株式会社赤福  代表取締役社長 濱田 典保 氏

財部:
今度の遷宮は2013(平成25)年です。そのタイミングで何か投資を行う予定はありますか。

濱田:
こういうご時勢ですし、今のところは、18年前に「おかげ横丁」に行ったような大型投資は考えていません。中身の充実ということはすでに手がけていますが、むしろ今考えておかなければならないのは「ポスト遷宮」です。遷宮の前後には多くの人が訪れますが、また20年間は底の時期が来るので、次のことを考えていかなければなりません。その1つの取り組みとして、伊勢市内にスポーツ施設を寄付させていただきました。実は、伊勢には最盛期で130万人の修学旅行生が来ていたのです。特に関西で修学旅行といえば、伊勢志摩というのが定番でしたが、最近の統計では修学旅行は年間約5万人に減っています。

財部:
130万人から5万人に減ったというのは凄い話ですね。

濱田:
皆さんが東京ディズニーランドや広島など、いろいろな場所に行くようになったので、修学旅行で伊勢にあまり来なくなったのです。かつては子供たちが(修学旅行で)「初めて友達と一緒に旅行した場所」という思い出が、伊勢志摩にはありました。それが刷り込みになり、のちの集客にもつながってきたと私は考えています。そこで当社では子供たちに、伊勢で思い出を作ってもらうことはできないかと考え、数年前からサッカー場を寄付したり、三重県営「サンアリーナ」という複合施設の指定管理をグループの別会社で受託しました。そのようにして、外から多くの人に来ていただくために、気候が良く食べ物もおいしい伊勢志摩でスポーツをしたり、健康的に汗を流してもらうことを、伊勢神宮への参詣とは違うテーマとして取り組んでいます。これも「ポスト遷宮」対策の1つです。

財部:
サッカー場の寄付に加えてアリーナ施設の運営管理まで引き受け、思い出作りを含めて集客をしていこうというのは、なかなかありそうでない発想だと思います。

濱田:
(お客様に)モノを買ってもらう前提は、まず伊勢に何か関わりを持ってもらい、来ていただくということですから、私は、これは比較的自然な発想だと思います。昨年は高速道路の料金が値下げされたり「パワースポット」ブームが起きたり、伊勢神宮の内宮(ないくう)の入口にある宇治橋が20年振りに建て替えられるなど、さまざまな条件が揃ったこともあり、伊勢神宮には過去最大の882万人の参拝客が訪れました。

財部:
式年遷宮以外の年で、伊勢神宮の参拝者数が記録を更新したのは珍しいことだそうですね。

濱田:
面白いことに、社会不安などを背景にして、庶民が伊勢神宮に集団的に参拝する「おかげ参り」が、だいたい60年に1回起こっているのです。昨年、伊勢神宮の参拝者は882万人を記録しましたが、江戸末期の1830(天保1)年のおかげ参りから数えると、ちょうど180年になります。私たちは気がついていませんが、日本人は何かそういう大きなサイクルの中で動いているのかもしれません。初詣に行くことはもちろん、何か社会的な不安があると神仏にお参りをして、いろいろとお願いをすることは、日本人の文化として定着しています。「パワースポット」ブームだけではなく、何かそういうものが日本人のDNAの中にあるのではないかと思いますね。

財部:
震災は今年の話ですが、ああいう天変地異を含めて、歴史を振り返ってみると人間が必死になって考え、生き抜かなければならない時代がある周期で巡ってくるのでしょうね。

濱田:
そうでしょうね。震災復興にしろ原発の放射性物質にしろ、とにかく今は八方塞がりで、どこが「底」になるのかが、なかなか見えないことが1番の問題です。どこかで状況が反転するタイミングが来れば、おそらく気分も上昇していくのでしょうが、いつまで経っても問題が解決する見込みがありません。その意味で、やはり不安はあるのです。だいたい伊勢参拝が盛んになるのは、そんな時期なのです。

財部:
逆に考えれば、そういうことが日本人の精神的な拠り所になってくるのでしょうね。

不祥事、営業禁止処分を乗り越えて

財部:
もう4年前になりますが、商品の製造日偽装表示などの問題で、御社が食品衛生法に基づく無期限の営業禁止処分を受けたという不祥事がありましたが。

濱田:
本当に世間をお騒がせして――。

財部:
濱田さんは、あの事件を通じて、経営者としてどのように自分自身が変わったとお考えですか。

濱田:
そうですね。当時はとにかく、次々に起こる事象に、その場その場で対応することに明け暮れていました。営業を再開してからもしばらくの間は、必死で対応に臨みました。自分自身がどう変わったかという意味では、ああいう「どん底」の経験をしたので、最近は何が起こっても、多少のことでは動じなくなりました。

財部:
会社そのものが、本当に生きるか死ぬかという状況になると、そういう気持ちに追い込まれるのでしょうね。

濱田:
正直言いますと、あの時はもう半ば駄目だと思っていました。特に食品は信用が大事であるにもかかわらず、不祥事がああいう形で全国的な注目を浴びたので、たとえ営業を再開しても昔通りにはいかないだろうと感じたのです。でも当社には当時500人ぐらいの従業員がおり、その家族を含めれば、大変な数の人の生活が肩にのしかかっていました。そこで、ともかく「なんとか営業を再開しなければ」という思いだけでやりました。自分自身が変わったというより、気持ちの上で本当に開き直ったということだと思います

