伊藤忠商事株式会社 丹羽 宇一郎 氏
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丹羽:
とはいえ、農家の方が努力されているにもかかわらず、それが報われていない部分も大きいと思います。たとえば米一俵の値段は明治時代には1円60銭で、それがいま約1万6000円程度。ところが昭和52、3年でもやはり米一俵の値段は1万5、6000円で、20年間ほとんど価格が変わっていないんです。こんな商品は他のどこにもありません。だから農家の方も、「米を作るぐらいならもう辞める」といって農業を放棄してしまうわけですよね。

財部:
丹羽会長は地方分権という話をされていて、地方にもよく行かれていると思いますが、食糧自給の話とからめて、地方における農業の復権について動きはかなりありますか?

丹羽:
それはやはり僕自身、「日本は農業をやってかないかん」と、田舎に行けば行くほど思うんです。どうやって農業の国際競争力を高めるかということが、重要なテーマになっています。ところが、他のビジネスに地域ごとの商益があるのと同様に、農業にも町ごとの町益、集落益というものがあり、新規参入を拒む傾向があるんですよ。

財部:
そうなんですよね。

丹羽:
もっとさまざまな方が来て、農業をやっていただくと、町全体が潤い、国も良くなるのに、それをやると「自分の利益が新規参入者に取られて減っていく」という。法律は、そういうことをさせないようにしているにもかかわらず、実際に農業に携わっている人たちが拒むんです。たしかに、やむを得ない部分もありますが、法の下でルールをもう少しオープンにして、国際競争力をつけるためのさまざまな施策を実行していくことが重要ですね。

財部:
いま私が取材をしている中で、面白い例が京都にあります。まだ地元に10店舗ぐらいと規模は小さいんですが、非常にクオリティの高い某スーパーがありまして、同社の経営者が、たまたま優れた自然農法の技術を持っている農家のオヤジさんとくっついたんです。すると今度は、そこに農地と農業法人、さらにゴミ処理の多彩なノウハウを持っている人が加わって輪ができあがり、同スーパーから出てくる食物残渣を独自に処理する施設を作ったそうなんです。これがですね、いわゆる通常の、お金がかかる大規模処理施設ではなく嫌気性処理で、基本的にはおが屑と食物残渣を混ぜて菌(一般には嫌気性微生物やバクテリア)を入れるだけで、あとは(それらを容器の中に)山にして積み、一定の期間がきたら若干撹拌するだけなんです。で、これを数週間やると立派な堆肥ができるというんですね。

丹羽:
なるほど。

財部:
そして今度は、優れた自然農法の技術を持つ農家のオヤジさんが、そこでできた堆肥と、腐葉土がたくさん入った近所の山の土を混ぜると、もの凄くいい土ができるらしいんです。たとえば休耕田で3年かかって復活するものが、1カ月で生き返るという。こういう取り組みを、地元の関連している人たちの間で行っているそうです。その中で、何が素晴らしいかというと、同スーパーが「自然農法で育てた野菜を、一般の野菜と同じ価格で年間にこれだけ売る」と決め、その分量に応じた作付けをあらかじめ農家に依頼していることなんです。つまり、その年にできあがる作物を先物ですべて買い付けているので、農家が安心して生活を維持しながら、自然農法にかなった良い野菜作りができるというわけです。

丹羽:
ほお。

財部:
その意味で、農産品の流通過程で中途半端に農協がからみ、販売と栽培の分離、つまり販作分離がうまくできずに農業不振になるというのが従来の構図だったわけです。ところが私が今回、同スーパーの取り組みをみて感じたのは、「自然農法とは非効率的なものだ」とか「有機栽培だと値段が高くなる」というのは、むしろ技術の未熟さに問題があるのではないかということでした。やはり本当に高い技術を持っていると、「自然農法だろうが有機農法だろうが、普通の野菜と同じ価格で売れる」、というわけですよ。

