東レ株式会社 榊原 定征 氏

財部:
例えば、韓国の事業でさしたる利益がでない、という状況になったとき、会社にフィロソフィーがあっても、経営者個人が長期視点の思想を踏襲していなければ継続するのは簡単ではありませんよね。

榊原:
典型的な例が海外メーカーの社長です。彼らの給与は業績連動ですから、自分の時に数字を上げればボーナスが増えます。ですから、自分の社長時代に実績をいかに上げて、株価を上げるかばかりを考えますね。日本は世界一の社会主義で、社員の給料と社長の給料は欧米大企業ほど格差が大きくなく、大して変わりません。仕事は何百倍も忙しいのですが(笑)。頑張って業績を上げても、ボーナスがちょっと増える程度。悪くなると役員はボーナスゼロです。海外の経営者に「日本の経営者で1億円貰っている人はほとんどいない」というと本当に驚かれます。でもまあ、それは日本の美点といえますね。

財部:
はい。それが行き過ぎると悪平等になりかねませんが(笑)。

榊原:
自分の時代に数字をあげることは大切ですが、経営というのは駅伝ですからね。私は今8年目ですが、しっかり走って次のランナーにタスキを渡すというのが仕事です。自分だけ区間賞を狙って息絶え絶えになってタスキがうまく渡せなくなっても意味がありません。自分だけが死ぬほど走ってもしょうがないわけです。大事なことは、次につなげていくことです。

財部:
こういうのは欧米人にはなかなか理解できない理念ですね。

榊原:
弊社の場合、研究開発費を毎年500億円程度投下しています。500億円というのは相当な金額です。それを仮に私が、「不況だから研究者は半分にして1500人クビにします」といいます。そうするとその瞬間250億円が減って、250億円利益が上がります。これは、私の業績にとってはいい結果ですよ。何もしないで、研究開発費を削っただけで榊原社長は名社長だと言われるかもしれません。でも、次の社長はどうなりますか。研究開発費を減らして、研究はがたがたになっていくわけです。研究というのは、いったん止めたら二度と立ち直りません。私が短期で利益を出そうと思ったら簡単ですが、10年後の東レは壊滅的になります。ですから今、我慢して500億円は維持しています。どんな経費を削っても研究開発費には手を付けない。ただし、節約はしっかりやらせますが。そのようなリレーは次の社長の為であり、その次の社長の為でもあります。

財部:
なるほど。利益を出すことだけやろうと思えば簡単だと。

榊原:
だから、アメリカの企業においては長期的な研究が難しいんです。例を挙げますと、航空会社のマイレージ制度というのはユナイテッド航空が開発し、ユナイテッド航空は一気に黒字になりました。その時の経営者は素晴らしいともてはやされました。ところが、そのうちハワイ便などのドル箱路線がみんなマイレージのお客さんになってしまった。すべてタダのお客さんです。要は、前任の経営者が利益を先取りしてしまったわけです。利益が出なくなった会社を渡されたら後任の社長はたまったものではありません。こういう経営はぜったいにしてはいかんと思いますね。欧米の会社と日本の会社では根本的に違います。特に東レは素材メーカーですから、中長期的な視点というのはすごく大事です。今だけよければいいという姿勢は全くないですね。それはもうDNAと言えるものです。

日本の市場も中国の市場も貪欲に取りに行く

財部:
名古屋にA&Aセンターという新たな開発拠点をつくられました。将来はそこに工場も作りたいとおっしゃられています。国内の生産基盤はなくさないという一方で、中国のマーケットを取りにいくと明確におっしゃられています。

榊原:
A&Aセンターは2年ほど前に、250億円を投じて名古屋につくりました。オートモーティブセンターとエアクラフトセンター。それでA&Aセンターです。名古屋というのはご存じのように、トヨタさん、ホンダさん、スズキさんなどの自動車メーカーがいます。航空機では三菱重工さん、川崎重工さんなども集積しており、自動車と航空機の生産基地です。それらのお客様の工場の広がりの真ん中に私たちの名古屋工場がありますので、ここを技術開発の一大拠点にしていこうと考えました。これからは素材屋と航空機メーカー、あるいは自動車メーカーが最初から一体となって技術開発していく時代です。これまで愛媛や滋賀などに分散していた炭素繊維複合材料の開発部隊を名古屋に集めました。

財部:
いずれはここに工場も作って行きたいということでしたよね。

榊原:
まずは、炭素繊維複合材料の成形加工、樹脂開発などの機能を統合しました。将来は複合材料の部品製造工場を併設して、自動車用や航空機用の材料デザインなども付加していこうと思っています。

財部:
炭素繊維の一般的な説明を読みますと、強度は鉄の10倍、軽さは4分の1ですね。この特性を生かせば、自動車も炭素繊維でできるようになりますね。

榊原:
はい。問題は価格ですね。鉄は1キロ当たりの単価が数十円から100円程度ですが、炭素繊維は下がったと言っても何千円ですから(笑)。

財部:
そんなに違うのですか!

