松竹株式会社 代表取締役社長 迫本 淳一 氏

財部:
私も芝居は嫌いではない方ですが、やはり私にとって1番インパクトが大きかったのは、「ナインイレブン」(2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件)の直後にニューヨークを訪れた時に観た、『マンマ・ミーア』というミュージカルですね。

迫本:
そうですか。

財部:
私は訪米するたびに、夜はなるべく時間を割いて芝居などに行くことにしていますが、たまたま9.11で中止されていた興行が再開されたばかりの『マンマ・ミーア』を観たのです。『マンマ・ミーア』自体は、私の年代の人ならよく知っている歌ですが、9.11のショックでアメリカ全体が落ち込んでいるその時、それは全く特別な歌になり、アメリカ人たちは全員泣きながらスタンディングオベーションをしていました。それは「もう1回立ち上がろう」という彼らの意志表明のようでもあり、本当に感動的なものでした。人間の声の持つ力というか、芸術もしくは興行とは、これほどまでに凄いものかと痛感しましたね。

迫本:
本当ですね。

財部:
今回「経営者の輪」のコーナーで、松竹さんに3.11の東日本大震災直後に取材をお願いせざるを得ないタイミングできまして、まだ数カ月しか経っていません。迫本社長の震災当時を振り返るインタビューを拝見しても、3月は本当に大変だったということでした。あの頃は日常生活に必要なものすら届かず、売れない、作れないという状況で、かつての9.11と全く同様でした。本当に生死に関わるものは別として「不要不急なものはやめよう、芸術鑑賞は後回しにしよう」という雰囲気になりましたよね。当時、迫本社長ご自身は、それをどう受け止めていたのでしょうか。

迫本:
それは、社内でもかなり議論を重ねた点で、まず2つのことが懸案になりました。その1つは節電で、われわれは行政から使用電力量を15パーセント削減するよう指導を受ける前に、節電についてはきちんと対応しようと決めていました。本社では51パーセントの節電に取り組む一方で、お客様に直接関わる劇場でも25パーセントの削減を目指しています。

財部:
グループ会社の松竹マルチプレックスシアターズさんが運営しているシネマコンプレックス「MOVIX」では、クラウド型の空調管理システムを導入し、使用電力量および電力コストの削減に取り組んでいるそうですね。

迫本:
はい。ほかにも劇場でも照明を電力消費量の低いLEDに取り替えたほか、減熱フィルムを利用して室内の温度上昇を抑えるなどの取り組みを行ってきました。そしてもう1つ、「国や国民がこれほど大変な目に遭っている時に、興行をやっている場合か」という意見があったのも事実で、当時の自粛ムードの中で、それにどう対処するかが問題でした。もちろん、生活のうえで一番大切なのは衣食住ですが、皆さんに気持ちをリフレッシュしていただいて今後に臨んでもらうことも非常に重要ではないか、とわれわれは考えたのです。

財部:
大切なことですね。

迫本:
私はいつも話すのですが、芝居や演劇、映画を問わず、松竹が伝統的に手がけてきたことが3つあります。1つは、良いところも悪いところも含めて人間をきちんと描くこと。もう1つは、悪い部分も描きながらも、トータルとして人間を善意に見ること。3つ目が、すべての人に感動を届けることを意識しつつも、どちらかと言えば、弱い立場にいる人や苦しい状況に置かれている人たちへの応援歌になるものを提供すること。それが、松竹のエッセンスではないかと思っています。

財部:
松竹さんが手がけるエンターテイメントは、苦しい状況に置かれている人たちへの応援歌なのですね。

迫本:
そういうことを考えると、3.11以降、日本の国民全体が苦しい状況に置かれている中で、少しでも皆様を応援できるようなエンターテイメントを提供することが、われわれの会社としてのあるべき姿だと考えています。実際にお客様からの「こんな状況のときに興行をして・・・」という声はほんの一部で、むしろ「テレビを観ても同じような辛い番組が多いので、ぜひ歌舞伎はやめないでほしい」とか「芝居に行っていい気分転換になった。日常を忘れて元気が出た」という声が非常に多かったので、やはり興行を行ってよかったと思います。

