東京ガス株式会社  代表取締役社長  岡本 毅 氏

岡本:
会社とは、ピラミッドのようにすそ野が広がった組織で動くものですから、私が現場に一番近いところに直接コンタクトしたとしても、それはあくまで例外に過ぎず、本筋ではありません。むしろ、私の周囲にいる10人の常務、あるいはその下にいる100人から200人の部長たちが、本当の意味で正しい情報をもって正しい判断を下し、決裁を求めてくるようにすることが大事であり、組織とはそういうものです。ですから私がやっていることは、あくまで自分にとってはある種の助けになっても、そこに重きを置き過ぎたら間違ってしまうと、いつも自戒しています。

財部:
そうですか。

岡本:
じつは、もっと大きな本当の目的は、私のやっていることが一種の触媒や起爆剤になり、周囲の役員・部長たち、あるいはどんな役職の方でもいいのですが、「あなたの現場は、あなたの先にある」という意識を持ってもらうことにあるのです。つまり、職長さんたちには職長さんたちの現場があり、彼らの部下にも、仕事を委託している相手先やお客様との直接の現場がある。皆がそれぞれ現場を持っているのだから、その現場をいかに大切にし、現場の声を聞き、現場の実態に立脚した仕事をしていくのかという意識が浸透していくことを、期待しているわけです。

財部:
その「触媒」が、非常に大きな効果を持ちますよね。

岡本:
そう期待しています。

財部:
話が変わりますが、事前にお答えいただいたアンケート(「経営者の素顔」)に「趣味、今ハマっていること:JリーグFC東京の試合観戦」と書かれていました。「長く応援してきたFC東京がJ2に落ちてなお苦戦している。いても立ってもいられない」というコメントを見ても、FC東京に対する思い入れには、尋常ならざるものがあるようですね(笑)。

岡本:
15年ほど前に、東京ガスのサッカー部がめきめき力をつけまして、Jリーグの下のJFLで相当に良い成績を上げました。その頃、職場の部下がFC東京の選手として活躍していたこともあり、それをきっかけに試合を観始めたのです。

財部:
もともとサッカーはお好きだったのですか。

岡本:
それまで、あまりサッカーは観ていなかったのですが、観戦し始めたら非常に刺激的で、野球とは違う緊張感やリズムに魅せられました。加えて、自分の会社のチームがプロ相手に頑張っている姿を見て嬉しくなり、JFL時代にすっかりのめり込んだのです。その数年後にFC東京がJ2リーグに入り、1年でJ1に昇格するという、歴史的に大きな動きがありました。J2、J1になると、会社からは離れるわけですが、もともと東京ガスが母体になったチームだということで人一倍の思い入れがあり、それからFC東京のホームゲームはほとんど欠かさず観ています。

財部:
誰と観戦に行かれるのですか。

岡本:
幸いなことに、家内がついてきてくれます。15年前、試合を観始めた時に連れて行ったら、結構面白いと言ってくれたので、チケットを2席買っています。最近、私も忙しいのよと言いつつ6割方はついて来てくれます。家内がいない時には、仲間たちと一緒に応援しています。

財部:
じつは、岡本社長からいただいたアンケートのお答えを拝見して、非常に言葉が生きているといいますか、本当に正直な部分をここまで飾らずに書かれるトップの方は、なかなか珍しいと感じました。

岡本:
そうですか。どの辺で、そういう感じを受けられましたか?

財部:
まずは、FC東京に対する強い思い入れですね(笑)。こういう書き方をされるケースはなかなかありません。また、好きな本として挙げられていた辻邦生さんの『嵯峨野名月記』から「好きな音楽:イタリアン・バロック」、「好きな場所:小料理屋のカウンター」という答えまで、本当に言葉に説得力があるような気がします。

岡本:
恐れ入ります。

財部:
じつは「天国で神様にあった時になんて声をかけてほしいですか」という項目はキークエスチョンなのですが、「現世の連中は皆、あんたの事なんか忘れているから安心しなさい」というお答えでしたね。

岡本:
これは「搦手からくるな」と、慎重に考えました(笑)。宮原さんのアンケートも参考になりましたが、私なりに真面目に考えて正直な答えを出しました。

財部:
やはり社長でなかったら、答えは変わっていましたか。

岡本:
いいえ、会社のことはまったく考えませんでした。頭の中にあったのは、家族や親戚、友人です。もちろん会社でも親しい人はいますが、組織のことは全然心配していません。それは誰か、別にきちんとやってくれる人がいますから(笑)。むしろ個人的な知人や友人、親戚等を頭に置いて考えるのが一番良いと思いました。

