アサヒグループホールディングス株式会社  代表取締役社長 泉谷直木 氏 氏

財部:
そうですね。

泉谷:
要するに、「コーポレート・ガバナンスを確保するために執行役員と取締役を分けました。執行と経営の分離です」と言うわけですが、日本の経営陣のほとんどは過去に執行を行った経験しかありません。しかも、過去に執行しか経験したことのない1番の古株たちを取締役にして、若手を執行役員につけたので、(古株たちは、取締役の役割は経営の)監督・監視と言われると「自分の仕事がなくなるではないか、どうしてくれるのだ」と言う。つまりラインの長を外れるのが怖いのです。そういうタイプの人たちは、取締役の機能をなかなか果たせない。縦軸でしか物事を考えられない人も同様です。やはり横軸で横断的な方法論を持っている人でなければ、経営の仕事はできないですね。

財部:
多くの企業では常務取締役や専務取締役、下手をすると副社長までが担当制。結局、社長以外は誰も全体を考えないという組織が圧倒的に多いですよね。

泉谷:
副社長なら副社長の権限でどこまでやれるのかということを、きちんと理解してもらわないといけません。結局は、最後の社長1人なのです。ところがそうなると、今度はその社長がなかなか辞めない。だから、次の人が上がってくる方法を決めておかなければならないのです。

財部:
今、後継者候補として描いておられるメンバーに着々と変化は出てきているのですか。

泉谷:
はい。今は執行役員に加えて部長職の上のほう、つまり次の執行役員候補者たちのクラスです。年齢で言うと、47、8歳から54、5歳。

財部:
それは凄いですね。

オセアニアでの成功体験を活かしアジアに展開

泉谷:
私はじつは「三現主義」経営を一生懸命にやっているのですよ。

財部:
一見、時代錯誤かと思われるかもしれませんが、そうではないのですよね。

泉谷:
皆が、人・モノ・金という経営資源を開発せずに、「うちには人がいない」とか「ヒット商品がない」、「技術がない」、「お金が足りない」と言っています。その意味で、人・モノ・金という経営資源をどう開発していくかは極めて重要で、私は(とくに人材や技術などは)会計上現れない含み益、無形資産だと思うのです。今後はとくに厳しい状況になっていくので、7、80社に増えたグループ企業の中で「海外の業績が下がってきた、どうするのか」という時に、こちらに人がいれば「君、すぐに行ってくれ」と言って出せるわけですね。

財部:
そうですね。

泉谷:
ところが、こちらに人がいないと、(うまくいかないことが)わかっていながら(グループ会社の)社長にまだやらせてしまう。その結果、負債が多くなってしまうわけです。それから、ある商品が売れなくなっても、次の商品を持っていればそれを出せます。あるいは、もっと大きなイノベーションを起こすことができれば、競争者のいない新しい市場である「ブルーオーシャン」を取りに行けます。そうなれば、世の中の市場が凹んでも一応はやれる。「うちにはこの玉がある、この含み資産を見よ」と言えるぐらいのものがあれば、どんな厳しい条件であっても頑張れると思うのです。

財部:
国内ビール市場のピークは1994年ですが、2000年まで『スーパードライ』の販売数量は拡大しアサヒビールは伸びました。まさに、市場環境がどうかということとは関係なしに成長したのです。それこそ「含み益」ですよね。ところで、オセアニアからアジアに出て行くという最近の戦略はどういう流れで出てきたのですか。

泉谷:
当社ではM&Aをいろいろと手がけてきました。国内のM&Aならシナジー効果が出るのですが、たとえばアメリカ、フランス、イギリスで企業を買収したと想定すると、シナジーはほとんど出ないと思います。そこで注目したのがオセアニア。オセアニアは1つの経済圏であり、文化にもそれほど違いがなく、外資を受け入れている点も非常に有効です。具体的な案件もあり、引き続いて取得できる事業会社もありました。同種の会社を5社取得すれば、各社が工場や物流センターを持っている(ので製造、物流を含めたサプライチェーンの再構築が可能になります)。あるいは、各社から間接業務を引き抜いてバックオフィスを作れば業務を統合できるので、確実にシナジー効果が出るのです。

財部:
今後のアジアでの展開をどのように考えていますか。

泉谷:
アジアについては1国での展開ではありません。国によって宗教も違い、慣習も違いますからマルチカントリー、マルチタスクでの展開になります。つまり、シングルタスクだったオセアニアでの成功だけでは足りないということになります。だから、われわれは勉強しなければなりません。(アジア展開は)われわれ自身が能力を上げなければできないことですが、成功すればわれわれの能力が上がった証拠ですから、ぜひ実現させたいですね。今アジアのいくつかの国で、いろいろと交渉を行っていますが、2年以内にオセアニアとほぼ同規模の事業を構築します。

財部:
今のお話を聞いて凄いと思ったのですが、たとえばインドネシアは、場所によってはオーストラリア文化圏とも言ってもいいほど近い距離にあるのです。日本企業には、何の脈絡もなくベトナムだとか中国、台湾だと言って、いきなり進出するところが多いですが、オーストラリアとインドネシアは文化的にもつながっています。そういう点を踏まえて1つの地域に集まるので、結果的に「含み益」も生じてくるわけですね。

泉谷:
じつは、うちにも恥ずかしい話が数多くありまして、15年前から中国事業を手がけてきたのですが、ずっと赤字です。「身の丈」経営を行っている以上、身の丈そのものを大きくしなければいけません。

財部:
泉谷社長はさまざまなインタビュー記事の中で、『スーパードライ』の成功と『ダブルゼロ』の失敗というテーマで、そういうお話をされていますよね。所詮、他人の2番煎じは駄目なのだと。

