NN 財部誠一 財部ジャーナル
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12月26日(水)

【薬害肝炎問題について】

薬害肝炎訴訟の原告団にとっては長い冬が終わり、
ついに春を迎えた心境かもしれません。
福田首相が議員立法により、被害者全員を一律救済することに同意。
25日には首相官邸で原告団の代表らと面談し、福田首相が深々と頭をさげている姿は、
テレビのニュースでみなさんもご覧になられたことでしょう。
薬害肝炎の被害者にとっては、大きな壁を乗り越えた瞬間でした。
しかしこれを政治の英断と手放しでほめるわけにはいきません。
なぜなら議員立法という手法それ自体が「国の責任」回避、
ないしは大幅限定の便法いがいのなにものでもないからです。

「一律救済」のニュースを私が知ったのは、サンデープロジェクトの本番中でした。
スタジオ内に置かれたモニター画面に「福田首相、議員立法で一律救済」
というテロップが流れました。
じつは特集が始まる直前の討論のなかで、朝日新聞編集委員の星浩さんが
議員立法による一律救済の可能性に言及していました。
「与謝野馨さんのような知恵の働く人たちがいる」といった発言をしていました。
要するに、前日の22日の時点で「議員立法」という奇策による被害者一律救済を実現して、
急落した内閣支持率を大きく反転させようという議論が政府内部では相当煮詰まっていたのです。

ここから先は流言飛語の類ではありますが、
説得力のある話として流れているのは、キーパースンは林信光秘書官です。
財務省文書課長から起用された人物で、与謝野さんとも非常に近い。
この林秘書官が「議員立法」というブレークスルーの起案者ではないか
という声が多々あがっています。

たしかにこの案は国の責任を回避しながら、
政府の支持率アップを画策するじつによくできた戦術です。
しかしそうした首相サイドの意図はミエミエで、
23日のサンプロでも、星さんが「議員立法」という言葉をつかった瞬間、
社民党の辻本清美さんが「同時に国に責任を認めさせなければいけない」
といった趣旨の言葉を叫んでいました。

そして24日以降の報道をみると、
一律救済は評価するものの「国の責任」を法案にどう盛り込むかが、
次の大きなテーマになっています。
26日現在、原告側は法案に薬害肝炎の「発生責任」を認めるよう求めているが、
政府とは大きなへだたりがあるようです。
それにしても、なぜこれほどまでに政府は「国の責任」を明確化することを
避けようとするのでしょうか。

メディアが最初に指摘したのは「財政問題」でした。
年限を区切らずに一律救済などしたら、救済費用は1兆円か2兆円か、
いずれにしても「兆」の単位のカネが必要となり、
ただでさえ危機的な国家財政が直撃され、とても飲める話ではないというものでした。

もちろんこんな脅し文句を首相に伝えたのは厚生官僚にほかなりません。
まんまと政治が官僚の脅しに屈したという構図です。
ところが原告団が即座に拒否せざるを得ないような和解案しか提案することが
できなかった福田内閣に対して国民から大ブーイングが巻き起こり、
内閣支持率は先週後半には30%近くまで急落。
そのまま放置すれば、内閣支持率が20%台に突っ込むことは
もはや時間の問題といった状況でした。

これをうけて福田首相が一律救済の議員立法を決断したわけですが、
財政問題だけがネックであるならば、議員立法などという奇策に訴えず、
大阪高裁の和解勧告にしたがって一律救済案を原告団に提示すればよいはずです。

なぜ、それができなかったのか。
そこには終始一貫、なにがなんでも「国の責任」を認めないという
厚生官僚の醜悪さがあります。
メディアのなかには「薬害をいちいち認めてなどいたら、
薬事行政などやっていられない」という厚生官僚の本音を指摘する声もあります。

その通りです。ただし、問題はそう単純ではありません。

「継続性の原則」

これが官僚の世界における絶対的価値です。
行政は川の流れのように、途切れることなく、継続されていかなければなりません。
だから官僚たる者、いかに間違った行政が行われていようとも、
前任者を否定するようなことは絶対にあってはなりません。

そもそも官僚に与えられたミッションは現状維持なのです。
昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日が来るために、官僚は存在しているのです。
改革も、変更も、あってはならない。
何も足さない。何も引かない。ひたすら現状を維持して体制を守る。
それこそが官僚組織に課せられた唯一、最大のミッションなのです。

だから役所は絶対に過去の過ちを認めようとしないのです。
ひとたび過ちを認めれば、過ちが行った原因が究明され、責任問題が発生し、
場合によっては行政プロセス全体になんらかの変更が求められる恐れがあります。
現状維持を目的とする役人にとってこれほどやっかいな事態はありません。
薬事行政をやっていく以上、薬の副作用の発生は常に起こりうるわけで、
そうした副作用のすべてが薬害と認定されるようになったら、
薬事行政など成り立たないというのが厚生官僚の本音でしょう。

しかし、もう一歩突っ込んでいくと、
組織の利害以上に官僚個人の利害が浮かび上がってきます。
組織を守ること以上に、役人の本音は官僚個人に責任が及ぶことなど
あってはならないことだと考えているのです。

かつて薬害エイズ訴訟では、当時、生物製剤課長だった松村明仁が
患者2名の死について業務上過失致死罪に問われ有罪判決を受けていますが、
まさにこれは例外中の例外にほかなりません。

民間人からすれば、悪質な被害隠しによって薬害が拡散した責任を、
官僚個人が問われるのが当然だと思いますが、
官と民のあいだにはとてつもない開きがあるのです。
官僚組織では責任と権限はすべてポストに帰属します。
官僚自身はポストの上を2、3年タームでただスルーしていくだけで、
官僚個人がその時々の判断によって責任を問われることなど
あり得ないというのが官僚たちの本音なのです。

もちろん、だから官僚は責任ある仕事を何もしていないとはいいません。
与えられたポストで最善を尽くし、自らの能力を最大化して、
いい仕事をする官僚だっていないわけではありません。
「国のために」という思いを愚直に持ち続けている官僚がいることも事実です。

しかし責任はすべてポストがとり、官僚個人が責任を問われることはないという現実が、
官僚のメンタリティを腐敗させていることもまた事実です。

「消えた年金」をめぐる社会保険庁のデタラメぶりには誰もが驚愕しましたが、
官僚という存在そのものの無責任さは、けして社会保険庁特有のものではありません。
社会保険庁の体質は厚労省の体質そのものです。
もちろん「無責任の質」において多少の差はあるでしょうが、
官僚個人は絶対に責任をとらないという基本思想はすべての役所に共通するものなのです。

ここにメスを入れなければ、薬害問題はこれからも延々と続いていくに違いありません。
国民の生命を危機にさらすような作為、不作為があれば、
官僚個人の人生も致命的な打撃をこうむるという緊張感なしに、
薬事行政などやってはならないのです。
この視点を抜きに「国の責任」をいくら論じたところで空しいばかりです。

12月06日(木)

