JFEホールディングス株式会社 數土 文夫 氏

財部:
私も去年、10年振りぐらいで『三国志』をまた読みまして(笑)。10年位するとですね、自分の立場や年齢が変わっていますから、同じ本でも読み方が変わりますよね。

數土:
変わりますね。

財部:
それで今回、數土社長のお話をお聞きして、中国の古典をもう1度、きちんと体系的に頭に入れようと思いました。そこで質問なのですが、數土社長が、自分がこうありたいという理想像を、歴史上の人物の中から1人挙げるとすれば、それは誰なんでしょう?

數土:
比較するなど畏れ多いことですが、ありたいと思う姿ということであれば、秀吉の参謀だった竹中半兵衛みたいなものでしょうかね。

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財部:
それは、諸葛孔明と言うところを、へり下っているのではないですか?

數土:
諸葛亮孔明は、やはり非常に立派過ぎて――。かなり勉強していたと思いますね。『三国志』の中で一番不思議なのは、諸葛亮が三国鼎立(三国が互いに対立し、均衡を保つこと。「天下三分の計」とも)という提言をしていることです。なぜ、田舎に居た29歳の青年が、1年もかけないとたどり着けないほど交通の便が悪い、蜀の地に行ったのか。先ほど、リーダーの3要素について、スペシャリストであること、将来を展望する能力、そしてそれを実現するための“How to do”と言いましたが、その点については、諸葛亮孔明だけでなく、曹操も相当の実力者だったのだと思います。

財部:
そうですね。

數土:
なにしろ孫子の兵法を、あの時代で一番極めていたのが曹操ですし、三国分権しかないと判断した諸葛亮孔明は、その将来展望に立って“How to do”を自ら考えたのではないかと思います。

単なる「インフォメーション」では勝てない

財部:
なるほど。數土社長は別のインタビューで、「諸葛孔明がなぜそういう判断をすることができたのかと考えると、情報だろう」と推察されていて、そこで情報というものを、「インフォメーション」(ある人や事柄についての事実または詳細)と「インテリジェンス」(知性、理知、知恵。あるいは知的に加工・集約された情報)とに分けて語っておられます。『孫子』にも「爵禄(しゃくろく)百金を愛(おし)んで敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり」(爵位や俸禄、多額の報酬を与えることを惜しみ、敵情を知ろうとしないのは、民へのいつくしみがないことの甚だしいものだ)という文章がありますが、諸葛孔明にお金があったとは思えないのですが――。

數土:
いや、お金はあったのです。諸葛亮孔明は、福建省の黄(ファン)一族の娘と結婚していて、これがとんでもない金持ちだったのです。

財部:
その資力を背景として、彼は膨大な情報を――。

數土:
そう考えるしかないでしょう。結婚後、彼には非常に優秀な子供ができています。もともと諸葛亮孔明は山東省が生家で、彼は蜀(現在の四川省成都付近にあった)まで行っているわけですから、これは恐ろしいことです。これは、かつて毛沢東が行った長征(ちょうせい/1934〜36年、中国共産党が従来の根拠地を放棄して、陝西(せんせい)省の延安(えんあん)まで1万2500キロメートルの行軍を行ったこと)の比ではありません。話がそれましたが、やはり情報には金をかけないと駄目です。そうしてはじめて得られる質の高い情報が、「インフォメーション」ではなく「インテリジェンス」なんですよ。

財部:
その話を経営に置き変えてみると、一般的な企業では、部下や現場から上がってくる情報に、社長は乗りますよね。

數土:
それは「インフォメーション」であって、本当の意味での情報ではありません。ちなみに情報を集めるには、お金やルートが必要なのです。情報に一番お金をかけなければならないと、日本で最初に気付いたのは秀吉ではないでしょうか。蜂須賀小六、黒田官兵衛、竹中半兵衛といった彼の部下も、みな彼にとっては重要な情報源。『孫子』にも情報の重要性が書かれているし、孟嘗君が3千人の食客を養っていたのも、単なる道楽ではなく情報を集めるためなんですよね。それを考えると、いまの日本政府は国家として、本当に情報を集める体制を取っているのか、非常に疑問です。

財部:
冒頭でBRICsの話をちょっと申し上げましたが、「サンデープロジェクト」の取材にあたり、最初に日本国内でBRICsの情報を集めたのですが、これがほとんど役に立たないんです。ゼロとは言わないですが、正確な情報は100のうちに一つあるかないかどうかという状態。仕方がないので、一通りこちらでリサーチした上で、今度は現地のコーディネーターに、調べてもらいたいことをすべて投げ、フィードバックを返してもらいました。そしてさらに、JETROなどの団体や現地企業のネットワークを持っている人たちに確認を取ったのですが、自分が実際に現地に行ってみると、またその内容が違っている――。情報を取るのはこんなに難しいことだったのかと、日々痛感しています。

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數土:
だから僕は、その意味で「インテリジェンス」が非常に重要だと思うのです。やはり質の高い情報を受信するためには、自分で取りにいかなければ駄目だし、個人の人脈をしっかり作らなければなりません。「経営者はグローバルでなければ」ということで、「(情報の)発信力が大事だ」と、やれインターネットだとか社内報だとか言っている人が多いが、受信力がないのに何が発信力だと。本当に大切なのは、情報の受信の方なのです。

