株式会社穴吹工務店 穴吹 英隆 氏

財部:
そうなんですか。

穴吹:
ちょっと話は変わりますが、だいたい私は、北に行ったらかなり苦労するんです。敗北って「北に負ける」と書きますよね、実際の意味は「負けて逃げる」という意味なんですが、なぜか私は「北に行ったら、負けるんじゃないか」と思ってしまって(笑)。ただ私自身、負けて赤字だからやめるというのは嫌いなんですよね。当社が必要とされる時がくるまで我慢、辛抱しようというのが本当の戦いです。言い換えれば、当社が求められるから、そこにいるのであって、儲かるからそこにいるのではない。もちろん、エリアを減らせば、もっと効率はよくなりはしますが。

財部:
でもエリアを広げられたんですね。

穴吹:
やはりお客様がいらっしゃるからですね。当社は、こういうものを作って行かなければならない、という思いがあるのです。だから当社では物件ではなく、「作品」と言っているわけです。作品というのは、心が入っていて、皆が手作りで仕上げていくもの。そういうわけで、当社の場合は、商品企画部ではなくて「作品企画部」なんです。

財部:
ほお。作品企画部というのは、いいですね。

穴吹:
(作品作りに)心を入れる。陶芸家さんが土に心を入れることで、作品としての大きな価値を生み出すのと一緒ですから、そこにもう、作り手の気持ちがあるわけです。(われわれの作品である「住まい」は)お客さまに住んで頂いて、人を育てる「命の器」ですからね。

財部:
僕はですね、じつは建築関係の業種で、そういう経営哲学を聞いたのは初めてなんです。日本の建築・建設業界って、広く見たときに、皆が苦しんでいますよね。日本のマクロ経済の状況然り、加えて官製不況の典型とも言えると思うのですが、建築基準法の見直しの失敗などがあって、さまざまな変化の中で、誰もが苦しい。しかし、日本の製造業は、たとえ円が高くなっても努力を続けて、なにがしかの形で結果が出るようにしていくじゃないですか。ところが建築・建設業界では、皆が調子や羽振りのいいことばかりを言っていながら、状況が悪くなると、「あれが悪い、これが悪い」という文句ばかりですよね。

穴吹:
やはり波がありますからね。そこで僕は、いまのように「底」になってしまったような時には、使命ではなくて「立命」が大切だと、社員の皆に言っているんです。

財部:
命を立てる、ということですか?

穴吹:
ええ。ある意味、社員の皆さんが会社に入ったのは宿命であり、彼らは運命に揉まれてきているといえます。「使命」に燃えていないのかと言えば、けっしてそうではないですが、「使命」っていうのはもともと誰かに与えられたもの。だからこそ、いま「立命」が大切なんです。つまり、「自分は何かをさせられるために生まれてきた」のではなく、「自分はこの世で何をして人生を全うしていくか」ということが、いま求められている。だから、そこで自分は何ができるのかという意味で、いまの仕事で「住まい」というものをテーマに掲げ、「ここまでできる」というものをやろう、という考え方なんですよね。

財部:
なるほど。では穴吹社長からみて、貴社に一番欠けているものは何だと思われま

穴吹:
その答えになるかどうかわかりませんが、金融機関様から、いわゆるゼネコンさんを、当社にも結構売りに来るんですよ。

財部:
えっ? 何を?

穴吹:
ゼネコンです。いわゆる建設会社さんをM&Aということで。私はM&Aはあまり好きではありませんが、ある建設会社さんと3年前に資本・業務提携を結びました。じつは、これは社員のためなんです。当社の社員は四国や九州の出身者が多いこともあり、本人はまだしも奥さんが、異動であまり遠くに行きたがりません。そこで、関東から東北、北海道エリアに強い、その建設会社さんと資本・業務提携を結ぶことによって、同エリアの仕事が円滑に進むようになってきているんです。

財部:
社員思いなんですね。

穴吹:
私たちの商売はまず「お客様」があって「お取引先様」があり、その下に「会社」があります。でも「会社」の中では、まず「社員」があって「役員」があって、その下に「株主」があると僕は思っています。上場会社は往々にして、株主の地位を上に持って行きたがる傾向がありますが、当社はまったく逆なんですね。だから、社員のためになるようなM&Aをやるということには、そういう意味合いもあるんです。

財部:
いや、社員のためのM&Aという話は初めて聞きました。たしかにサラリーマン人生には転勤がつきものとは言いますが、社員の人生がぼろぼろになるほど転勤させていいのか、という話もありますよね。

穴吹:
当社の重要な業務の一つに建築の現場管理があります。現場はだいたい1年程度、販売の方は、販売が早く終わったら、どんどん異動しないといけません。そういうわけで営業マンも非常にかわいそうなんですが、こうなるとやはり、辞めていく人も増えてしまいますね。

財部:
ええ、でも社長がそのように考えるかどうかで、会社は大きく違ってきますよね。

穴吹:
たとえば、これはだいぶ前にできたんですが、総合職にもN(ナショナル)とR(リージョナル)という2つの種類があります。「ナショナル」は異動範囲が全国にわたりますが、「異動先が隣県だったら働きたい」という総合職社員は「リージョナル」を選択できるというように、制度を変えたんです。ウチでは総合職のRでも、地元の企業さんの給料に負けないように金額を設定していますが、やはりきちんとした人事制度を作っていかないと、人材は定着しないんじゃないですかね。

財部:
話は変わりますが、穴吹社長は先程さらりと「いまが底だ」と話しておられましたが、今後はもう底を打っていくような考えでいらっしゃいますか?