【オリジナリティあふれる朝日放送『ムーブ』】

私は月2度、朝日放送(ABC)の情報番組『ムーブ』に出演するために大阪に行きます。
国内外の取材や講演会等々の事情から、定期的にテレビに出演することは難しく、
『ムーブ』でも勝手ながら一月に2度出演という
わがまま勝手な変則スタイルになっています。
夕方4時から6時までの『ムーブ』は
一般的には「ワイドショー」というカテゴリーに分類されてしまいますが、
京都市役所や大阪市役所の職員たちによる不正行為や、
その背後にある同和問題にまで切りこむといったスクープを連発し、
またそれを独自取材でキャンペーン化していくなど、
キー局では絶対に見られない報道姿勢を貫いています。
しかもそれは独自取材で行政等のスキャンダルをものにしているばかりでなく、
横並びの安直な造り込みをしないという点でもキー局をはるかに凌駕しています。

たとえば夜のニュース番組を立て続けに見ると、
ニュースの中身も、その伝え方も、なにからなにまでそっくりです。
それぞれに個性的なスタイルはとっているものの、
事件や事故の経済ニュースなどの報じ方といったら、
どこもみな最大多数の視聴者に受け入れられる紋切り型の報じ方しかしない。
思考が常にオール・オア・ナッシングです。
物事を多面的に捉えて、事件や事故の背後にある複雑な事情に
少しでも切り込んでみようという意思がまるで感じられません。

元防衛次官の守屋武昌も朝青龍もみな一緒だ。
悪いやつは悪い。こんなに悪い、あんなに悪い。反省してない。
それもけっこうだが、報道機関を名乗るなら、
ライバル番組とはひと味もふた味も違う独自の取材と独自の見解を示すことに、
ほんの少しでもいいから執着心をもつべきです。

そんななか「ワイドショー」と軽んじられる朝日放送の『ムーブ』ほど
オリジナリティあふれる報道をしている番組はありません。
もちろん好き嫌いもあるし、客観的な評価も分かれるとは思いますが、
予定調和を一切廃し、東京から呼んできた日替わりのコメンテーターの
個性を最大限に発揮させ、予想外の展開を許すという番組作りには頭が下がります。
私は金曜日の担当で、その月の日程を見ながら不定期に月2回の出演をしていますが、
出演日には必ず『財部経済シンクタンク』なるコーナーがあり、
木曜までに報道された経済ニュースについて、
短いVTRや写真等々をまじえながら解説するのですが、
自分でも言うのもなんですが、これがなかなか面白いのです。
極論すれば、10分やるから、好きなことをしゃべってよい、ということです。
基本的にはテーマは私が決めますが、私がノーアイデアなら、
スタッフが提案してきたもののなから私がチョイスするというやりかたです。
ここ2度ほど、印象的な放送が続きました。

11月第1週、ベトナム取材から帰国直後、スタッフから
どうしても破綻した英会話学校「NOVA」についてやりませんかと
連絡がはいりました。
しかも「NOVA」そのものではなく、「NOVA」の事業と店舗を引き継ぐことになった
名古屋の「ジー・コミュニケーションズ」について話して欲しいというのです。
率直にもうしあげましょう。
「知らない!」。
上場もしていない、名古屋の会社について10分語るのは無理だよと言ったのですが、
どうしてもやってくれという。要するに「調べてくれ」というわけです。
こちらも代替案もなく、やむなくあの手、この手で名古屋人脈をたどって
「ジー・コミュニケーションズ」を調べてみると、これがなかなかいい会社なのです。
テレビのニュース番組は「学習塾と外食産業の分野でM&Aを繰り返しながら、
成長してきた若手経営者の会社」ということしか伝えていなかった。
これは新聞も変わらなかった。

ところが、調べてみると、M&Aといってもホリエモンとは大違い。
一見すると、めったやたらに学習塾と外食産業を買いまくっているようにみえるのですが、
そこには明確な原理が働いており、
経営能力が問題で破綻に陥った企業ばかりをターゲットに買収し、
経営そのものを立て直すことで企業再生をはかっていたのです。
まさに米国のターンアラウンド・ビジネスです。
新生銀行や宮崎のフェニックスリゾートを買収、再建したリップル・ウッドのビジネスモデルと
本質的にはまったく同じことをやっていたのです。

『ムーブ』の私のコーナーではこうした話を展開したのです。
いまどきこんなことを伝えられるテレビ番組は世の中に存在しません。
近畿地方に行ったときには是非見て下さい。

11月16日(金)

【お天道様に恥じないか】

伊勢の老舗「赤福」から、和食の最高峰「吉兆」まで、
食品をめぐる偽装事件が絶えません。

ここまでくると、何を信じていいのかわからないというのが、正直な実感です。
形式的な大企業のコンプライアンス重視よりも、
なによりもブランドを大切にしてきた老舗の知恵が勝るはずだったのに、
現実はそうではなかった。

古来、日本にはお天道様に恥じない生き方をするという、
明快な哲学があったはずです。

ところがいまやコンプライアンスで手足を縛り上げなければ、
まともな商売ができない時代になってしまったようです。
「赤福」と「吉兆」。
彼らは日本にはもう「お天道様」がいなくなったことを暗示しています。

その罪、万死に値します。

しかし老舗が腐る一方で、明確な企業理念をもった、
まっとうな若手経営者が続々と誕生していることも間違いありません。

『経営者の輪』に登場いただいた
レオス・キャピタルワークスの藤野英人社長の話を聞いていると、
「赤福」「吉兆」による精神的ダメージが癒されます。
ぜひ、お読みください。

http://www.takarabe-hrj.co.jp/ring/season1/023/p1.html

09月06日(木)

【「負けない生き方」とは】

いつの時代でも「最近の若い奴はろくなもんじゃない」といわれてきた。

たしかに自分自身を振り返っても、若いときはろくなものではなかった。
しかし世間の常識からすると、欠陥だらけに見える若者でも、
若いということはそれだけで「力」だ。
だから世の中が「最近の若者は……」といくら騒いでも、
そんなものはどうでもよいと私は聞き流してきた。

だが、どうしてもやりすごすことのできない数字が現れた。
「新卒で就職した若者の三人に一人が三年以内に会社を辞めている」
どう考えても辞めすぎだ。

しかも一度辞めてしまうと、次々と転職を繰り返す人たちが少なくないという。
そんな折、私の事務所にしつこく執筆依頼の連絡をしてくる三十代の編集者がいた。

「自分たち就職氷河期世代の話を書いてほしい」

なぜ、そんなに簡単に会社を辞めてしまうのか。
辞めるのは簡単だが、転職をただ繰り返すばかりで、明るい未来があるのだろうか。
日本経済のなかで自分たちはいったいどのような存在なのか。
そんな疑問を次々とぶつけてくる編集者だった。

彼の友人、知人たちとも直接、間接に話を聞く機会を得た。
私は世代論というものがあまり好きではない。
人の人生というものは、すべて個別具体的に論じるべきものであり、
世代ごとの共通項にいくら注目したところで、
一人ひとりの人生に意味のある論評などできるわけがないと考えていたからだ。

だから、この執筆依頼にはなかなか乗り気になれなかった。

しかし、1970年代生まれの氷河期世代が経験した極端な就職難が、
彼らのその後の人生に及ぼした影響の大きさを知れば知るほど、
社会人となった氷河期世代がその後、
どのような人生の軌跡を描いてきたのか、知りたくなった。

なぜなら社会人にとってもっとも重要なことは、
社会人としてどのように初めの一歩を踏み出したかにあるからだ。
ここがあいまいだと、そのあいまいさが最後までついてまわることになりかねない。
氷河期世代がかかえこんでしまった困難は、まさにそこにある。