財部:
よくわかりますね。

數土:
じつは僕がJFEスチールの社長になったとき、「部長は、社長たる僕が全員決める」と言ったのですが、みなビックリしていました。しかし、よく考えてみれば、部長は将来重役になる幹部予備軍だからこそ、すべて社長が決めるべきだと思うんです。実際、僕は課長以上の社員の性格から知っているし、だいいち、これまで自分が話したことのない課長はいません。2年前に僕がJFEホールディングスに来たとき、課長職以上は108人いて、それが今は50人になったのですが、その中で、僕とお酒を飲んだことがないとか、肩を叩いて話したことがない人は、おそらくいないと思いますよ。

財部:
そうなんですか。だから、ああいうドラスティックな組織再編ができるんですね。それにしても、數土社長がお若い頃には、メジャーの鉄鋼メーカーのトップは殿様のような存在で、下の人間と直接話して情報を得るということが、基本的にはありえないという時代があったわけですよね。

數土:
20年前はそうだったかもしれませんが、いまはそんなことはありません。これは項羽と劉邦との違いにもつながるのですが、劉邦はどちらかというと親分肌で、集まってきた部下たちに寛大で、彼らの話をよく聞きました。これがじつは、2500年前から変わらない人心掌握の原理原則で、ビル・ゲイツもルイス・ガースナーも、そうやってきたわけでしょう。ましてや、いまパソコンやネットワークがこれだけ普及しましたが、ITというのは基本的に中間層をなくすためのツールですから、いままでいた中間層を、もっと知的で、付加価値の高い部分に使っていくもの。その一方で、ITがこれまでの中間層の代わりを務めるぶん、社長はどんどん下と直接話していくべきですよね。

財部:
そうですか。最後にプライベートの過し方などを伺いたいのですが。

數土:
週に2日は夜を空けたいと思っているのですが、実際には、1週間に1日しか時間を作ることができません。夜に何も入っていないときには、軽食を取ってから自宅近くのジムに行きますね。2時間半ぐらいのフルコースなら、ランニングマシーンで5、6キロ、約40分は走るのですが、もう15分も経つと、汗びっしょりになります。それから水中ウォーキングも3、40分やって、仕上げにサウナで汗をかくんです。

財部:
週1回は必ず?

數土:
ええ、必ず。それと土、日曜日は、やはり1日ゴルフをしますね。ゴルフをしない時は、家内を連れ出して散歩に出掛け、余った時間はジムに行きます。それから夜は10時ぐらいから12時まで、たとえお酒を飲んでも本を読んでいますね。経済でも、政治に関することでも、日経新聞の広告に出たものはすぐに買いに行かせて、多いときには年間約70冊、少ない年では50冊ぐらいを読んでいます。本を買ったら、だいたい最初から終わりまで、しっかり読みますよ。

財部:
たとえば「中国の古典ならまずこれを読め」、という1冊を挙げていただくと何でしょう?

數土:
やはり『史記』ではないでしょうか。人間が2500年にわたって積み重ねてきた「粋(すい)」が書かれています。面白いことに、歴史的事実を記しながらも、その中に人間の情感を盛り込んでいるという点で、こんな歴史書はほかにはありません。作者の司馬遷が、物事をどういう視点で考えているのかという部分も、本当に凄いんですが、いまの中国人はですね、『史記』や『論語』は読めないのではないでしょうか。

財部:
それは、難しいからでしょうか。

數土:
われわれが源氏物語を読む以上に難しいのだと思います。それはなぜかと言いますと、昔は紙がないですから、竹簡や木簡に書くために、非常に簡潔な文章にしなければ駄目だったんです。だから名文になっていて、文章に余韻が残っているわけですけれどね。

財部:
無駄を全部削ぎ落としたわけですね。

數土:
ええ。無駄を取ってしまった結果、助詞も何もなくなっていることが少なくないので、現代の中国人がそれを読んでもとても難しいのです。ですから『論語』にしても、現代中国語訳がちゃんと出ていますよ。ある意味、日本人の方が『論語』の意味をよく理解しているかもしれませんね。

財部:
そうなんですか。

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數土:
1つ面白い話がありましてね、僕は一昨年の11月に山東省のある市を訪問したんですが、山東省といえば孔子や孟子といった聖賢たちが生まれた場所です。そこで共産党や市のトップが僕たちを歓迎するために、「中国の古い言葉に『朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや』という言葉があります。數土先生が来られて、われわれはそういう気持ちです。乾杯!」と挨拶をしてくれました。そこで僕は彼らに返礼をするために、通訳にきちんと訳せるかどうかを確認したうえで、「それは『古い言葉』ではなく、いまから2500年前に『論語』を書いた儒教の大家、孔子先生の言葉で、『論語』学而(がくじ)篇の第2行目に書かれていることです」と話しました。

財部:
たまげたでしょうね、先方が(笑)。

數土:
そして「あなたは『朋(とも)あり遠方より来たる、また楽しからずや』、私は『朋あり遠方に来たる、また説(よろこば)しからずや』という気持ちです」と言ったんですよ。

財部:
見事な返礼ですね!

數土:
本来は、それで「乾杯!」となるわけですが、『論語』の始まりから終わりまで、どこを探しても酒という言葉はないんです。だから、「孔子様に秘密で乾杯をさせてくださいね」と言ったら、向こうも驚いてしまってね(笑)。時には、日本人も中国の文化、歴史に親しんでいることを伝えるべきだと思いました。

財部:
帰りに、『史記』と『十八史略』を購入していきます。今日は本当にありがとうございました。

(2007年10月4日 千代田区丸の内 JFEホールディングス株式会社 本社にて/ 撮影 内田裕子))