株式会社資生堂 代表取締役執行役員社長 魚谷 雅彦 氏
趣味・今、はまっていること:世界中の社員に会うこと
…もっと読む
経営者の素顔へ
photo

マーケティング力の強化は、研究開発から営業まで含めて一気通貫でなければならない

株式会社資生堂
代表取締役執行役員社長 魚谷 雅彦 氏

財部:
まずは、ご紹介者の橘・フクシマ・咲江社長とのご関係をお聞きしたいのですが。

魚谷:
本日は宜しくお願い致します。咲江さんには大変お世話になっています。今だから明かします。日本コカ・コーラと私を引き合わせて下さったのは彼女なのです。私は最初「マーケティングの素晴らしい会社で興味はありますが、お断りします」と答えました。あれほど大きく、すでにできあがっている会社に行って何かできると思えませんでしたので。ところが、当時の日本法人の社長がイギリス人で「コカ・コーラの役員ポジションを断ってきた人はこれまで誰もいない。そいつに会いたい」ということで、咲江さんと彼と一緒に食事をすることになりました。「ノーオブリゲーションですよ」と言って会ったのですが、この方がなかなか豪快で魅力的で、また会おうということになりました。何度かお目にかかり、「ところで日本コカ・コーラに来ないか」と言われたのです。「最初は断ったけど、どうかな」と咲江さんに相談すると、「あなたの人生のチャレンジです。ここでやらなかったら後悔しますよ、魚谷さんやるべきです」と言われました。背中をポンと押すのがうまい方ですね。

財部:
そんな雰囲気でおっしゃるのですか。

魚谷:
背中を押していただいたことで日本コカ・コーラへの入社を決心しました。私は本当に感謝しています。あの時、もし私が結論を出せずに「やはりお断りします」と言っていたら、今日の自分はないと思います。

「新マーケティング宣言」が目指すもの

財部:
私から見ると、魚谷さんと言えば日本コカ・コーラの社長というイメージが強いです。その魚谷さんが突然、資生堂の社長に就任されたことには大変驚きました。魚谷さんは日本コカ・コーラを退職されたあとに、ご自分でブランドヴィジョンというマーケティング会社を設立されました。そこでお仕事として資生堂に関わられたのが2013年4月です。その1年後には資生堂の社長になっているわけですが、最初に資生堂に関わった時から、社長にという話はあったのですか?

魚谷:
まったくありません。

財部:
ではどういう経緯で社長になられたのですか?

魚谷:
コカ・コーラは、グローバルなブランド作りを行うマーケティングカンパニーですが、ここで仕事をすることで感じたのは、日本企業の多くは技術的には素晴らしいものを持っているにもかかわらず、グローバルに展開した時にマーケティング力が十分では無く、その潜在力を十分発揮できないことがあるということでした。そこで、日本コカ・コーラを退社した後、これまでのマーケティングの経験を生かして、日本企業のために貢献できないかと考えました。私と同じような志を持つ仲間と作った会社が、先ほど財部さんがおっしゃったブランドヴィジョンという会社です。私たちの志に共感していただけた経営者の方々と一緒に、企業のマーケティング強化に向けたお手伝いをさせていただきました。資生堂には、前田新造・前会長兼社長から「マーケティング改革をやりたいので手伝ってくれないか」と言われ、大いに意義を感じて、昨年から関わることになったのです。

財部:
資生堂の社長にという話はいつ頃、どういう経緯で出てきたのですか?

魚谷:
資生堂のマーケティング力を強化するには、商品開発や広告だけではなく、研究開発から営業まで含めて全部を改革しなければならないと私は考えました。販売第一線での若い人たちとの対話などを通じて、資生堂のマーケティング強化の為に取り組まなければならない、いくつかの課題が見つかりました。資生堂で仕事を始めて半年以上経った2013年の11月の初め頃、そういう話をぜひ一度聞きたいと言われ、役員の方々に向けてプレゼンする機会をいただきました。その後、11月下旬に前田さんから「実は後継者選びも考えているのだが、あなたもその中の1人として考えたい」というお話があり、私自身、非常に驚いたというのが正直なところです。

財部:
取締役や執行役員候補を選抜する「役員指名諮問委員会」が資生堂にはあるのですよね。「では魚谷さんを社長に」という結論が出されたのはいつ頃だったのでしょうか?

魚谷:
12月中旬頃でした。

財部:
その時の覚悟というか、魚谷さんの気持ちはどんなものでしたか?

魚谷:
正直に申し上げ、とても驚きました。伝統ある企業の資生堂が外部から社長を招聘するということは想像もしていませんでした。当時、これはよほど覚悟を決めなければならないと感じ、回答するまで少々時間をいただきました。

財部:
そこで悩まれたこと、考えられたことは何だったのですか?