では、どうしたらいいのか。

そんなノウハウは存在しないし、そもそも人生を語る際に
「ノウハウ」などという言葉をもち込むことじたいに私は嫌悪をいだく人間である。
「どうしたらうまくいくか」という問いかけには答えられない。
すると編集者は、ならば「どう生きたらいいのか」を教えてくれという。

正しい問題設定だが、それに答えることは簡単ではない。
だが、私が仕事を通じて見てきた素晴らしいビジネスマンたちの生き方を
紹介することはできる。
あるいは功なり、名を遂げた人たちの口からでた
貴重なアドバイスを伝えることくらいならできなくはない。

そんな気持ちで本書の執筆を引き受けた。

しかし、執筆の合間、合間で聞いた氷河期世代の肉声は重たかった。
聞けば聞くほど、しっかりとした何かを伝えなければいけないという思いが強くなり、
筆の運びも遅くなった。
本書がどこまで氷河期世代の一人ひとりの人生のなかで
意味をもちえるのかわからないが、
自分の人生を俯瞰して、そのあり方を自分自身で考えなおしてみる
きっかけになれば、これ以上の喜びはない。

「負けない生き方」東京書籍 まえがきより

08月14日(木)

【サブ・プライムローン】

自民党が歴史的な大敗を喫した7月29日。
投票日当日はテレビ局は開票速報以外に政治ネタを扱えないため、
あの日のサンデープロジェクトも経済をテーマにしましたが、
そのタイミングをはかったかのよう、サブ・プライムローン問題が勃発しました。
27日の日経新聞は、ニューヨークの特派員からの記事として次のように報じました。

「26日のニューヨーク株式市場でダウ工業株30種平均が、
 一時、前日比245ドル超下げた。
 株価が不安定さの度合いを強めているのは、
 信用力が低い個人向け住宅ローンでの焦げ付き多発などをきっかけに、
 これまで潤沢に供給されてきたマネーが投資リスクを嫌って
 株式市場から急速に引き揚げかねないとの懸念が高まっているためだ」
サブ・プライムローン問題について、ひとつ留意すべき点があります。
それはサブ・プライムローンが単純な不良債権問題ではなく、
証券市場にダイレクトに影響を及ぼしていることです。

27日の日経新聞もこの点について、言及しています。
「米市場では6月中旬、大手証券ベアー・スターンズ傘下のヘッジファンドが
 サブ・プライムローンを組み込んだ金融商品の価格下落による巨額の損失を抱え、
 経営難に陥っていることが表面化。
 同ファンドの投資家が投資資金をほぼ失う事態に発展した」

日本でも銀行が住宅ローンを証券化して投資家に売却することはいまや当たり前です。
米国のサブ・プライムローンも当然のように証券化されていました。
リスクは高いが金利も高いこの証券化商品に、
ヘッジファンドや投資銀行が続々と投資をしたのです。

ところがローンの焦げつきが多発したことから、証券が紙くず同様となり、
米国の名だたるヘッジファンドや投資銀行は大きな損失をこうむりました。
日本では野村證券がサブ・プライムローンだけで700億円を越える損失をしたと
報じられました。

「世界バブルの崩壊か」
そんな激震が走るのもわからなくはありませんが、
この時点では、サブ・プライムローンが大きな問題になると
専門家の多くは認識していませんでした。
私もサンプロ出演前に、金融のプロ数人にヒアリングをしましたが、
マスコミが報じるほどの危機感はありませんでした。

理由はふたつあります。

サブ・プライムローンの不良債権額が金融市場を底抜けさせてしまうほど
巨額なものではなかったことです。
FRBのバーナンキ議長の議会証言によれば「不良債権額は10兆円程度」でした。
バブル崩壊で日本が抱え込んだ不良債権の金額が100兆円であったことと、
米国の経済規模が日本の2.5倍であることを考えると、
その程度では、ただちに米国経済を底抜けさせるようなことはない、ということでした。

2つ目は、この問題が勃発した直後、
米国株式市場はショックで暴落をしたものの、
金利の急騰現象は起こりませんでした。

そもそも米国内の金利の基準となる米国債が、格付けシングルBの債券と比べ、
金利差が2.8%という水準で、サブ・プライムローン問題が勃発したわけですが、
その時シングルB格付けの金利は0.8%しか上昇しませんでした。

たとえば98年のアジア危機の当時、
LTCMという有名ファンドが破綻をして米国金融界は大混乱に陥りましたが、
その当時の米国債とシングルB債の金利差は5%もあったのです。
アジアの通貨危機勃発と同時にシングルB債の金利はなんと2.5%も急騰したのです。
それと比べると、今回のサブ・プライムローン問題では金利急騰もおこりませんでした。
したがって
「株式市場はしばらくダメージを受けるだろうが、
 米国経済や金融市場が底抜けしてしまうようなことはない」
という楽観論が支配的だったのです。
私も7月29日のサンデープロジェクトで、同様の趣旨の発言をしています。

ところが8月3日、NY株式市場が再び暴落。
ここを境に、楽観論が悲観論へと劇的な転換が起こりました。

サブ・プライムローンの証券化商品に投資をしていたヘッジファンドが
巨額の損失をこうむり清算に追い込まれるケースが次々と報道されていくプロセスで、
シングルB債に代表される低格付け債券の金利が急上昇し始めました。

ひとつまちがえれば、世界中であふれていた余剰資金が一気に冷え込んで、
金融市場から引き上げてしまうのではないかという恐怖がマーケットを覆いました。
NY株式市場の暴落は日本、欧州へと飛び火し、
世界同時株安の悪夢を再び見せ付け始めました。
日本の株式市場でも8月10日には、一時、500円を超えるほどの暴落となりました。

世界の金融収縮の予防的措置として米欧の中央銀行は、
資金繰りを心配して短期金融市場から銀行が多めに資金調達することで
さらなる金利上場を招いてしまうことのないように、
短期市場への資金供給をきめました。
日銀も10日に、米欧と歩調をあわせ、短期金融市場に1兆円の資金供給を実施しました。
いってみれば、予想外に問題が膨張してしまい、
信用収縮を恐れた各国の中央銀行が手早く対応したということです。

そこで肝心なことは、
今回のサブ・プライムローン問題がいったいどこまで広がるのかです。

「金利上昇はないから大丈夫」というシナリオが崩壊し、
金利が急騰し、世界同時株安が再び起こってしまったとなると、
いくら各国の中央銀行が素早い対応をしたとしても、
金融市場の混乱が短期間に終結するとは考えにくい。

サブ・プライムローンを担保にした証券に投資をしたファンドや金融機関が
大損をするというニュースは今後、さらに増えてくると思いますが、
サブ・プライムローンの不良債権規模は10兆円程度ですから、
これで世界経済が底抜けしてしまうということはありえない、と私考えています。

ただし、今回株式市場がこうむったダメージの回復は簡単ではないでしょう。
日本株でいえば16000円台を中心に年内もみあうような展開が続くかもしれません。
アジア通貨危機のときのような破綻が起こるとは到底思えませんが、
軽い調整ですむというわけにもいかないのかな、というのが現時点での私の認識です。

07月30日(月)

