株式会社ブリヂストン 代表取締役CEO 兼 取締役会長 津谷 正明 氏

料理も炊事も洗濯もできることを誇りに思う

財部:
アンケート拝見していますと、若い頃から将来をどう生きるか、本を読み、考えに考え抜いて、そのまま来られているようですね。

津谷:
そうですね。よく少年とか青年と言われます(笑)。その頃から変わらない部分がすごくあると思います。

財部:
学生時代にそこまで真剣に考えたのは、環境的なものが大きかったのですか。

津谷:
それはあります。ひとつは父のことです。父は銀行員でしたが戦争中は主計として前線ではなく後方で経理担当として、樺太にいてシベリアに抑留されました。非常に強い人というイメージでした。その父が、本当は息子に見せたくなかったんでしょうけど、非常に迷って悩んでいるところをたまたま見てしまったことがありました。それを見て、人に頼る、モノに頼る、組織に頼るというような人生はいけないのだなと思ったのです。ですから本来であれば私は組織人じゃなくて、財部さんのように自分の力で生きているような人になりたかったのです(笑)。

財部:
いやいや(笑)

津谷:
本当です。高校に入ってすぐに父が転勤をしたので、私は一人東京に残って寮生活をすることになったのですが、私が通っていた都立青山高校というところは、学園闘争が華やかな高校だったので、高校2年の時に半年ぐらいバリケード封鎖になり授業がありませんでした。学校には行くのですが授業が無かったので、友達といろいろな話をしました。寮に戻ったら、そこにもいろいろな人達がいて、そこで人生について「自分をどう生きるのだ」と考えたり、「自立」ということをすごく意識しました。

財部:
では、アンケートに書いてある、若い人へのアドバイスもその頃の問題意識からでしょうか。

津谷:
そう思います。よく言うのですが、私は自分で炊事もできます。掃除も出来ます。洗濯もできます。どこにいっても私は自分で生きていけるようにしています。それができることを誇りに思っています。だから若い人たちについてもそうあるべきだと思います。入社式でもよく話すのですが、うちは女性が2割、3割、それから1割弱が外国の方で、そちらはまったく心配していないのです。ところが問題は可愛いボーイズで、君たちは自分で生きていけるのか、お前らがいちばん心配だ、と(笑)。もちろん言い方には気をつけていますけどね。我々の会社だと、ぱっと一人で海外に行かなくてはいけない場面があります。それで料理もできないというのではお話になりません。

財部:
女性のほうが生き抜いていく力が強いですよね。若い男性はちょっとどうでしょうかね。

津谷:
これも入社式で言うのですが、順風満帆な人生なんてないよと。人生は思い通りにはならないわけで、それをどう生きていくかということだと思います。出世した人はもちろん運が良いかもしれませんが、まったく苦労なく人生を過信していたら、どこかで躓いたときには、えらい目に会うと私は思うのです。やはり苦労して失敗してという経験が人間を豊かにしますし、それは人間が生きていく上で必要なことだと私は思っています。

財部:
趣味は読書であると。英語が堪能な方はたくさん見てきましたけど、本当に好きな本は英語の原書で読むという、これもすごいですね。

津谷:
私が仕えていた尊敬する上司はみんなそうだったのです。四代目の社長の服部邦雄、彼がファイアストンの買収に努めたのですが、イギリス、オーストラリアで育った方で最初の言葉が英語で、日本語で喋ると何を言っているかわからないのですが、英語でやると素晴らしいのです。すごく面白くて能弁な方なのですが、彼も小説が好きでした。五代目社長の家入昭は本の虫で、英語、ドイツ語、フランス語、タイ語、で日本語、5カ国語で本を読んでいました。とんでもない本好きで、ファイアストン買収の頃でも、海外にいくとすぐ本屋に行くのです。そこでたくさん本を買うのですが、自分が持つわけじゃなく、秘書が持つのですね。本が山のようになっていて、秘書は偉い目にあっていましたよ(笑)そんな変わっている会社で、最初は嫌でしょうがなかったです。会社に入ってすぐ、新聞がまわってくるのです。ウォールストリートジャーナルとか、みんな読んでいるのです。もうぜんぜんわからないですよね。みんなざっと読み流している。一方、英語の契約書とかはすごく厳密に訳をさせられました。この単語はどこにかかるのか、ということまですごく細かくチェックされました。英語で手紙を書くなんて言ったら、真っ赤になって直されました。学生時代はできないことがあまりなかったので、学校嫌いというのはわからなかったのですが、会社に入ってから良くわかりました。会社へ行くのが嫌でしたからね。本当に厳しかった。ただやっぱり海外を目指すという意識がものすごく強かったので、ちょっと特別だったのかもしれません。商社の人たちによく言われます。あんたたちの服部さんとか家入さんとか変わっていたからねと(笑)。