魚谷:
先ほどお話したように、多くの日本企業の経営者の方々に、マーケティング力で世界に出ていくグローバル化のお手伝いをするための会社を設立していました。同じ気持ちを持ってくれた人たちが、当時の会社におりましたので、離れてしまって良いのだろうかと悩みました。

財部:
魚谷さんが起業した時に、ついてきてくれた人たちがいるわけですよね。

魚谷:
最初は悩んでいたのですが、彼らに正直に話そうと思い、何人かの幹部に打ち明けた所、「私たちは魚谷さんについてきました」と言われました。そこで私は「やはり難しいかもしれません」と資生堂の委員会に相談したのですが、「魚谷さん、資生堂のために仕事をするのは、日本の国のために頑張ることです」という殺し文句があり、もう1回彼らと話をしました。すると、なんと彼らは自分たちで話し合っていて、「自分たちが目指している志は、日本企業を世界で勝てるマーケティングカンパニーにすること。外側からやるのか、内側からやるのかの違いです。魚谷さん、あなたは行くべきだ」と言ってくれました。

財部:
素晴らしい仲間ですね。

魚谷:
ええ。「不安はあるけれど、あとは私たちが志を引き継いで頑張ります。これは大きな機会なのだから、あなたは行くべきです」と彼らは言ってくれました。涙が出る程でしたが、彼らは背中を押してくれたのです。少し個人的なことを言うと、自分では、大企業の経営者として仕事をするのは、日本コカ・コーラの時にもう終止符を打ったと考えておりました。そこからまたプレッシャーの大変強い、いわゆるコーポレートのエグゼクティブの生活に戻るということに対する覚悟が必要だったのです。また、期待されているような結果をちゃんと出して会社を変革して成長させられるかどうかということも考えました。

財部:
大企業のトップの生活にまた戻るのか、ということですね。日本コカ・コーラを1回卒業した時、やはりホッとするところはあったのですか?

魚谷:
それは大いにありました。

財部:
ところが、社長になるとプライベートも大きく変わるわけです。ご家族は何とおっしゃっていたのですか。

魚谷:
うちの家内はかなり複雑だったと思います。私の日本コカ・コーラ時代の本当に大変だった頃を知っていますから。

財部:
魚谷社長のご経歴を振り返ると、ライオンに新卒で入られて、シティバンク、クラフト・ジャパン、日本コカ・コーラに移られ、そのあと先ほどのブランドヴィジョンを起業されて、資生堂の社長に就任されました。これをずっと見てくると、魚谷さんは外資系というイメージが非常に強いのです。ある意味で最もアメリカらしい会社の1つであるコカ・コーラで実績を残されてきた魚谷さんが、資生堂という伝統的な会社に入られた時、(資生堂が)どう見えたのでしょうか?

魚谷:
モノづくりの企業として技術や品質面で非常に強いものを持っています。また、意識の高い優秀な社員が沢山いるとも感じました。例えば外資企業では人の出入りが多く、中途採用によって優秀な人が入社することもあります。ところが逆に、日本企業は新卒で入った人が主体になって、会社の中で社風を作り、ローテーションでいろいろな経験をしながら育っていくことが多いですから、非常に意識が高く、会社に貢献したいと考えている社員が数多くいる。これはある意味で、多くの日本企業の伝統的な強みだと思うのです。

財部:
はい。

魚谷:
しかし、そういう企業がグローバル化をしていく時、これまで日本で成功したモデルやカルチャー、人材だけでは十分ではなくなり、今度は多様性が重要になってきます。人種や国民性、文化、言語も違う国をマーケットとして仕事をするわけですから、多様な人材が必要になってくる。ただ、私の経歴で言いますと日本コカ・コーラも100%アメリカの法人企業ですが、ビジネスのモデルは全国にある日本のパートナー企業と一緒にやっていくというものでしたから、日本企業がもともと持っている良さと、グローバルな多様性を受け入れる姿勢が一緒になった「ハイブリッド」型が最も強い力を発揮するのではないかと考えていました。日本企業にとって、これが特に大事なことだと思っていましたので、資生堂を見た時には、今申し上げたように良いものがたくさんある一方、そこにグローバル化の必要条件である多様性や変革を推進する力などが加われば、もっと成長できるのではないかと感じました。

財部:
なるほど。次に市場について伺います。私は前田さんの社長就任直後からかなり取材をさせていただきました。資生堂という、伝統的で非常にブランドイメージの高い会社が苦しみ始め、さまざまな構造改革に取り組む姿を、私も第三者として見てきました。どの業種でもそうですが、デフレという大きな流れの中で、とにかく安ければ良いという感覚が、日本人の審美眼を曇らせ、本当に価値があるものにきちんと対価を払うという感覚すら崩れてきたのです。こうした中で、資生堂という会社は最もダメージをこうむったのではないかという認識を、私は持っています。気が付いたら異業種も化粧品市場に参入し始めました。その意味で、資生堂が置かれている競争環境は傍らで見ていても厳しいと思うところがあるのですが、これについてはどうお考えですか。

魚谷:
財部さんがおっしゃるように、私も資生堂という会社は単なる化粧品会社ではないという印象を強く持っています。140年以上にわたり、さまざまなライフスタイルや文化を日本の消費者に提案してきたことで、日本の生活文化の形成に大きく貢献してきた会社です。単に化粧品会社としてビジネスの視点だけで考えると、デフレの時に廉価な商品を販売するというやり方もあるかもしれません。ところが資生堂は、持っている文化性やクリエイティビティがお客様に認められ、製品プラスアルファの価値を提供してきた会社です。確かに、日本経済がデフレの影響を受けた「失われた20年」の中で、厳しい状況が続いたというのは、おっしゃる通りだと思います。ただ、経済のあり方が変化してきて、チャネルや商品構成も変化してきました。資生堂もお客様の価値観や購買行動の変化への対応をスピードアップさせなければならない状況にあると思います。特に、グローバル化と情報化について、日本の消費者意識はある意味で最先端を行っています。そういう人々が求めているものや潜在的に感じていることを、もっと素早くキャッチし、今まで蓄積してきた技術やノウハウを駆使して対応し、新しい市場を作っていくという「次の一手」に力を入れていく必要もあるのだと思います。