
500時間もですか。

泉谷:
きついですよね。ほぼ250日、全コースで約500時間かかります。3カ月に1度、必ず面接を行うというハードスケジュールを1年間続けなければなりません。この社内大学を始めた理由ですが、持株会社のアサヒグループホールディングスに移行する前、私はアサヒビールの社長を務めていましたが、だいたい12月頃から、3月の株主総会を前に役員人事をどうするかという話になります。当グループでは連結子会社が79社、主要会社が50社ありますが、(役員人事を)その都度行っていました。ところが持ち株会社を作ったとたん、「主要会社50社の50人の社長を、3年以内に作らなければならない、どういう仕組みで作ったらよいのか」というように、まったく違う発想になったのです。

財部:
なるほど。泉谷社長はなぜ、サクセッションプランに問題意識を持たれたのですか。普通は、子会社の業績をどうしようかという方に目が行きますよね。

泉谷:
ええ。しかし、子会社の業績を制するのは社長であり、基本的に組織の長の能力を超えて組織は成長しないという理屈があります。じつは、その理屈が自分に対するプレッシャーでもあるのですが、自分の成長が止まったら会社も成長しません。だから自分が伸び続けられなくなったら、社長を降りるべきだと自分自身でも思っています。それから、海外の経営者たちと付き合っていると、彼らの経験は経営者としてのものであり、われわれが持っているのは執行の経験にすぎないということがわかるのです。したがって、(当社の準役員および役員クラスに)執行能力はあっても、経営能力はないかもしれない、というのが1つありますね。

財部:
確かに、どんなプロセスで経営経験を積み、今に至っているかということは、社長を作るうえで非常に大事な要素ですね。

泉谷:
はい。ところが、それが日本では「彼らはどんな部門にいたか」という話になってしまうのです。「そこでどんな経験をしたのか」という話ではないのですね。それからもう1つ、(経営幹部は今のポジションを得るまでに)だんだんと階層を上げてきているわけですが、たとえば執行役員○○部長時代に「あなたの課題は何ですか」と質問すると、部長としての課題しか答えられない。要は「執行役員としての課題は何か」と聞くと、答えがおぼつかないわけです。今までラインでしか仕事をしてきていませんから。

財部:
そうですか。泉谷社長は広報が長かったですね。普通のキャリアやプロセスに比べて、経営トップと直接やり取りをした経験は長いと思うのですが。

泉谷:
はい。これについては非常に恵まれていましたね。私は4代の経営者に仕えましたが、こういう人はあまりいないと思います。今でも、何かを話す時には村井(勉元会長)、樋口(廣太郎元名誉会長)、瀬戸(雄三元会長)、福地(茂雄現相談役)の4パターンが、パッと頭に浮かびます(笑)。

財部:
それは強いですね(笑)。でも真面目に考えれば、泉谷社長は、経営者がこうすると会社はこう動くということを、間近で見てこられたわけですね。

泉谷:
村井さんは東洋工業(現・マツダ)で副社長を務めたあとにアサヒビール社長に就任されました。企業再建および企業改革に加え、CI手法の導入経験者でもありましたから、非常に面白かったですね。それから樋口さんは、金融家・銀行家として業績を上げていましたから、兵站をどう強化するかということに強かった。またエクイティファイナンス(新株発行を伴う資金調達)などによる資金調達を含めて、非常にテクニカルでした。自らが行っている経営について、「チャンスは貯金できない」などのうまい言葉を作って押していくという、良い意味での扇動家でもありましたね。

財部:
なるほど。

泉谷:
一方、瀬戸さんは営業畑でずっと苦労されてきましたから、営業、お客様に対する愛情を持たれていました。あるいは競争に対する執念のようなもの、負けることに対する悔しさ、お客様にもっと近づき、もっとハートで接するという思いの強さを感じましたね。福地さんの時には、前任の瀬戸さんが出さないと宣言していた発泡酒を出しました。また世間で財務リストラが続くなか、わが社で初めて赤字決算を行い、バランスシートをきれいにしてその後の成長を早めたのです。(4人)それぞれが決断し、それぞれに持ち味があり、私はその良いところだけを覚えています。その意味で、ビジネススクールに通うよりもはるかに勉強になりました。

財部:
アサヒビールの社長に就任された時、最初に思いを巡らされたのはどういうことですか。

泉谷:
じつは、社長になる5年前、常務になっているのです。その時父は「おめでとう」と言ったあとに、「気を付けなさい。三役になったら、明日『社長になれ』と言われるかもしれないぞ」と話しました。「サラリーマンは『次は専務、副社長だ』という感覚かもしれないが、社長になる人の前職は常務や専務が多い。もしその時、お前に能力がなかったら会社が潰れる。だから勉強するか、そこで社長をやらないと決めるかのどちらかだ」というのです。

財部:
ということは、むしろ常務になった時のほうが、インパクトが大きかったということですか。

泉谷:
そうですね。社長に就任した時は、「そうか、(この時が)来てしまったか」という感じです。ところが、その時にはもう、あるべき社長の姿はこうだとか、あるべき企業の姿はこうだということが、一応は頭にありました。ただ、これを語ると「あいつは社長になろうと思って狙っていた」と言われるので、最近あまり話していないのですが、今私が役員に求めているのはまさにこれなのです。執行役員は一般社員ではありません。ましてや取締役は、退職金をもらって会社を辞めて、経営のプロとして採用されているのです。だから「今は平取だから次は常務取締役か」というのはとんでもない話。日本でガバナンスがうまくいかなかった原因は、そこにあるのですね。