敷島製パン株式会社 盛田 淳夫 氏

財部:
中国に持って行く食パンは、やはり『超熟』なんですか?

盛田:
ええ、『超熟』も1つの候補ですね。ただし、トースターがまだ中国の一般家庭にはないので、何かトースターを絡めたキャンペーンでもやろうかと考えています。まあ、いろいろと仕掛けを考えながらか、ある部分、気長に取り組んでいくという部分も必要かもしれません。スピード感を持って取り組んでいく部分と、気長な部分とを、両方バランスとりながらやっていかなければならないだろうと、僕は思っているんですけどね。

財部:
なるほど。ひとくちにパンを売るとはいっても、食パンになると、売り方が全然違うんですね。でもやはり『超熟』というのは、盛田さん自身の思い入れが強くあってのことなんですか?

盛田:
私は1998年11月に社長に就任したんですが、たまたまその年の秋に、関西事業部で『超熟』ができましてね。それで「ああ、このパンはどうもお客様の反応が違うなあ」というところから始まったんですが、(『超熟』の発売時期が)たまたま自分の社長就任のタイミングと重なったものですから、そういう意味での思い入れはもちろんあります。それから、これはブランディングの問題にも絡むんですが、わが社の場合、現場の営業担当者などに話を聞くと、こと食パンについては、昔ながらの感覚で「100円の食パン」、「120円の食パン」、「150円の食パン」と、要するに価格帯ばかりが頭にあって、商品のブランド自体をあまり意識していなかったわけです。

財部:
要は、ブランドではなく「価格」でお客さんは買っていたということだったんですね。

盛田:
ええ。いわば、「パスコのあんパン」、「パスコの食パン」という、いわゆるブランドというものに関する価値観、意識が希薄なところがありました。ですから僕は『超熟』が伸びていく際に、「このままでいくと、下手をしたら2、3年で『もうこの商品は飽きたから、また次のパンにスイッチしよう』というような話になりかねない」と思いました。「ブランドを使い捨てされては困る」という危機感を早くから持っていました。そうならないために、私が一番腐心したのが、「いかにブランドというものを育てていくか」という考え方を社内に根付かせるか、ということだったんです。

財部:
その部分を、どのように改革されていかれたんですか?

盛田:
たまたまその頃、食品業界の経営者が集まる会がありまして、そこの勉強会で、ブランドの専門家である学習院大学経済学部の青木幸弘教授のお話を聞く機会がありました。ちょうど「ブランド価値」というものをいかに社員に理解してもらうべきかを考え始めた頃に、青木先生に出会いましてね。そこで『超熟』を1つのブランドとして確固たるものにするためのお手伝いを先生にお願いして、ずっと今日に至っているわけです。

財部:
そうですか。

盛田:
当社では、2003年までは、東京では『Pasco』ブランド、中部以西は『敷島』ブランドで展開してきましたが、それも昔は地域地域の取引先で(流通が)完結していたためです。ところが最近では、当社のパンの7、8割を、全国展開している大手流通の得意先に取扱っていただくようになったこともあり、地域でブランドを分けることにデメリットが生じてきたんです。人も大勢行き来していますから、「なぜ向こうが『Pasco』で、こっちが『敷島』なんだ?」ということになったり、あるいは広告も全部、東西ダブルで作らなければいけませんでしたからね。

財部:
はい、はい。

盛田:
そういった非効率性が出てきたこともあって、これはいつか『Pasco』に統一しなければと思っていたんですが、そのタイミングをいつにするかという問題がありました。その点については、『超熟』がああいった勢いで市場に認知されたので、その勢いを借りて、『Pasco』ブランドにすべて統一しようという戦略を立て、変えてきたというのがこれまでの経緯です。

財部:
その戦略は、見事に成功しましたね。

盛田:
おかげさまで(笑)。

財部:
そういう成功も収めつつ、今度は上海にも行かれる、と。やはり、あらゆる産業でそうなんですが、日本では人口減少という、どうしようもない現実がありますからね。

盛田:
そうですね。

財部:
いま日本では、いろいろな人たちが「内需拡大だ」とか「外需依存はやめだ」なんていう、見当外れなことをいっていますが、中長期的にみれば、日本企業は外需以外に拡大は期待できないと私は考えています。もちろん、国内市場の深堀りは当然あり得るにしても、やはり中長期的にみれば、日本企業は海外市場を捨てるわけにはいかない。おそらく盛田さんの場合も、そうお考えになったのではないでしょうか。

盛田:
そうですね。われわれは、別に日本を捨てる気はさらさらなくて、たとえば東京市場などで従来以上にシェアを広げたり、財部さんがおっしゃるようにマーケットを深掘りしたりする余地はまだあると考えています。しかし、やはり全体的にみて、(日本市場は)中長期的にはシュリンクしていきますから、われわれ企業とすれば、会社を永続的に発展させていくためのエンジン≠、2つや3つは持ちたいところ。それも、あまり日本から離れた場所は現実的ではないので、お隣の中国は、1つの有望なエンジン≠ノなりうるのかな、と思いますね。

財部:
そうですね。

盛田:
実際、10年ぐらい前から、「中国には人がいっぱいいるから儲かるぞ」という話が、いろいろな方面から舞い込んできましたが、僕はずっと断り続けていました。要は、社会環境など、いろいろなことを考えると「まだ出るには早い」と思っていたんです。ところが、ここ2、3年の状況をみていて、「そろそろ動いてもいいのかな」という自分なりの判断ができたので、今回この話に乗ったんです。

財部:
何か、きっかけがあったんですか?