【自民党大敗の理由】

そこまで負けるとは誰も予想できなかった参議院選挙での自民党の大敗。
その理由について多くの人たちは「年金問題」だけではなく、
「閣僚の不規則発言」や「政治とカネ」の問題など複合的なものであったと話している。
しかしその底流には共通する問題が潜んでいる。
それは安倍首相の性格的な弱さである。
それがリーダーシップの決定的な欠落につながったと私は理解している。
閣僚たちが引き起こしたいかなる不祥事にも自らはなんの意思決定もできず、
年金問題に対しても初動の遅さが最後まで尾をひいた。
選挙間際の強行採決の連発も弱さの裏返しではなかった。

安倍首相は選挙直前になってテレビ出演を頻繁に行い、
みずから国民に語りかける戦術にでたが、
その結果は、自民党への支持率低下に拍車をかけただけだった。
「言葉に力がない」
私にはそんなふうにしか感じられなかった。
私は民主党の政策が自民党よりも良かったなどとはとうてい思えない。
違ったのはリーダーの覚悟だった。
民主党の小沢一郎党首は負けたら「政界引退」とまで言ったのに対して、
安倍首相は選挙前から「結果にかかわらず続投」といい、
大敗後も「私だけは続投」という態度に終始した。
選挙結果は、この差ではないか。

07月29日(日)

【柏崎刈羽原発のトラブル報道、もっと本質を語れ】

柏崎刈羽原発から黒煙がもうもうとあがる光景は、
絶対にあってはならないものでした。
原子力発電所内の消化に関する危機管理体制もお粗末そのもので、
水道管が破断したことで、たった4人しかいなかった従業員は、
消防が到着するまで、ただそれを遠巻きにしてみていることしかできなかった・・・。

中越沖地震発生から連日、柏崎刈羽原発は危機管理の脆弱性を批判されてきました。
しかし私はこうした報道に接するたびに、
なぜ、この国のメディアは大衆心理をあおりたてることばかりに熱心で、
そこにある危機の本質を伝えようとしないのか、愕然としていました。

原発のオペレーションにおいて最大のミッションは、なにか大きな問題が生じたときに、
原子炉が自動的に停止し、炉心が冷却されることです。
設計当初に想定されていた地震の最大値よりも
3倍をこえる大きな揺れに見舞われたにもかかわらず、
重大な放射能漏れを起こすこともなく、原子炉は自動停止しました。
これは技術の勝利です。
ところが日本のメディアが枝葉末節を針小棒大につたえることだけに終始したために、
イタリアではセリエAのサッカーチームが来日を中止する事態まで招きました。
選手の親たちが、ロシアで起こったチェルノブイリ原発の重大事故と
柏崎の原発とを同一視したからです。

一連の報道をみていてつくづく思うことは、日本人は「安全・安心」が大好きなくせに
「安全」と「安心」の区別もできていないということです。
「安全と「安心」はまったく異なる概念です。
「安全」は科学の世界であり、合理性の世界であり、数字の世界です。
想定外の大地震に見舞われながら、それでも原子炉がすべて自動停止し、
炉心がきちんと冷却された事実は誇るべき話です。
これこそが、原子力発電所が存在できるための、絶対条件だからです。

つまり「安全」は完全に確保されたのです。
こんかい重大な問題となったのは人々の「安心」を決定的にふみにじったことなのです。
「安心」はいうまでもなく、人々の心の問題であり、気持ちの問題です。
原子力発電所から黒煙がもうもうとでるような事態は絶対にあってはなりません。
その光景をまじかで見た人は、核爆発がおこるのではないかと
震え上がったにちがいありません。

「安全」というモノサシで見れば、
変電所の火災が核施設に燃え移る可能性はありえない設計になっています。
変電所には防火壁があり、燃えるだけ燃やしてしまえば、
それで終わり、という構造になっています。
だからエンジニアたちは「変電所が燃えたくらいで大騒ぎしないでほしい」
というのが本音だと思いますが、それは絶対に違う。
原子力発電所から黒煙は絶対にあがってはならないのです。
それこそが「安心」を担保してくれるからです。
人間が1年間浴び続けてもなんの影響もないほど微量の放射能が海に流れでたことも、
「安全」の切り口からすれば、どうでもいい話です。
しかし「安心」の切り口からすると、「漏れてしまうこともあるんだ」という発見は、
恐怖を誘うのです。

では、どこに問題の本質があったか。
それは原子力発電所の設計思想そのものなのです。
なんと原発の施設は重要度に応じて耐震レベルが3段階に分かれているのです。
絶対に守らなければならない炉心はSランク。
それいがいはBランク、Cランクと分類されているのです。
火災が起こった変電所やオフィス棟はなんとCランクでした。
つまり火災は起こるべくして起こったのです。
地震後の情報開示が後手後手にまわった原因のひとつは、
オフィス棟内が壊滅的な打撃を受けたことでしたが、
ここもCランクだったのです。

日本の原発はすべてこれと同じ設計思想でできているのです。
いや原発だけではありません。石油コンビナートも同じです。
石油コンビナートでも大規模地震に見舞われたら、心臓部は耐えられても、
Bランク、Cランクで次々と問題が発生しかねない。
また火事が起こってしまうのです。
いま日本は、こうした危機管理の思想そのものが問われているのです。

いったい何が守られて、何が守られなかったのか。
それがいま問われているのです。

07月20日(金)

【強制加入なのに申請主義の矛盾】

7/8放送のサンプロは7党首そろっての討論で、
安倍総理もスタジオにこられました。
年金問題がこれほど国民の関心事となり、
その対応が参院選の勝敗に直結するこのタイミングで、
安倍総理がどのような振る舞いをするのか。
大いに関心をもってのぞみました。

私の問題意識はただひとつ、年金制度の致命的な欠陥である
「申請主義」との決別を宣言するのか、しないのか。
この一点にかかっていました。

社会保険庁の腐りきった組織文化を醸成したのは、
強制加入であるにもかかわらず、申請主義をとってきたことにつきます。
取れるものは取り上げ、申請してこない限り、
払うものも払わないという、究極の責任転嫁です。
国が社会保険制度に強制的に国民を組み入れるのですから、
すべての責任を国が負うのが当然の帰結です。

ところが現行制度は、すべての国民の自己責任という
無責任な思想にもとづいて年金制度のすべてが動いている。
いまこそ、政府は年金法を改正して「申請主義」の放棄を宣言するべきなのです。
それをやれば、国民の支持は大いに高まるはずなのに、
安倍総理には、その意思がまったくないことがわかりました。

「申請主義と決別しないのか」という私の問いかけに、
答えたのはなんと公明党の太田代表でした。
それはすばらしい。
しかし、私は総理の口からそれを聞きたかった。

そこで再度、安倍総理に尋ねましたが、
安倍さんからはついに明確な返事を聞くことができませんでした。
なぜそれができないのか。
できない理由を聞いてみたいものです。

06月11日(月)

【コムスン叩き、折口叩きで終わらせるな】

脱法行為まるだしの処分逃れで、コムスンの折口雅博会長に批判が集中している。
当初は、同じグッドウィルグループの子会社にコムスンを売却するという
トリッキーなディールで難を逃れようとしたものの、
こちらも厳しい世論にさらされて厚生労働省から「待った」をかけられて、頓挫。
同業他社に売却するいがいに選択肢がなくなった。
事実上、介護ビジネスからの退場を宣告されたようなものである。