財部:
そういう意味では、異能の人たちが海外市場を切り開いていったのですね。

津谷:
確かに、変わった人を採ろうという不思議な会社だったと思います。じつは私はそんなに長く勤まらないだろうと思っていたのです。私は自分の主張は変えないので、ものすごく生意気だったと思います。でもその時も仕えていた上司に「若い時は生意気じゃなきゃ話になんないよ」と言われまして、変わっているところを面白がってくれていましたね。そういう文化でした(笑)。

財部:
なるほど。津谷さんも変わっていたと(笑)

津谷:
私は変わっていると思います(笑)。ここにいる人達(広報の方たちを指して)も変わっていると思いますけど(笑)。

財部:
好きな音楽はロック。昔ロックを聴いていたという経営者の方はたくさんいるのですが、今もロックを聞いている方は意外と少ないです。そこもブレずに来ているのですね。

津谷:
昨日、ある会社の社長と話をしていましてね、子供の頃から英語が好きな人っていうのは、自分の生活を変えたい、違うところにいきたい、と思っていたのではないかと。私もそうだった思います。そういう思いでロックを聴いていましたね。長く聴いていると変化していくのが面白いですね。画家で言うと、ピカソもどんどんスタイルが変わっていきましたよね。ああいうのが好きなのです。ローリングストーンズも今年50周年ですが、当然変わってきていて、そういうのを面白がったりしています。

財部:
なるほど。レディガガもお好きだと。

津谷:
彼女が好きなのは男前なところですかね。彼女はニューヨークの人なんですけど、マディソンスクエアガーデンでコンサートするのが夢だった。そのビデオを飛行機の中で見ましたが非常に感動的でした。彼女は東日本大震災のあと、最初に日本に来てくれたトップアーティストでした。白いティーカップに唇のマークを残して支援のオークションに出してくれた。日本にお世話になったからお礼がしたいと言ってくれました。シンディ・ローパーもそうですけど、彼女たちの志の高さというか、人間としての素晴らしさ、それはあると思っています。あとアリシア・キーズの音楽も好きです。

財部:
好きな映画は羅生門とゴッドファーザー。

津谷:
海外で話をする時に、ビジネスの話だけではダメで文化にも関心をもっていないと尊敬されません。映画なんてそれが顕著にあらわれるところで、例えば「クロサワ」の事は外国人で好きな方の方がよく知っていました。それで見てみようと思ったのもあります。

財部:
その中で羅生門ですか。

津谷:
そうですね。何かひとつと言われるとそうなります。白黒の時代のものは大体好きです。昔の作品のほうがエンターテインメント性も強いし、スッキリしています。彼の映画には曖昧さがないので好きです。あまり日本的ではないのかなと思って見ています。ゴッドファーザーは、最初に主人公がニューヨークでギャングを撃ってイタリアのシシリア島に逃げ帰ったとき、最初の奥さんと出会ってカフェに入るのですが、その彼女の親父がカフェの主人だったと。そのカフェは本当にあるらしくて、ゴッドファーザーファンが行きたがる場所らしいのです。話を聞いて私も行ってみたいなと思っています(笑)。

財部:
最後に神様に会った時なんて声をかけて欲しいかという、「無言でウンとうなずいて欲しい」というのはどういう心境ですか。

津谷:
ある意味、その神様というのは、自分だと思うんですけど、自分で自分の人生を一生懸命生きたよね、という「ウン」だと思います。

財部:
お話もアンケートも素晴らしかったです。長時間ありがとうございました。

(2013年10月03日 東京都港区 株式会社ブリヂストン グローバル研修センターにて/撮影 内田裕子)