穴吹:
今年度が底ですね。当社の場合、昨年度(2008年3月期)は経常利益が出たにもかかわらず、最終利益で赤字になったのは、保有有価証券の評価損が原因です。株式の持ち合い分が下がってしまったんです。今年度は「サブプライム危機」を発端とする世界的な金融危機の洗礼もすでに受けていますから、そういう意味ではもっと悪くなると思いますので勝負の年ですね。でも、こういうのは楽しくてね、私は――。

財部:
なるほど。皆が撤退して、あとはいい状況がくるのを待つと。

穴吹:
いやいや(笑)、こういうときほど、何か大きな改革ができるというわけでしてね。私自身もそうですよ、人間も変えられるし、考え方もまた変えられるんじゃないかと思うんです。

財部:
穴吹社長自身が変えられると思っていることは、具体的にはどんなことですか?

穴吹:
やはり、自分の欲が少しでもあってはならない、ということですね。欲というのは自己保身です。だから「守りに入らず、自分を捨ててでも何かできることはないか」と考え続けて、「やはりもう一度、原点に返ろう」と思ったんです。高松に50億円ぐらいかけて作った研究所(穴吹住環境デザイン研究所、1998年12月竣工)があるんですが、その施設内に「原点」という彫刻を置いています。古臭いですが、「原点に返ろう」というのが私の口癖になっているほどです。

財部:
「原点」をモニュメントにしているんですか?

穴吹:
ええ。ぜひ、実際に研究所をみていただきたいと思います。メーカーさんの研究所はよくみかけますが、マンションの研究所というのは、ないと思いますので。

財部:
ええ。たしかに聞いたことはないですよね。言葉は悪いですが、「マンションとは研究するものなのか?」という印象は若干ありますが――(笑)。

穴吹:
そうですか。たとえば結露問題などはマンションでも深刻で、たとえば長野県の松本市辺りですと、冬季の外気温はマイナス18℃ぐらいまで下がります。その際、室内を23、4℃の快適な温度にしているだけで、40℃以上の温度差ができてしまう。そこで大きな冷蔵庫を作り、そこに壁ごと入れて結露の状態を調べたり、その中でクロスをどう貼ったら、どこがどう剥がれてくるか、というような実験をやっています。あとはコンクリート柱の強度を測定する圧縮実験も、全国の現場で使う分を、あらかじめそこに取り寄せて行っています。ですから、今年7月に横浜で起こった「生コン溶融スラグ混入問題」(神奈川県藤沢市の六合コンクリートが、日本工業規格〈JIS〉で認められていない溶融スラグを混ぜて生コンを製造していた問題)などは、当社では起こり得ないんですよ。

財部:
ぜひ一度、研究所に伺ってよろしいですか?

穴吹:
はい。1回みていただいたら、考え方がお分かりいただけると思います。結構、多くの方が見学にいらっしゃるんですよ。いわゆるハウスマネージャーという、マンションの管理員さんのための研修所もありますし、マンションはどのような仕組みで動いているのか、とか、創業の精神といったものもすべて入れていますので、ぜひご案内させていただきます。

財部:
はい、わかりました。でも、それはいつ造られたんですか?

穴吹:
1998年の12月完成ですから、まだバブル崩壊後の処理に追われていたときですね。

財部:
まだ日本経済が真っ暗闇だった頃ですね。よく造られましたよね――。

穴吹:
ええ。皆に「何でそんなことをするのか」と言われながら造りました。じつは私が生まれたのも、父や祖父が生まれたのも、ちょうどその場所の横なんです。だから、そこにどうしても研究所を作りたくて――(笑)。いずれにしても、ものの考え方というのは、頭の中や書類だけにまとめても仕方がなくて、やはり現物でみせてあげないと駄目なんですよね。そうでなければ営業マンや、他の若手社員が入ってきても、けっして納得できません。「百聞は一見に如かず」ですから、視覚的にすべてわかるようにしたんです。

財部:
なるほど。

穴吹:
当社は1995年頃から全国展開を進めていたので、「長い目でみたら、やはりこういう施設がなかったら無理だろう」と思ったんです、メーカーとして。もちろん周囲の反対も結構ありましたけどね。

財部:
そうでしょうね。

穴吹:
私の父は2000年に亡くなりましたが、もう何も口出しをしませんでした。

財部:
お父さんは、最後はどんな感じでそれを受け止められていたのでしょう?

穴吹:
喜んでいると思いますよ。やはり、自分の生まれたすぐ傍に研究所を造り、そこで葬式もしましたから――。

財部:
そうですか、ぜひ拝見させていただきます。本当に、今日はどうもありがとうございました。

(2008年9月5日 東京都中央区 株式会社穴吹工務店東京本社にて/撮影 内田裕子)