先週末に、記者会見を行い、涙ながらに事業継続を訴えた折口会長は、
その後もサンデープロジェクトをはじめ、次々とテレビ番組に出演しているが、
私にはその真意がはかりかねる。
世間の許しを請い、事業継続にのぞみをつなげようということなのだろうか。
折口会長はとことん経済合理性を追求する経営者である。
起業家としては抜群の才覚の持ち主である。
世の中には、それがいかん、という人もいる。
バブル全盛期のディスコ「ジュリアナ東京」をプロデュースした人間が、
介護ビジネスに乗り出したこと自体に不快感を唱える人たちも少なくない。
だが、冷静に過去を振り返らなければいけない。
介護保険の導入時、大企業から個人まで、
どれだけの人たちが「これからは介護ビジネスだ」と叫び、
どれだけの人たちが、儲からないからといって、撤退していっただろう。
時の政府だって「介護で雇用を」とまでぶちあげていたではないか。

たしかにコムスン評判はすこぶる悪い。
不正請求のような違法行為以前の問題だ。
たとえば事業のスタート当初、
スタッフ募集の説明会に参加したある介護関係者の話が忘れられない。
「一番いいお客さんは、寝たきりで、長生きする人です」
要介護の程度が重度で、長生きをしてくれるお年寄りが「上客」だという発言を、
説明会でしているのだ。
知人の介護関係者は「コムスンはとんでもない会社だ」といきまいていた。
いま起こっている問題の芽は、事業拡大の当初からあったということだ。

だから誰もが「コムスンのような会社が(あるいは折口のような人間が)
介護ビジネスに手を染めたことじたいが間違いだった」と考えている。
なかには、コムスンどころか、
「民間企業に介護をゆだねたことじたいが間違いだった」
と指摘する人もいる。だが、本当にそうだろうか。
官がどれだけデタラメで、無責任であるかは、
社会保険庁をみれば一目瞭然ではないか。
民間企業が問題をおこしたからといって、
すぐに「お上」頼みの発言をする人間もまた無責任きわまりない。

注目すべきことがある。
同じグッドウィルグループ内の子会社への事業譲渡が
事実上、できなくなったことから、
コムスンは同業他社に事業譲渡する方向で動いているようだが、
渡先が簡単にはきまりそうもない、と報じられている。
それはそうだろう。
ただでさえ、介護ビジネスは利幅の大きなビジネスではない。
小規模の業者は損益分岐点をいったりきたりしながら、ギリギリの経営をしている。
そこに介護報酬の見直しがくわわり、さらに経営が圧迫されている。
しかも現場は3Kといわれ、次々と従業員が辞めていく。
介護ビジネスに関わる中小規模の業者たちは、それこそ「志」だけで、
なんとか持ちこたえているという現実を私たちは知らなければならない。

コムスンをたたくのは簡単だ。
折口雅博をたたくのも簡単だ。

だがコムスンを切り売りしただけでは、介護の現場は何もかわらない。
介護と資本の論理は別だという指摘をする人たちが無数いるが、
それは大間違いだ。
財政逼迫で、現場は3Kで、多くの業者が赤字経営をしいられている。
介護の現実を考えたら、今一番必要なのはまさに経済合理性なのだ。
利用者であるお年寄りにとっても、現場で働く介護のスタッフにとっても、
介護業者にとっても、プラスになるような、
合理的な経営を介護の世界にもちこむことこそが一番重要なのである。
なぜなら、一番大切なことは、これ以上、国民の負担を増やすことなく
質の高い介護サービスをどうしたら持続可能にできるか、だからだ。

06月07日(木)

【介護の現場】

私達は、一人でも多くの高齢者の尊厳と自立を守り、お客様第一主義に徹します。
私達は、明るい笑顔、愛する心、感謝の気持ちを大切にします。
私達は、常にサービスマインドを心がけ、真心を込めて介護を行います。
私達は、責任を持ってお客さまのプライバシーを守ります。

これはコムスンの企業理念です。
介護にかかわる企業にふさわしい言葉がならんでいます。

しかし、介護の現場は3K(きつい・きたない・きけん)いがいのなにものでもありません。
しかも賃金は安い。
志なしには続けられない過酷な職場です。
コムスンに入社した若者たちが、
どこまでその現実を認識していたのかはわかりませんが、
少なくとも彼らは、この企業理念に強く共鳴し高い理想をもって
介護の現場に出て行ったに違いありません。

ところがコムスンという会社は彼らの志にこたえられる会社ではありませんでした。
介護報酬の不正請求問題をめぐるコムスンの対応を見ていると、
介護をまかせるにたる企業とは到底思えません。
親会社であるグッドウィルの創業者、折口雅博氏に批判が集中するのも当然です。

ただし忘れてはならないことがあります。
それは今回の問題はコムスンだけの話ではないということです。
不正請求はニチイ学館、ジャパンケアサービスでも起こっており、
介護ビジネス大手3社全社が不正請求に手をそめていたのです。
たしかに不正発覚後にとった対応が、コムスンはとびぬけて悪質であり、
だからこそ厚労省からレッドカードを突きつけられてしまったわけですが、
今回私たちが突きつけられた問題は、悪質業者を叩き出せという
単純な問題におとしこむわけにはいきません。

高齢者は増える一方で、予算は増えない。
介護の現場はギリギリの予算で
ボランティアのような職員たちによって支えられている現実。
一方で、介護ビジネスに飛び込んできた若い人たちの定着率はきわめて低い。
コムスンをはじめ大手3社全社が介護報酬の不正請求をしていた事実は見逃せません。
介護ビジネスはビジネスとして、限りなく成り立ちにくい状況があるからです。
コムスンを叩けば、それで終わり、といった簡単な問題ではないのです。

05月17日(木)

【親友逝く】

5月14日に、私の盟友が逝きました。
大阪朝日放送の枝格(えだ とおる)さんです。

ガンと戦い、入退院を繰り返しながら、それでも最後の最後までテレビに執着した男でした。
サンデープロジェクトのプロデューサーでもあった彼は、
私とは同い年で大学も同窓ということもあり、
仕事を超えた付き合いをしてきました。
天才的なテレビセンスをもち、お洒落で、グルメで、酒好きで、ヘビースモーカーでした。

ガンとの闘いは3年に及びましたが、完治が無理とわかったとき、
彼はいかに長く生きるかではなく、
いかにして職場復帰を果たすかに全力をあげていました。
身に降りかかった理不尽な不幸を嘆き、苦しみ、絶望しながらも
それでもそのつど、そのつど気を取り直し、テレビを作ることに命をかけていました。
7月に放送予定の特番のために、死ぬ直前まで病室にスタッフをよんで打ち合わせをしていました。
「今日も打ち合わせをしたよ」とメールを打ってもきました。

その枝さんに、私が最後に会ったのは、5月11日でした。
久しぶりに会った枝さんはすっかり痩せ、
彼の身体には何本のチューブが差し込まれており、
痛々しくて、つらかった。
じつはその1週間ほど前、枝さんは緊急手術の直後に、
一度、心停止状態に陥り、強い生命力で生還していたのです。

「おれの身体は弱いのか、凄い生命力があるのか、わからないよ」
そんなことを話しながら、枝さんが食い入るように見ていた雑誌があります。
屋久島を特集したものでした。
「杉と苔と瀬と・・・、永遠の命をはぐくむ屋久島で、思い切り呼吸がしてみたい」
必ず一緒に行こうと約束したのが、最後になってしまいました。