財部:
それは得難い経験ですね。

濱田:
あまりお勧めできる経験ではありませんが、あの一件を通じて、物の見方も少し変わってきたような気がします。以前は、結構せかせかと焦って判断していたのですが、今では少し引いて冷静に物事を見られるようになりました。心の余裕が出たというのでしょうか。

財部:
私はこういう世界に生きてきて痛感するのですが、日本という非常に均質な社会では、何か物事が起こってそれがニュースで報じられると、世論が一方に大きく振れてしまいます。しかも、それが右に行ったかと思うと、今度は左に思い切り振れてしまう。原発や震災復興の話にしても、企業でさまざまな問題が起こった時も、それらの問題が世に出た瞬間、世論が一方に振れてしまうのです。

濱田:
そうですね。

財部:
ところが、それが事実かどうかを、社会全体として客観的に検証しようという空気が日本にはほとんどありません。そのため、そういう中で何かひとたび問題が起こると、会社がそのまま倒産に追い込まれるようなケースも少なくないのです。ですから私は、自分のフィールドにあるものについてはきちんと取材したうえで、事実が違うのであれば「違う」と意見を言うことを、自分自身のスタンスにしています。ところが、それを徹底してやると、この国では「お前は○○派か」という話になる。違う意見というものを聞いてくれないのですね。

濱田:
(違う意見を)許容しない。つまりマスコミは横並びなのですね。

財部:
そういう中で、今や誰もが、4年前の不祥事をすっかり忘れ、あるいは前以上に「やはり『赤福』はおいしい」と感じているのではないかと思います。先ほど「多少のことでは動じなくなった」とおっしゃいましたが、やはり経営者というものは、最後は1人です。もちろん従業員も助けてくれるし、家族や兄弟もおられるわけですが、濱田さんご自身、最後の最後は自分1人でやっていかなければならないというところに追い込まれたのではないでしょうか。

濱田:
そうですね。当時私は社長になって2年目でした。その意味では経験不足でしたし、当社にとってもまったく前例のない事態でしたから、従業員たちもどう判断していいかわからないという部分がありました。役所から矢継ぎ早にさまざまな指示がある一方で、途中からマスコミ対応の方が多くなり、7割ぐらいを占めるようになりました。その1つひとつに対しての判断を、私自身が下していかなければなりません。しかも、その時その時で適切な判断を下すことができなければ、時機を逸してしまうという事情がありましたから、その意味では自分自身、半ば開き直っていましたね。

財部:
そうですか。

濱田:
これは結果論ですが、そうすることで従業員もついてきてくれたし、(対応が)うまくいったので、どこかで回復基調に乗れたのだと思います。当社の場合は偶然にうまく事が運んだだけだと私は今でも思っていますが、すべてを出し切ったあとは、おかげさまで順調に来ることができました。

財部:
赤福さんは、ホームページの情報発信を非常に充実させましたね。

濱田:
はい。当社は今テレビコマーシャルは作っていないのですが、マスメディアを通じてではなく、自分たちの言葉で責任を持って伝えていくことが非常に大切だと考えています。これからはそういう形で、自分たちで情報を発信していこうと思います。当然、さまざまなリアクションがありますが、自ら情報を発信できる手段ができたという意味では、良い時代になりました。こちらが発信した情報に対して、お客様の声が直接返ってきますから、ホームページというメディアの存在はありがたいと思います。これもかつての不祥事を契機に、そういうことにもきちんと目を向けようと意識して変えてきたことの1つです。

財部:
それについては、出色の考え方だと思いますね。

幼い頃に見た映画で教えられた「無償の行為」の価値

財部:
実は、事前にいただいたアンケートの回答にあった映画の話が、私にとっては非常に印象的でした。「シドニー・ポワチエ」という名前を聞いたのは、もう数十年ぶりです。

濱田:
白黒映画ですよ(笑)。

財部:
ええ。この『野のユリ』という映画は1963年に公開されたものですが、この作品が真っ先に上がってきたのはどうしてですか。

濱田:
小学校の時だと思うのですが、子供の頃にこの映画を見て、強烈な印象を受けたのです。修道女たちが、流れ者の黒人青年と一緒になって、何もないアリゾナの荒野に教会を建てるという話です。黒人青年は最初は嫌がり、何度も逃げ出すのですが、結局は足りない資材を買って戻ってきます。そして教会が完成すると、彼は黙って去っていく。そのストーリーが子供心にとても印象的で、人間にとって大事なものは損得だけではない、無償の行為が大切であることを教えられました。もちろん面白い映画はたくさんありますが、好きな映画は何かと聞かれると、まず頭に浮かぶのが、この『野のユリ』なのです。

財部:
幼い頃に見た映画が、いまだにずっと印象に残っているというのは凄い話ですね。

濱田:
そうですね。その映画には宗教的なテーマもあると思うのですが、当時は子供たちの周囲にも、そういうものを見ることができるような場がありました。ところが、今の子供番組はそれなりのレベルに仕上がっていますが、子供向けにターゲットが絞られています。昔は、大人向けの番組を子供も見ていたので、多感な子供たちにとっては良い時代だったのかもしれません。

財部:
そういう価値観は、経営に関わるようになってからも、時々思い起こされるのですか。

濱田:
そうですね。おそらく自分の「発想の元」の一部になっているので、頭に浮かんでくるのでしょう。好きな本として挙げたジャック・ヒギンズの『鷲は舞い降りた』や『脱出航路』にしても、勝者あるいは利益だけでは語り尽くせない自己犠牲がテーマになっています。私自身、そういう美学のようなものを子供の頃からずっと心に持っており、それが今の自分の発想につながっている部分があります。