岩谷産業株式会社  代表取締役会長兼CEO 牧野 明次 氏

人は戦わずして進化せず

財部:
わかりました。このアンケートも、皆さんの個性が非常に出るところでありまして、 牧野さんは、好きな本は「旅行の本」とお答えになっています。「読んでいるうちに、 実際に行ったような気分になり、夢が膨らむからです」と理由を書かれていますが、 経営者の方にはリアリストが多い中で、非常に珍しい答えだと思いますね

牧野:
JTBなどから旅行本や旅行用の地図、「温泉百選」などのガイドブックがたくさん出て います。正直申し上げて、旅行に行きたいのですが、なかなか暇がありません。 家族にはかなり不評なのですが、そういう本を買って帰ってきては、「この温泉がいいな」と言っているうちに、その場所に行ったような気分になるのです。家内も本を見ながら「ここに行きたいね」とか「ここが綺麗」、「こっちの方が良い」と話している間に、 大体そういう気分になりますね(笑)。

財部:
そうですか(笑)。それはやはり、ご自身のストレスコントロールにもなるのでしょうね。

牧野:
そうですね。とくに(本の風景)写真は綺麗ですから、実際にその場所に行ってみると、だいぶ印象が違うこともあります。写真のほうがずっと綺麗だということもありますね。

財部:
好きな音楽では、チャイコフスキーの「大序曲1812年」を挙げられています。「ロシア 革命の頃、フランスの攻撃による大混乱を経て、ロシアが団結により平穏を取り戻す様子を描いている」とのことですが、この曲を選ばれたのはなぜですか。

牧野:
私が高校生ぐらいの時に聴いて良い曲だと思いました。だんだんと、色々なオーケストラの演奏を集めたりして聴くようになったのですが、曲の雰囲気が、自分の生きてきた姿とよく似ているような気がするのです。

財部:
ご自身の人生を、この曲に重ね合わせているのでしょうか。

牧野:
最後は穏やかに、平和に終わりたいという気持ちもありますが、(私はこれまでずっと) 戦って過ごしてきたような気がします。この曲は、最初は静かに、中間は非常に騒々しく、最後は平和なゆるやかな音楽になるところが好きなのです。とくに中間の部分が気に 入っていますが、もともと私の性格として、戦っていくことが好きなのですね。

財部:
最近の日本人は、それがなさ過ぎるのではないかという気がします。ところが、 これが一転して、好きな場所となると「自宅のリビングや食事をするテーブルが1番 落ち着く」と。これは反動が大きいですね(笑)。

牧野:
あまり家に帰らず、外で戦ってばかりいるような気でいますが、私は家族の皆が集まる リビングや食卓が好きです。孫も来ますし、子供や娘婿が来ても、皆がだいたいそこに 集まって、一緒に食べたり飲んだりしています。私は適当にごろごろしています。家の中で皆が1番集まる場所だから好きなのですが、ちょっと変わっていますでしょうか(笑)。

財部:
いいえ、力強いイメージと人間らしさとは、ある意味で通じるものだと思います。 それからやはり宝物は家族で、とくにロンドンにいる2人のお孫さんは可愛い、と(笑)。

牧野:
あまり甘やかすと、娘に怒られるのですがね(笑)。

財部:
尊敬する人物は、やはり創業者の故・岩谷直治名誉会長なのですね。

牧野:
そうですね。よく怒られましたが、われわれも「人前で人を叱るな、叱っても逆効果だ」と教えられました。「叱る時は1人ずつ別室に呼んで、きちんと理由も言って叱らないと 駄目だ」と言われましたね。創業者からは、商売の基本とともに、人としての道を教えていただきました。1番尊敬できる人だと思っています。

財部:
創業者に対して、1番尊敬しているのはどんなところですか。

牧野:
岩谷直治さんは、何にでも興味を示される方でした。かなり遠い場所にも一緒に行って貰ったことがありますが、私が若い頃に1番驚いたのは、お客様を一緒に訪問していただいても、非常に腰が低いことです。直治氏は当時社長でしたが、先方のトップにお目にかかる時の姿勢と、組織の末端の担当の方に対する姿勢がまったく変わらない。 これは凄いと思いましたね。