枝さんを少しでも知るみなさん、どうか、枝格を忘れないであげてください。

04月19日(木)

【レッドリーフ運動】

第二次大戦中のことです。
デンマークを制圧したナチスが、ユダヤ人に対して
胸に赤いリボンをつけることを強制したとき
当時のデンマーク国王は自ら胸に赤いリボンをつけて街を闊歩したそうです。
すると、それを見たデンマーク国民が次々に赤いリボンをつけはじめたために、
ナチスはデンマーク国内ではユダヤ人へのあからさまな差別や虐待が
できなくなってしまったという逸話があります。
そこから「赤いリボン」は差別反対のシンボルとなり、
エイズによる差別反対のレッドリボン運動などへと
発展していったという経緯があります。

タイトルの「レッドリーフ運動」の由来も同じです。
これは日本K-Ball少年野球連盟会長の志太勤氏
(シダックスグループ代表)の発案で始まったもので、
少年野球の選手たちに「いじめの傍観者にはならない」という
意思表示の証としてレッドリーフのバッジをつけてもらうというもの。
子供たち自身の手でいじめをなくす機運をたかめてほしいという願いから始まった。
志太さんは言います。
「一枚の葉が木になり、林になり、森になって欲しい。
 そんな気持ちからレッドリーフというネーミングになりました」

みずからも野球少年だった志太さんは、
全国9,600校の中学校に通う野球少年30万人が、
レッドリーフ運動を理解して、運動に参加してくれれば、
いじめ撲滅へのひとつのうねりになるのではないかと期待しています。
私も応援したいなと思っています。

03月23日(金)

【久しぶりに新刊『勝者の思考』がでました】

遅れに遅れていた単行本がようやく書店にならびました。
『勝者の思考』(PHP研究所)

PHP研究所の担当編集者であるS氏とは、もう10年来のつきあいですが、
その信頼関係も崩壊するのではないかというところまで、
〆切破りを続けたあげく、ようやく脱稿した一冊です。
しかし、遅れたぶんだけ、いい本ができた、思い込むことにしています。
拙著『勝者の思考』の「まえがき」の一部を記します。
ご覧ください。

***『勝者の思考』まえがきより***

私は本当に幸運な人間で、大企業からベンチャー企業にいたるまで、
多くの経営者の方たちと、じかに会って、
話をうかがう機会をたくさんいただいてきました。
『サンデープロジェクト』の特集では、経営危機からの再生劇や、
前例のない中国市場の開拓など、
過酷なビジネスの現場のなかで経営者は、何を思い、いかに考え、
なぜそんな決断にいたったのか、
彼らの搾り出すような肉声の数々を聞いてきました。
単行本や雑誌の取材でも意識して、多くの経営者の話を聞いて歩きました。
私のホームページでは『経営者の輪』と称して、経営者とのリレー対談も行っています。
またBS日テレの情報番組『財部ビジネス研究所』では
「キーパースンに聞く」という経営者へのインタビューのコーナーもあります。
それがいま、私の大きな財産になっているのです。

経営者との会話ほど、示唆にとんでいるものはありません。
大企業のトップになる人間はやはり特別な人たちです。
何万人もの組織の中で社長のポストにたどりつくまでには、
運にも偶然にも恵まれなければならないし、
個別のビジネスを遂行していくうえで、
必ずしも最高に有能な人間だったからという理由で、
社長に選ばれるとも限りません。
また、自分で起業したベンチャー経営者であれば
みな有能なのかといえば、これまたそうともいいがたい。
なるべくして経営者になった人間もいれば、そうとは思えない人物もいます。

僭越なことをいわせてもらえば、経営者は経営者として成長するという事実です。
経営と宮仕えは天と地ほどに違います。
毎朝、顔を合わせ、経営情報を共有し、会議室で丁々発止の議論をしていたとしても、
社長とそれいがいの役員とは、まったく別の仕事をしている。
経営の最終責任を負った人間だけが、向かい合わなければならない、
過酷な世界があるということです。
だから経営者は経営者になってから、再び成長し変化を始めます。
なかでも顕著な変化は彼らの「思考」に現れます。
平板で、短絡的な思考は経営者には許されません。
ありとあらゆる事象に目を配り、それらがまた変化し続けるという
厳しい現実を受け入れ、フレキシブルに対応し続けなければならない彼らは、
いやおうなしに思考の領域を広げ、思考を立体化させていかざるをえなくなります。
短期的な業績の回復も必要だが、できるならば中長期的に
利益を出し続けることのできるいい組織を構築したいと、
まともな経営者なら誰でもそう考えるようになります。
そのためには、表面的な現象にばかり張り付いていた意識を、
より本質的なものへと向け始めます。

メディアがなんと言おうと、アナリストがいかなる注文をしようと、
社内から異論が噴出しようと、経営者は「どこに本質があるのか」と
自分自身にむかって問い続けるようになるのです。

日本の景気拡大はすでに5年を超えました。
戦後最長のいざなぎ景気を超えてなお、失速の恐れはみえていません。
その間、日本の世論は景気回復の予想ができなかったどころか、
足元の景気が良くなっている現実すら認識することができなかったのです。
悪い、悪いと言うばかりで、気がついたときには戦後最長の「いざなぎ景気」を超えていた。
02年からの5年間、500兆円という世界第2位のGDPの日本が
平均2.4%成長をとげていたという事実はまちがっても、
さげすんだり、卑屈になるような話ではまったくありません。
立派な景気拡大です。
たしかに所得格差や地方間の経済格差が広がっていることは大きな社会問題で、
そこにどう対処していくかはまったなしの政治課題です。
しかし、景気回復の事実そのものが消えるわけではありません。
その間、私は多くの経営者に会いましたが、素晴らしい経営者は誰一人として、
景気論議などには言及しませんでした。

問題は市場環境ではなく、自分自身にあるという現実を
優秀な経営者は誰でも理解しているからです。
経営とは生き方だ、とつくづく思います。

さらに興味深いことは、傑出した経営者の過去をたどっていくと、
三十代、四十代の頃に、経営者として求められる「思考」の原型が
すでにできあがっていることです。
それをみると優秀な経営者というのは、出世レースに敗れ、
経営者という自分を鍛える特別な地位を得ることができなかったとしても、
自分の人生が価値あるものであったと
自分自身で納得できる生き方ができていたのではないかと、思わせることです。
組織はいずこもみな、矛盾だらけで、理不尽なものです。
だからこそ、そのなかでいかにして自分の人生の価値を高めていくか。
そんな思考のできる人たちが、結果として組織の命運をまたにぎっていくことになるのです。
組織のなかで生きるヒトが、いい仕事をして、
いい人生をおくるために、本書がその一助となれば、幸いです。

03月07日(水)

【株暴落で右往左往する日本の滑稽】

世界的な株式大暴落を私はブラジルで知りました。

たしかにそれはいきなり冷水をあびせかけられたような驚きでした。
しかし、インターネットを通じて伝わってくる
日本のエコノミストたちのコメントや新聞報道をみていると、
はっきりいって滑稽です。

世界経済のファンダメンタルズが突然変わったわけでもないし、
ましてや日本経済は企業の確実な業績回復のもとに成長を続けているという事実が、
ある日突然、変調をきたしたわけでもありません。