財部:
ご自分が亡くなったあと、皆さんの支えになることはやっている、というお話ですか。

岡本:
私のことを偲んだり、思い患ったり、悲しんでいたら困ります。さっさと忘れてくれればいいんですよ(笑)。「死んでも俺のことを忘れないでくれ」とは、まったく思いません。極論すれば、たぶん死んだら無になるのでしょうから、どちらでもいいのですが。

財部:
死に対する恐怖は、それほどないのですか。

岡本:
正直言って、それはありますよ。最近、もうすぐだと思うようになってきたので、(死とは)どういうものだろう、と。ではありますが、本当は20歳の頃も(年齢を重ねた今も)同じで、人生は有限だということを、若い人たちに言いたいのです。現実的に考えれば、人生が有限だということは理屈ではわかっていても、若い人になればなるほど、想定上は(人生は)無限だという考え方で生きています。若い時から、人生は有限だという前提で生きなければならないと思うのです。

財部:
その中で、この「学則不固」(学べばすなわち固〈かたくな〉ならず/『論語』学而篇)という座右の銘は、どう考えたらいいのでしょうか。

岡本:
つねに学ばなければ、人間は凝り固まってしまう、あるいは進歩がなくなるということで、私もその通りだと思って戒めています。でも本当は(もっと大切にしている言葉が)別にあるのです。少し長くなってしまうので、ふだん人には言っていないのですが、『論語』に「他人が、自分のことをわかってくれなくても気にかけてはならない。自分が、他人のことをどれだけわかっていないかを気にかけるべきだ」(子いわく、人の己〈おのれ〉を知らざるを患〈うれ〉えず、人を知らざることを患う/子曰、不患人之不己知、患不知人也/『論語』学而篇)というフレーズがあります。これが一番重要で、効くのです。

財部:
どういう場合に効くのですか?

岡本:
たとえば夫婦喧嘩をした時なのですが(笑)、私もだいたい頭にきて、「なんというわがまま勝手な奴だ、絶対に相手が悪い」と思います。その時、一所懸命にそのフレーズを思い出し、「きっと僕がわかっていないことがあるに違いない」と戒めなければ、本当の喧嘩になってしまいます。そういうことは、会社の仕事もしくは会社対会社、社内の仲間や友人、親戚との間でも起こりうる、かなり本質的な話だと思いますね。

財部:
辻邦生さんの『嵯峨野明月記』には、特別な思いがおありですか。

岡本:
辻さんの本は若い頃に何冊か読みまして、『背教者ユリアヌス』や『安土往還記』など、良かったと思うものが多いですね。その中でも『嵯峨野明月記』は別格です。これは変わった小説で、本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵(すみのくらそあん)の3人が、それぞれ1の声、2の声、3の声として独白を繰り返していく仕立てになっています。3人がそれぞれ、「今日こういうことがあった」とか「あいつの言い分はこうだが、自分としてはこう思う」と自分の心の中で語り、言葉を紡いでいる。それが面白いのと、安土桃山期から江戸初期にかけての絢爛豪華な文化の担い手たちはこういう人たちだったのか、と思わず納得させられるような深さがあります。

財部:
そうなんですか。

岡本:
宗達の絵は凄いですよね、「風神雷神図」の元祖ですから。どの作品を見ても、普通の日本人の発想を超えた絵だと思います。また、宗達の絵と自分の書を合わせたいと思った本阿弥光悦は、書家としても有名です。その書の元になっているのが『古今和歌集』で、そういうものを組み合わせて王朝文化を復興させようというスポンサーになったのが、角倉素庵。そういう文化の成り立ちを考えるうえでも、なかなか面白く、興味深い部分が多い本ですね。

財部:
好きな作家として、辻邦生さんを挙げられた経営者の方を、私はほとんど知りません。私も『背教者ユリアヌス』にはずいぶん影響を受けましたが、『嵯峨野明月記』はまだ読んでいませんでした。本当は、作品を読んでからお話を伺いたかったのですが。

岡本:
もちろん、好きな本は他にもたくさんありますが、1冊に絞るならその作品だという意味です。「あなたの人生における1冊はどれか」と言われたら、いまだに『嵯峨野明月記』ですね。

財部:
ご出身が京都だということも関係しているのですか。

岡本:
それはあるかもしれませんね。光悦が芸術村をつくった鷹峯(たかがみね)を何度も訪れましたし、宗達の絵も何度も見に行きました。角倉素庵の父親は、嵐山に流れている大堰(おおい)川の開削を行った角倉了以(すみのくらりょうい)ですが、あの川を遡り、山を越したところにある街が、私の母と家内のふるさとがある亀岡市です。そのような縁もあって、より親しみを感じているのかもしれません。

財部:
そうなんですか。今日はどうもありがとうございました。

(2011年5月25日 東京都港区 東京ガス本社にて/撮影 内田裕子)