泉谷:
その気概もしくは当社の企業風土は、財部さんがおっしゃるように、われわれは人真似をしない、その代わりお客様に一番近いところにいる。だから臭いがムンムンして、自分たちにしかできないものが作れると、皆が思える会社でありたいというものです。

財部:
1つ伺いたかったのですが、『スーパードライ』ほど劇的な成功を収めた商品は、なかなかありません。会社のブランドイメージを含めて一切合切が変わってしまうぐらいに成功した商品は、おそらく日本の経済史をひもといても、そうはないと思います。逆に、ここからまた新しいものを作り出していくのも、なかなか大変なことですよね。

泉谷:
おっしゃる通りで、まさに「成功の復讐」という言葉があるごとくです。20年前の成長が20年後の会社を潰す最大の原因だという理論もありますね。確かに『スーパードライ』という商品は成功しました。現象としてはそうです。しかし、われわれは時代の変化とお客様の変化を捉え、自らの主張を押しつけるのではなく、お客様の声に謙虚に耳を傾け、その声を、技術力をもって商品に転換できたから成功したということを原点にしたいのです。たまたま、それが『スーパードライ』だったというわけです。

財部:
今年5月の『カルピス』買収も凄かったですね。

泉谷:
これもご縁があっての話です。ただ私は、私たちの世代がリタイアを始めているこの5年ぐらいの間に市場が変わるとみており、その変わり始めのタイミングをどう捕えるのかを模索しているのです。

財部:
間違いなく変わりますよね。

泉谷:
ええ。ここを来年までにしっかり押さえておけば、再来年以降の増税社会の中でも生き残れます。逆に、ここをしっかり取らないと、私たちは生き残れません。波に飲まれた時に、足腰が弱いと流されてしまうのです。

財部:
『カルピス』の買収はまさに、その足腰を強くするための方策の1つなのですね。

泉谷:
飲料に関して言えば、(小売店舗の)売上が下がってくると、売り場が減ります。売り場が減ると、各カテゴリーのナンバー1かナンバー2ぐらいしか売れません。うちには『三ツ矢サイダー』『ワンダ』『十六茶』および『おいしい水富士山』や『六条麦茶』がありますが、乳酸菌飲料のカテゴリーでは商品を持っていませんでした。(その意味で、カルピスの買収で)そこのトップを取れるのは大きな魅力。ましてやシェアがダントツですから、絶対的に勝ち目があるとみて事業取得を判断したのです。

財部:
売ってくれるという成算は、最初からあったのですか。

泉谷:
ありません。それはやはり、味の素さんがどうされるのかという問題でしたから。

財部:
理屈だけの話ではなく、もともと飲料に強いアサヒさんが、さらに強い商品を集めていくというのは達見だと思います。『三ツ矢サイダー』も『六条麦茶』も凄いですが、『カルピス』になると、インパクトが決定的に違います。

泉谷:
『カルピス』は凄いですね。技術面でも優れていて、プロバイオティクス(腸内で有益な作用をもたらす微生物を含む製品)ですから展開の拡がりがあります。さらに『カルピス』は海外、とくにアジアで先行しています。これは味の素さんの力なのですが、当社もちょうど今アジアに出て行くところですから、タイミングが最適なのです。

財部:
そういう戦略が入っているのですね。

泉谷:
私はいつも戦略を考える時に、3つの事柄を考えています。第1にリソースは何か。つまり、持っている無形資産の中での強みは何かということ。2つ目はイノベーション。将来的に技術面での優位性を確保できる差別点は何か。そして3つ目がシナジーです。当グループ内で、より相乗効果が出せる要素は何か。日常の経営でもM&Aでも、いつもこの3つを考えています。要は「なぜここを買うのか」という投資テーマが明確になっていないと(事業取得効果を)評価できないし、PMI(M&A後の統合計画)のテーマがぼやけてしまうから。規模だけを追っていると、そういうことになってしまうのです。

財部:
何のためのM&Aかをよく考えなければならない、ということですね。

泉谷:
何を投資テーマに載せるのかが明確であれば、早い段階から青写真や事業計画を作り始めることができます。ところが「取得してから考えよう」というのではもう遅く、「死の谷」(キャズム/新製品が初期市場からメインストリーム市場に移行することを阻む「深い溝」)を越えることができなくなるかもしれません。だから早い段階から、そこにブリッジをかけてどう渡り切るかを考えるためにも、最初から案件ありきではなく、投資テーマありきでM&Aを行っていかなければならないのです。

財部:
そういうウォッチングが素晴らしいと思いますね。私は日本で1番グローバルな企業は味の素だと思っているのです。日本企業の多くは先進国には強くても、新興国になるとからっきし駄目で、製造は得意なのですが、販売と代金回収の面でことごとく弱くなってしまいます。ところが味の素の場合、どこに行っても皆がランニングシャツ1枚で、現地駐在員と現地採用の社員が2人1組でマーケット開拓のためにスーパーを回ったり、代金回収を確実にするためのネットワーク作りを行っています。あの光景を見ていると、この会社を超えるグローバル企業はいないと実感するのです。

泉谷:
(味の素さんは)昔から現地に駐在員を出していますね。ご立派ですよ。一方、われわれが急速なグローバル展開を行うと、古い経営者は「泉谷君、スピードを上げるなよ。昔は駐在を10年置いて、次の投資をしたものだ」とおっしゃるのです。私もそう思うのですが、M&Aでその時間を買っているわけですからね。時間を買ってでもスピードを上げなければならない状況にあるのです。