丹羽:
それは面白い話ですね。じつは今年、「日本プロ農業総合支援機構」J-PAO)という農業関連のNPO法人が立ち上がり、そこの理事長に就任しました。いま国内の食品や化学品、農業機械のメーカーなど大手・中小企業8、90社をに会員として入っていただき、そこに公認会計士の方々なども加わり、あらゆる面で「プロの農業」をサポートしようというわけです。NPO法人を回すために、ある程度のお金はいただきますが、目的は利益を上げることではなく、あくまで農家の方に対する事業化支援、農畜産物販売支援、人材育成サポートなどのシステム提供です

財部:
「プロの農業」の支援ですか。

丹羽:
ええ。それが日本の農業を強くする、つまり競争力を高めようということなんです。それから私は、農業とは「全科学の結集」だといつも話していましてね。土壌学や昆虫学、気象学といった学術的なインフラストラクチャー、あるいは倉庫の管理や運送方法、加えていろいろな機械も然り。そういうものが農業には結集しているんですよね。

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財部:
そうですね。僕が見学した先の農業従事者の方も、科学技術の発展が自然農法を助けるんだと話していました。面白いことに、地下足袋を履いた農家のオヤジさんが「ナノテクは最高だ」というわけですよ。そこで彼が野菜を栽培しているハウスをみせていただいたんですが、よくあるビニールではなく細かいメッシュで、これだと温度管理ができて風がよく通る。そこで撒く水も、微細な粒子に作り変えているから作物の育ち方が全然違うという。そんなわけで、そのハウスで栽培した野菜はとびきり発育がいいそうなんです。

丹羽:
面白いことをやっていますね。夕張メロンでも栽培してもらいたいですね。

財部:
いや、これがまた本当に偶然なんですが、彼らは「農業の常識をひっくり返すためだ」といって、夕張メロンを福知山で作っているんです。よく農協の人たちが「夕張でしか作れないから夕張メロンだ」というわけですが、「良い土さえ作れば全国どこでも良いものを作ることができる」ことを証明するために、彼らはそんな取り組みをしているんですね。

丹羽:
そうですか、いま夕張メロンはグリーンハウス(温室)で作られていますから、必ずしも夕張である必要はありません。ただそういう利権を守ろうとしているだけですよ。私自身、地方分権の話で夕張市にも行きましたが、そこで農業に従事している方々は、まだまだ危機感が不足していると、つくづく思いました。「(日本の農業が生き残るためには)これをやらなければいけないんだ」ということよりも、水利権然り、国や地域のためという姿勢ではなく、自分たちの利益が中心なんですよね。これがやはり、日本の農業の発展を妨げているのでしょう。とはいえ、それも人間のエゴとしてやむを得ない部分もありますが、皆がここを乗り越えない限り、日本の農業に競争力は生まれませんよ。

財部:
そうですね。

丹羽:
だから、そういう意識改革を促す一つの手段として、日本に「プロの農業」を育てることを、われわれは手がけていこうとしているわけです。

地方の「農業の復権」に貢献する

財部:
今日の取材にあたり、改めて資料を拝見してきましたが、丹羽会長はかつて社長に就任されたとき、「清く・正しく・美しく」とおっしゃられました。私は最初、キョンキョン(小泉今日子)の歌かと思ったんですが(笑)、これは返すがえすも、いまになればなるほど、重みのある言葉だなあと思っていまして。

丹羽:
「クリーン・オネスト・ビューティフル」という言葉は、これから必ず日本にとって必要な言葉になるだろうと、僕は予感していました。そこで、われわれはトランスペアレンシー(transparency、透明性)を高める、あるいはディスクロージャーを行うにあたり、社員に対して、要は社外よりも社内に厳しく監督をしています。私はこの3つ(クリーン・オネスト・ビューティフル)の原則は、国を応援する「清く・正しく・美しく」でなければならないと思うんです。

財部:
それはなぜなんですか?