ところが日本の報道をみていると、エコノミストたちがいつもどおり無責任な発言をして、
それをまたメディアがばかのひとつ覚えように繰り返しているではありませんか。
株が暴落をすると、鬼の首をとったように、世界経済終末論をとなえるのは、日本のお家芸です。
悪いときには悪くなるとしかいわない。

外国からみていると、本当に情けない気持ちになります。

誰かが「円キャリートレード」(外人が金利の低い円で資金調達をして海外の市場に投資をすること)
が問題だといい始めると、誰も彼もがそういいはじめる。
しかしそれ以上にこっけいなのは「円高」です。

1ドル115円の円高は、好調な輸出企業に急ブレーキをかける。
それが株安を誘うのだと説明しているエコノミストをみると、
そのレベルの低さにあいた口がふさがらない。
日本企業は1ドル79円の超円高も経験してきたし、
世界の市場を相手に、最適な生産・販売のネットワークを構築することで
彼らが飛躍的な業績回復を遂げてきたという現実がまったく見えていません。
素人の議論です。

マネーゲームは、常に、突発的な危機をはらんでいるものです。
市場の値動きが大きな意味をもっていることもあれば、そうでないこともある。
少なくとも、いかに市場が激しい値動きをしようとも、
日本経済の現実が世界のなかでどのような位置にあるのかを、
冷静に評価しようという意識だけは失ってはいけません。

欧米諸国やBRICsをはじめとする新興国の株価と比較したら、
日本の株価などまだまだ低すぎます。
世界中の株価が上昇していた時、日本だけが13年も下げ続けた事実を忘れてはいけません。
02年を底に、日本の株価は上昇に転じましたが、上がり始めてまだ4年しかたっていません。

日経平均は89年のピークのまだ半値以下ではありませんか。

少なくとも「世界のバブル崩壊」のひとことのなかで、
日本経済の先行きを悲観するのは間違いです。
単純な楽観論も許されないと思いますが、
単純な悲観論は滑稽としかいいようがありません。

03月01日(木)

【これがハッピーリタイアメント?!】

じつは2月25日からフォードに関連する取材で渡米しました。

ある人物を訪ねて、フロリダのネーブルズという町に行きました。
ここはハッピーリタイメントを迎えたお年寄りたちの町です。
小奇麗な家が立ち並び、浜辺近くのレストラン街は
午後の2時過ぎだというのに、どこもお客さんでいっぱいです。
夫婦2人のテーブルもありますが、
夫婦が何組かグループになって食事をしている姿が目に付きました。

ざっくり見たままの印象をいえば、
この町の住人の7割は70代以上のお年寄りです。

若者はもちろん、子供はほとんど目にしません。
40代、50代の店員をみると「若者」に見えるくらいお年よりだらけです。
本当に豊かな、のんびりとした時間が、
冬でも暖かい日差しにあふれるフロリダには流れているという感じです。
「老後」というとネガティブな暗い話ばかり聞こえてきがちな日本とは
ずいぶん違います。

ただし、2日もこの町にいると、なにかそこには馴染めない、
人工的なにおいがしてなりません。

一見すると、とても幸福そうな人々ばかりなのですが、
何もすることがなくて、ただのんびりしていることが
本当に幸福なのか、どうか。
私にはいまひとつ理解できません。
そこそこのお金持ちのお年寄りばかりが集まって、
みながみな似たような生活をしている。

どこか変でなりません。

そう感じるのは私だけでしょうか。
この2日間の滞在期間中、ふと、気がついたことがありました。
この町は白人しかいない!
黒人もいないし、スパニシュもみかけない。

なにか違和感を覚えてなりませんでした。

02月28日(水)

【ホワイトカラー・エグゼンプション】

ホワイトカラー・エグゼンプションの法案化は簡単に見送られて
しまいましたがこのテーマは賛成するにも、反対するにも
単純な話ではありません。

nikkeiBPnet(※サイト閉鎖)に寄稿しています。

ぜひ、ご覧ください。

02月13日(木)

【地域間"格差"と地域間"競争"】

地域間格差が大きな社会問題になっています。

北海道夕張が財政破綻ののちに、病院や消防など行政サービスが激減しています。
2台あった救急車は1台に減らされ、1台が出動していたら
「119」番をいくらダイヤルしても救急車は来てくれない
という状況にさえなっています。
若い家族は夕張での生活をあきらめ
他の地域へと転居し、お年寄りだけが取り残されてしまう。
もはや財政破綻ではなく、地域社会の崩壊です。

夕張に残された人々に憲法が保障する最低限の文化的生活を
どうやって保障していくのか。
地方の放漫財政の片棒を担いできた国の責任もふくめて
早急に対策が講じられなければなりません。

しかし、夕張だけに限らないところに問題のさらなる深刻さがあります。

それは一般に言われているような、財政破綻寸前のいわば夕張予備軍が
ほかにもたくさんあるという話にとどまりません。
少子高齢化はいうまでもなく、人口減少社会の到来を意味します。
日本の人口は確実に減少していきます。
そのとき、日本列島の各都市、各地域が等しく衰退していくとは考えられません。
それこそ経営危機に陥った企業が希望の持てない事業を切り捨て
将来のある事業に資本を特化する、「集中と選択」を行ったのと類似の現象が
日本列島のなかでも必ず起こってきます。

人口が増加し、活気が増していく地域が出てくる一方で
ある地域は人口が減少し、衰退に拍車がかかっていくということです。

多くの人たちは「行政サービス」を「空気」と同じように
捉えていたのではないでしょうか。あって当たり前のもの、ということです。
しかし実際は、住む地域によって
住民が受けられる行政サービスにはものすごい格差があるという現実を
夕張は突出したカタチでわれわれに突きつけただけです。

それはけして特別なことではないのです。

少子高齢化が進めば進むほど、人々は考え始めます。
「生活の質をあげるためには、どこに住むのがいいのだろう?」
行政サービスのレベルが、住居選びの大きな要素のひとつになってきます。
それは地域間競争を激化させることであり、
今現在、地域間に格差があるなどという認識は甘いといわざるを得ません。
その格差は、今後、加速度的に広がっていくに違いありません。

「地域間格差」を問題にしている場合ではなく
これからますます激しさを増していく「地域間競争」のなかで
必然的に生まれてくる地域ごとの繁栄と衰退をどう考えていくのか。

政治に問われているのはまさに、そこです。

地域間競争のプロセスと結果を、自然のものとして受け入れ
衰退をよぎなくされた地域の人々への対応を考えていくのか。
それとも地域間の自由な競争そのものに抑制的に働くような政策をこうじていくのか。

いずれにしても、今という一断面だけをとりだして
「格差だ」「格差だ」と騒いでいるだけでは
なんの解決にもならないことだけはまちがいありません。

02月09日(金)

【パート労働者数の減少】

「格差だ」、「格差だ」と大騒ぎをしていた人たちは、
厚生労働省が公表したパート労働者数の数字を見て、
どんな感想をもっているのでしょうか。

企業の合理化を反映して、パート労働者は05年まで増加の一途をたどりました。
しかし業績回復と品質見直し機運の高まりから、06年にはパート労働者数が大きく減少し、
正社員が増加している実態が明らかになりました。