盛田:
きっかけは、基本的にパンは、(中国で)作ろうと思えばいくらでも作れますが、そのパンをどこで売るかという、要するに販路の問題、あるいは流通の問題がありますよね。それから社会基盤の問題、もしくは原材料メーカーなども含めたトータルなインフラも重要で、そういうものが整っていないと非常に難しい。その中で、われわれの製品がホールセールで出て行くとなると、なかなか大変だと思ったんです。でも最近では、上海や沿岸部を中心に、日本の流通、たとえばコンビニもどんどん出ていますし、そういう意味でも販路というものができあがりつつある。加えて、ロジスティクスの部分も徐々に整備されてきている。そのように、インフラがある程度整ってきましたから、「いまだったらいいのではないか」という感じがしたわけです。

財部:
非常にいいタイミングですよね。最近、「中国は駄目だ」という人がたくさん出てきましたが、僕はとくに問題ないと思います。確かにいま輸出産業が、短期的にダメージを被っているのは当たり前の話ですが、やはり中国の内需の力は凄いですよ、昭和の日本でいえば30年代、40年代のレベルですから。中国は、財政状態はいいし、外貨準備高も世界一でお金を持っていて、世界の覇権国に名乗りを上げるために、3年間で60兆円規模の公共事業をやるといっている。中国にはそれができる力もあるし、実際に内需拡大をやれば、乗数効果が出る国なわけですよ。橋も足りないし道路もないし、ダムもないですからね。そういうことをやった分だけ経済効率が上がる国ですから、何の問題もないと僕は思いますね。

盛田:
さっき「(中国進出を)ずっと断り続けていた」とお話したんですが、じつをいうと、現在とはまったく違う形態で、10年ほど前に、上海に小さな店を出したことがあります。日本の某大手流通さんから、「上海に新しい店を作るので、そこにインストア・ベーカリーを出してくれ」といわれましてね。ウチは20年ぐらい前からずっと、香港で店をやっているものですから、「まあ1店ぐらいはいいか」と思ったんですが、結局2、3年で見切りをつけたんです。

財部:
そうなんですか。

盛田:
当時は「独資がいい」といわれて、われわれも単独で上海に行ったわけなんですが、実際問題、言葉も不自由、生活習慣にも不慣れな日本人がアパート一つを借りるにも、家賃が高いのか安いのか、条件が有利なのか不利なのか良く分からないのに、同じ物件でも台湾人ならすぐに見きわめができるわけですよね。そういう現実を目の当たりにしている中で、「これは中国の事情を熟知し、しかも日本人とマインドの通じるパートナーと組んでいかないと、この国ではなかなか難しい」と実感しました。(先の、上海のインストア・ベーカリーの一件では、中国ではとくに)人のマネージが難しい、ということを勉強しましたし。そういうわけで、その後、いろいろな形で中国進出の話があったんですが、いろいろな条件を考慮して、全部お断りしていたんです。ところが、今回のパートナーは、たまたま台湾の企業で、もの凄い親日家なんですよ。

財部:
ほお。

盛田:
4人兄弟で同グループを経営していらっしゃるんですが、彼らの子供たちは、早稲田大学などに留学していて、日本語ができて、もの凄い親日家です。もちろん皆さんは、中国での商売についても熟知されていて、そういう意味で、彼らはパートナーとしては非常に素晴らしいと思いました。

財部:
そうですよね。実際、僕もサンプロで「日本&台湾で中国進出」という特集を組んだことがあります。やはり、いきなりジャングルの中に出稼ぎに行こうとしても、それは到底無理な話で、中国は共産主義だといっても、あれほどに市場原理の厳しい国はなく、やりたい放題、やった者勝ち、みたいな状態ですよ。その意味で、あんなに無秩序な社会に分け入っていくには、やはり中国というものを熟知している台湾の人たちと組むのが一番です。それから、そのサンプロの取材で、非常に面白い話を聞いたんです。僕は取材の中で「なぜ台湾の人は、とにかく日本の企業と組みたがるのか?」と質問しました。そうしたらですね、これはご存知かどうかわかりませんが、いま明らかに中国は台湾を取り込みに行っています。そういう中で、台湾人たちはやはり「大陸はいつ裏切るかわからないという恐怖感と共にいる」、というんですね。

盛田:
はい。

財部:
いま中国に投資している最大の外国は台湾であるわけですが、台湾企業はいつ何時、「君たちは中国の国内企業です」といわれて、従来の条件をすべて剥奪されかねないと思っている。その点、台湾でも中国でもない、その他の外国企業と合弁しておけば、いきなり「君たちは台湾だから、中国の国内企業です」という、不埒な政策転換に巻き込まれずに済む。その際、台湾企業にとって一番良い合弁先が、技術のある日本で、「われわれ台湾企業は、中国での販売と代金の回収ができる」というわけです。

盛田:
そうですね。

財部:
そういうわけで、台湾企業は日本企業と組みたいと思っている。ところがその一方で、日本企業が中国で失敗を数多く重ねている理由は、販路開拓なり代金回収のノウハウがないがゆえ。だから台湾企業は日本企業にとって最大のパートナーである、という話を聞いて、僕はその特集を組んだんですよ。

盛田:
(日本企業と台湾企業は)明確に役割分担ができるんですよね。僕も、まったくその通りだと思います。だいたい僕らでは、中国人相手にお金の回収なんて、とても無理です(笑)。現地で人のマネージもできませんしね。僕らにできることといえば、製品開発や技術開発、品質管理で、そういうことはいくらでもやりますけれども、そこから先の話は、いくら背伸びしてもできないと、割り切って考えています。

財部:
そうですよね。資本の流れに関しても、盛田さんのところはなかなか手堅いなあと思っていましたが、そこに伊藤忠さんも入ってくるとなれば、こんなに安全なことはないですよね。今日はありがとうございました。

(2009年1月21日 愛知県名古屋市 敷島製パン本社にて/撮影 内田裕子)