丹羽:
やはり何が一番大事かと言うと、自分の会社をみていましてね、嘘をつくとか隠すということが、すべて諸悪の根源につながっていくんです。これがあるから、清くも生きられず、卑しい人間になる。つまり、なぜ人が嘘をつくのかといえば、偉くなりたいとかお金がほしいとか、人間としての卑しさがあるからです。もちろんそれは誰もが持っているわけですが、それをあまりにも全面に押し出しすぎるから問題が生じるわけです。いい換えれば、人間は、自分が等身大で生きるのではなく、実力以上に優秀だと周囲に思われたいがために、美しく着飾るとか化粧をするわけです。いわば力のない優等生ほど、嘘をついて悪いことをするものですよ。

財部:
嘘をつくということが、諸悪の根源なんですね。

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丹羽:
そうですね。やはり人間っていうのは、いつも皆から評価されたいんです。だからそのために、無理をしてまで嘘をつく。だから結局、正しく生きられず、卑しい人間になるわけです。ところが、それでもなお嘘をつかなければならないぐらい、人間は悲しい性を持っているんです。いわば「動物の本能」がつねに心の中に身構えていて、いつも出番を待っている。私も財部さんもそうだし、他の人もみんなそうです。その意味で、そこをどうコントロールするかが教育なのであり、賢者と愚者の違いはまさにそこにあるんですよ。

財部:
つまり賢者と愚者の差は、教育によって生まれるということですね。

丹羽:
そうです。愚者はいつも自分のほしいままに動く一方、ワイズマン(賢者)と呼ばれる知恵のある人は、いつも自分をコントロールする術を知っている。そして、その自分自身をコントロールする術を、どうやって得るのかを教えてくれるのが、教育なのです。

財部:
いまの日本の教育は、それとは大きくかけ離れていますね。

丹羽:
モンテーニュの『随想録』に、かつてアレクサンドロス(アレクサンダー大王)に教育を施したアリストテレスの言葉が書かれていますが、そこには「知識の習得はそれほど重要なことではない。人間の知恵の習得、徳目教育、倫理こそ難しい。自分はこれを幾何学・論理学以上に力を込めて教えている」というようなことが記されています。かたや現在の日本では、偏差値教育でいわゆる「学力」が数値化されていて、企業もすべてそうなっている。だから利益を出していない経営者が総じてバカにされる一方で、利益さえ出していれば、どんな人でも「立派な経営者」といわれてちやほやされる。これが「数値化社会」の欠点で、社員にしても、利益を出している人は立派だといわれ、給料もたくさんもらって偉くなり、まるで自分が人間的にも素晴らしい人物になったと錯覚してしまう。そこで奢りが生じ、どんどん卑しい人間になっていくんです。ライブドア問題然り、村上ファンド然り、過去に日本において、いろいろな出来事が起きたのは結局、「動物の血」のなせる業ですよ。言葉は悪いですが、結局、あの人たちは賢者ではなかったということです。もちろん彼らには知識は十分にある。しかしながらそれが、彼らが人間としてどうなのかという部分とは別物なんですよ。

財部:
丹羽会長のその考え方ですが、伊藤忠商事の社員として20代、30代、40代と過ごされていく中で、そういうものを明確に意識する何らかのきっかけがあったのでしょうか。あるいはそういう考え方が、ご自身の行動規範になったのはいつ頃のことですか。

丹羽:
それはやはりですね、僕は非常に小さなことにも驚き、かつ衝撃を受けるタイプですから。たとえば僕は若い頃、会社に入って間もない時期にある嘘をついて、そのことでずいぶん悩んだことがあるんです。

財部:
それはどんなときに、どんなことで悩まれたのですか?

丹羽:
「この仕事はもうやったのか」と上司にいわれたとき、思わず「やりました」といっちゃったんです(笑)。ところが実をいえば、そのとき僕は請求しなければならない案件に、まだ手をつけていなかった。ディスパッチ・デマレージという早出料、滞船料の計算があるんですが、それがもう面倒な計算で。たとえば雨が何時から何時まで降ったということを、港ごとに計算し、船会社に請求しなければならないんです。で、それを面倒くさいからといって放っておいた。いつもそれにかかりっきりでは、飲みに行けなくなっちゃいますからね(笑)。