雇用者数全体にしめるパート労働者の割合をみると、
06年は前年比1.5ポイント低下し22.5%となりました。
この割合は01年(22.9%)以来の低い水準です。
「不況だ」、「不況だ」と騒ぐだけ騒いでいたら、じつは5年も景気は拡大し、
いざなぎ景気をはるかに超えてしまったというのとそっくりの構図です。
情緒過多の報道はいつもこうして現実をふみはずしてしまうのです。

いいことも悪いことも、世の中の現象は一時といえどもとどまることはなく、
変化し続けているという認識をしっかりと持っていたいものです。
そうでなければ、的確な政策もうてないし、
ましてやビジネスで結果を出していくことなど、できるはずがありませんね。

02月01日(木)

【「女性は産む機械」発言】

柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言で国会が空転している。
いったいなぜ、そのような発言がでてきたのだろうか。
「つい言ってしまった」ということのようで、
それは常日頃からそのように考えていた、という事の証明にしかならないわけだが、
そこで考えなければならないのは、女性に対するそれほどの差別意識が
いったいどのようにして彼の人生の中で醸成されてきたのか、ということです。

私にはこうした差別意識は、なにも女性だけに向けられているものとは思えないのです。
彼が旧大蔵省の出身であることが差別の大きな精神的背景になっているとしか思えません。

「我ら富士山、他は並びの山」と、
霞ヶ関の他省庁まで見下してきた大蔵官僚の気位の高さは常軌を逸していました。
そもそも役人たちは「寄らしむべし、知らしむべからず」と国民など、
コントロール可能な大衆の寄せ集め程度にしか考えていません。
それが政治家になると、世の中の現実というものが、
一票の重さからわかるようになるものなのですが、
柳沢大臣は政治家になってからも霞ヶ関の誤った認識を
抱き続けてきたということではないでしょうか。

だから「産む機械」という言葉がごく自然に
彼の口から飛び出してしまったのはないか。
私はそう考えます。

01月30日(火)

【不二家と「あるある大辞典」】

「雪印の二の舞になる」
不二家の経営陣は、問題が起こるたびにそんな発言を
社内で繰り返していたようです。

まともな企業であれば「雪印の二の舞にならない」ために、
品質管理の仕組みを見直そうというのがフツーの感覚でしょう。
まっとうな企業であれば、それを機会に
「コーポレートガンバナンス(企業統治)の強化や
意思決定のプロセスの仕組みの透明化」など、
会社そのものをまっとうなものへと進化させていこうとしたはずです。
しかし不二家は、事実を隠し、
消費者のためになることは何ひとつやろうとしませんでした。
社会に存在する価値がない、といわれてもしようのない実態です。

しかしそんな不二家のインチキ経営を連日批判してきたマスメディアにも、
じつはインチキがあったことが判明しました。

いまや誰もが知るところですが、
関西テレビが製作していた人気番組『発掘あるある大事典』です。
「納豆ダイエット」「レタスが睡眠効果をもつ」などなど、
次から次へとウソが発覚してきました。
製作した関西テレビやそれを全国放送したフジテレビの責任を
問う声が強くなるのも当然のことです。

しかしこの件について私が度肝を抜かれたのは、
TV業界で長く生きてきたディレクターたちの多くは、
「あるある」のウソ発覚を見ても、誰も驚いていないという現実です。

「大なり小なり、みんなやっていることですよね」
例えば、米国の教授がその効果について
話しているシーンを日本語に吹きかえる際に、
まったく異なるコメントにすりかえてしまうといったことなど、
誰もがやっているとは言いませんが、
面白いストーリーを作るためなら、
意図的に「全体」を語らず、突出した「部分」だけを
報じてしまうことなど日常茶飯事なのでしょう。

どこに真実があるか、ではなく、
どうしたら面白くなるか、どうしたら視聴率が稼げるか。
それしか考えないのがテレビだと、
テレビ関係者自身が思っているのだから本当に驚いてしまいます。

なにがテレビ業界をそうさせているのでしょうか。
関西テレビは今回の「あるある」問題を
「納豆ダイエット」に絞って掘り下げていくなどという、
およそ報道機関とは思えぬ発言をしているようですが、
そんなことは絶対にあってはならないし、許してもいけません。

また今回の問題を「あるある」だけに終わらせてはならないと思います。
「都合の良い真実」を創作したがる放送業界全体の体質そのものを、
今こそ変えるきっかけにしてほしいものです。

01月18日(火)

【期限切れ原料使用でゆれる不二家】

不二家がゆれています。
次から次へと発覚するずさんな品質管理と情報隠し。
昨年11月、埼玉工場で消費期限切れ牛乳が使用された事実が発覚した時、
不二家の経営陣は「雪印乳業」の悲劇を意識したと報道されています。
しかし驚くべきは「このままでは雪印乳業の二の舞になる」
という明確な認識を経営陣が共有しながら、
問題の公表先送りを組織的に決定したことです。

雪印乳業だけではありません。
三菱ふそうしかり、パロマしかり、不祥事が問題の核心なのではなく、
消費者への情報隠しこそが消費者への究極の裏切り行為と見なされ、
いっきに企業の存亡へと問題が拡大していった多くの先例を、
なぜ不二家の経営者は自分の問題として理解することができなかったのでしょうか。

単純な「同族会社」批判はなんの意味ももちません。
一家の歴史と資産を守り発展させることに
強い使命感をいだいている創業家の出身者は、
会社の将来に対して誰よりも強い責任感をいだくことができます。
4年、6年の任期が終われば自動的に勇退となるサラリーマン社長よりも、
はるかに強い意識と責任を持てるのが創業家の経営者なのです。

しかし、そこには「本当に優秀ならね」という但し書きがつきます。
無能な同族経営者は、周囲に茶坊主ばかり集めゴマすりばかりが行われます。
「お客さんより社長のご機嫌」。
不二家はそんな構図になっていたのかもしれません。

01月09日(火)

【新年早々「おひさしぶり」】

昨年12月海外取材が続き(タイ、オーストラリア)、
なおかつ年末の忙しさも手伝い、
財部ジャーナルがまったく更新できませんでした。
本当に「お久しぶり」です。

「便りがないのは無事な証拠」といいますが、
「更新がないのは無事な証拠」とはならず、
多くの方からご心配いただきました。
「11月14日から更新されてないけど、大丈夫なの?」
親しい友人からはそんな突っ込みをたくさんいれられましたが、大丈夫です。
今年は頑張ってコンスタントに更新していきます。

ちょっと言い訳をさせていただくと、雑誌の連載が増えました。

『日経ベンチャー』(「財部誠一のBRICsと中小企業」)
『ダカーポ』(「財部誠一の経済最前線レポート」)
『フィナンシャルジャパン』(「ミクロが変える経済」)
『アデッソ』(「金融と資産をめぐる風景」)
そして、私が毎週発行している『ハーベイロード・ウィークリー』

さらにまた年末にお目にかかった友人の作家から
はっぱをかけられてしまいました。
「最近、単行本だしてないんじゃない?」
その通り。いま必死に書いているところです。

そんなこんなでホームページの更新頻度が落ちていましたが、
今年はハイペースで書いていきますので、よろしくお願いします。
もっとも、そうはいっても「経営者の輪」は順調に進展を続けています。
日本の経営者のみなさんの貴重な声が凝縮されています。
ぜひご覧になってください。

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