榊原:
はい。強度が10倍ですから、値段も10倍で良いと思っています。でも、やはりまだ高いので、今は超高級車にしか使われていません。F1カーとか、ベンツやポルシェの構造材ですね。これからのターゲットは500万円ぐらいの車です。500万円の車は、今、世界で300万台ほど作っています。そのうちボンネットやトランクルーム、ドアなどに炭素繊維を使ってもらうだけで、すごく重量が減ります。ドライブシャフトは鉄ですと重量が60キロですが、炭素繊維では5キロ。そのように採用部位を広げることで、一台当たり200キロも軽量化できる可能性があります。

財部:
省エネが進みますね。

榊原:
はい。炭素繊維の複合材料10キロが300万台分に採用されると、新たに3万トンの需要が生まれます。これから恐ろしいほど需要が伸びていくと思います。弊社は世界の炭素繊維のトップメーカーなので、われわれが作り出していこうよと。名古屋のA&Aセンターは、そのリード役を担う拠点という位置づけです。これはじっくり時間を掛けてやっていきます。

財部:
最後に、中国は東レにとってどんな位置づけなのでしょうか。

榊原:
たぶん私どもは、日本でもっとも早くから中国へ行った会社だと思います。香港に出たのは1953年。今から57年前です。現地で商社を立ち上げて、それから多様な製造拠点を構築してきました。現時点で、繊維やプラスチック、水処理膜などを中心に35社ほどあります。従業員数は7000人で、累計900億円くらいの投資をしてきした結果、総取扱高で約2000億円まで拡大。3、4年前くらいから安定的に収益を上げています。ようやくスタート地点についた段階だと思っています。

財部:
そんなに早い段階から思い切った投資をしてきたのですね。

榊原:
今までの中国は世界の製造拠点でした。中国でわれわれが部材を供給し、日本メーカーが電機製品や自動車などいろいろなものをつくる。そこから世界に輸出する。そういった姿でした。でも今は、中国は巨大な市場です。世界の中でも最も有望で高成長。中国にはお金持ちがものすごくたくさんいます。われわれの根っこは繊維産業ですから、衣料品でいうと分かりやすいのですが、今、日本の衣料品マーケットは12.5兆円。そのうち95%が輸入品です。中国、バングラディシュ、ベトナムなどからの輸入品が多く、メード・イン・ジャパンは5%しかありません。しかし、金額ベースでみていきますと70%が海外品で、30%が国産です。約4兆円がメード・イン・ジャパンで8兆円が輸入品です。でも4兆円は大きいので、これはしっかりと押さえていこうと思います。
一方、中国の衣料品市場は日本と同じ12兆円。でも1人当たりの繊維の使用量で比較してみると、日本が約20キロに対して、アメリカは約37キロ、中国はまだ14、5キロです。この数字にはカーテンやカーペットなど非衣料品も含まれていますが、生活文化や個人消費のひとつのバロメーターですね。中国全体の衣料品市場だけを見ますと、2020年には40兆円になると試算されます。そのころ日本は人口が減っていますから、10兆円くらいに縮小しているでしょう。中国はこれから中間層が増えていきますから、超高級用品・高級用品の市場でも15兆円になります。コモディティーでは日本は勝負できませんから、日本で作った高級な糸、高級テキスタイル、これを中国へ持っていって縫製する。さらに中国でも開発を加速して中国市場にマッチした新素材を作る。そういうことこそ、これから日本がやる仕事だと思います。それは自動車もそうですし、エレクトロニクスもそう。中国は発展の途に着いたばかりですし、楽しみです。なにしろ人口14億人ですから。

財部:
そうですよね。これだけのマーケットを目の前にして、中国が本当によくなるのかなどの悲観論や、中国ビジネスの難しさを並べて、現実から目をそむけている日本の経営者も多くいるように感じます。

榊原:
問題はいかにそれをうまくオペレーションすやるかということにつきますね。チャンスは転がっているわけではありません。正しくやれば、それだけのチャンスはいっぱいありますよね。

財部:
私も単行本を書き終えまして「中国ゴールドラッシュを狙え」という本を2月に新潮社から出します。世界中が中国を狙っているのだから、一番近い日本が狙わないでどうする、という内容です。

榊原:
これだけ成長しているわけですからね。中国の内需をいかに取り込むかというのは日本の課題ですよね。

財部:
そうですね。今日はありがとうございました。

(2010年1月7日 東京都中央区 東レ株式会社 本社にて/撮影 内田裕子)