財部:
そういう方だったのですか。

牧野:
はい。それからもう1つ私が驚いたのは、お客様のところを訪問したあと、「町をぐるっと一周しなさい」と言うのです。普通なら、「忙しいからすぐに帰るぞ」とか「遊んでいては駄目だ」と叱られるところですが、直治氏は「(この町が)どういうところかが分からなければ、お客様のことは分からない」と言うわけです。

財部:
どんな場所に行かれるのですか。

牧野:
訪問したお客様のご近所にお寺や神社があれば、必ず「そこに寄ろう」と仰いました。 その町の有名なところには必ず立ち寄り、私も一緒に連れていってもらいました。 「遊んでいると思われるようなことをしていてよいのですか」と私が申し上げると、 「お客さんのことがわからんでモノが売れるか」と。経営者とはこういうものなのかと 思いました。

財部:
本当に、創業者とはそういうものだと思いますね。

牧野:
何に対しても、非常に興味を示される方でした。

財部:
岩谷さんご自身のフィールドの広さにも、やはり好奇心の強さが背景にあるのでしょうね。

牧野:
「世の中に必要な人間となれ、世の中に必要なものこそ栄える」というのが当社の 企業理念です。創業者は、故郷の島根県立大田農学校でダーウィンの進化論を学んだと、 聞いています。つまり「世の中に必要な者は栄え、必要でない者は衰退していく。だから世の中に必要な人間になれ」。あるいは「(企業は)世の中に必要なモノを作らなければならない」というのです。われわれが若い頃に素晴らしいと思ったのは、反社会的な内容のモノやサービスは絶対に商品にしない、売らないという創業者の考え方でした。

財部:
アンケートに、座右の銘として挙げられている「右受左授」とはどんな言葉なのですか。

牧野:
私の父が恩師にもらった掛け軸が、ずっと家に掛かっていて、それにそう書いてあったのです。父にその言葉の意味を聞きますと、「先生方や諸先輩方から自分が受けた教えや様々な事柄を、次の人たちにきちんと渡していくこと」だと言うのです。父は「自分が受けたものは、更に磨きをかけて全て次の人たちに渡さなければいけない。人間、欲を出しては駄目だ。欲を持てば強欲になる。欲は捨てて、ちょうど良いぐらいの欲になる」と話していました。

財部:
そうなんですか。

牧野:
人間は一過性の生き物で、何もかも自分で持って死ねるわけではありません。 だから(自分が先人から)受けたものを、欲を持たず、すべて皆に渡していけば、 (次の人たち、そしてその次の人たちが)順番に良くなっていくと教えられました。 ですから私も、「右受左授」を実践していかなければ世の中がうまくいかなくなると思い、 これを座右の銘にしているのです。

財部:
最後に「天国で神様にあった時なんて声をかけて欲しいか」という質問ですが、 これが1番、皆さんの個性が出る項目です。「『よく頑張ったね、ゆっくり休みなさい』と言われたら幸せだ」とありますが、ご自身ではずっと戦っているという気持ちがおありだということですね。

牧野:
私はいつも社内で、「人間は戦わずして進化しない。だから何事に対しても戦う姿勢が必要である。戦う気持ちがなくなったら、会社も社員もすべて駄目になる」と話しています。 もちろん無用の戦いをする必要はありませんが、私はやはり戦う気持ちや闘争心がなければ、(人は)向上しないと思うのです。いずれにしても、自分としては(神様に)「よく頑張ったね」と言われたら、ほっとするでしょうね。

財部:
そうですか。

牧野:
私は、経営者であろうが、あるいは歳を取っていようが若手であろうが、何事に対しても興味を持てなくなったり、発想力がなくなったら、辞めたほうがいいと思っています。 「(今の地位に)しがみついていては、皆に迷惑がかかるから、自分のポストを空けて他人に渡すべきだ」とも話しています。これは、自分自身に対しても常日頃から言い聞かせておかなければならないことなのですが。

財部:
いえいえ、発想力は十分に豊かだと感じます。本日はありがとうございました。

(2012年7月17日 東京都港区 岩谷産業株式会社東京本社にて/撮影 内田裕子)