財部:
こういう時だからこそ、芝居が人々に元気を与えるわけですね。松竹さんが行った被災者支援の内容を見ても、主な歌舞伎俳優が150人も出演する「歌舞伎チャリティ公演」のほか、「寅さん基金プロジェクト」による被災地での無料映画上映会および映画DVDの寄贈など、興味深い取り組みが数多くあります。

迫本:
はい。ただ一方で、被災されて本当に苦しんでいる人もいらっしゃいますので、そういう方々には、われわれの方で移動手段も用意しています。たとえば5月から、東京近郊に非難されている被災者の皆さんを新橋演舞場の「大歌舞伎」公演に招待していますが、避難所と劇場のあいだのバス送迎から幕の内弁当、歌舞伎解説のイヤホンガイドまでを無料で提供しています。企業として本当に社会に貢献できることはきちんと行う一方で、本業の部分もきちんとやっていくというのが、われわれの考えです。

財部:
震災が起こった3月から7月まで、業績はどう推移してきましたか。

迫本:
正直言って、非常にインパクトがありました。7月15日に発表した2012年2月期の第一四半期決算(3〜5月、連結)では、売上高が前年同期比27.3パーセント減。震災の影響で一部の映画が公開延期に追い込まれ、被災地のシネマコンプレックス数箇所が営業休止をやむなくされたほか、歌舞伎公演でも、ちょうど掘り起こしを行っていた北関東や東北地方からの団体客が大幅に減少したことが主な理由です。被災地以外でも自粛ムードが災いし、団体客のキャンセルが非常に多かったものですから、大きな影響を受けました。

財部:
業績に変化の兆しは出てきていますか。

迫本:
劇場に来られるお客様の様子を見ていると、6月頃から徐々に戻ってきているようです。2012年2月期の通期売上高(連結)は、前期比10.4パーセント減の809億円と予想しています。

財部:
鉱工業指数などのデータを見ても、ほとんどが6月で底を打っており、かなり景気が戻ってきたような気がします。なかなか表現が難しいのですが、過去20年間を振り返ると、日本で1番景気が良かったのは1995年と96年なのです。

迫本:
そうなんですか。

財部:
阪神淡路大震災が起きたのが95年1月で、同年にはサリン事件もありました。為替相場が史上初めて1ドル=79円台に突入し、80円台を切ったのも95年。その意味で、95年は日本にとってかつてないほどの激動の年でしたが、復興需要が出てきたお陰で、95年後半から翌年にかけて景気が上昇したのです。ところが当時の橋本政権が、「これで景気は完全に回復するだろう」と勘違いして、97年に消費税率や医療費負担を引き上げたため、そこで経済がパンクし、完全にデフレに陥ってしまったわけです。

迫本:
なるほど。

財部:
その意味で言うと、私は今年の後半から来年にかけて、景気が上向くのではないかと考えています。実際、ここ数日の株の値動きもそうですが「何を根拠に上昇しているのか」と言いたくなるほど株価が高くなっている。というのも、データを見ると、上場企業の来年3月期の決算予想は24パーセントの増益なのです。たった1カ月間とはいえ、この3月の業績がかなりの規模で悪化したので、多くの企業で今年3月決算の数字が大きく落ち込みました。ところが4月、5月は悪いながらも、それ以降は業績が良くなりそうなので、マクロ経済的には上場会社の利益予想は24パーセント増と言うわけです。この数字が発表されてから、株価が結構上がってきました。その意味で、今後市場を取り巻く空気はかなり良くなっていくのではないかという気がします。

迫本:
そうだといいですね。

財部:
また、そうでなければ復興はできません。皆が暗い気持ちで、「東北に遊びに行っては悪いだろう」とか「服を買うにも気分が乗らない」ということを言っていたら、通常ベースの消費もできなくなります。とはいえ、そういう雰囲気もようやく底を打ったという印象がありますね。